或る、古い映画の一幕
彼が空を見上げる。
厚い雲に覆われた、その先を見詰めている。
身体は地上にあるのに、心は遥か空の彼方。
いつしか、彼が本当に雲の上へと飛んでいってしまうような気がして、子供心に心配でしようが無かった。
「作戦課からのレポートです。ダイクロフトの概略図が上がりましたので。」
忙しくキーボードを叩く彼は、片手間に私の話を聞いている。
提出する書類を渡して、少し説明して、終わり。
何とも味気ないが、まぁ、仕方が無い。
彼が仕事以外の事をしているところは、私も見たことが無い。
考えてみれば、趣味の無い人だ。
軍の同期の方にも、友人らしき人は居ない。
独身だし、家族の話も聞いたことが無い。
プライベートが殆ど無い人と言うのも、珍しいかもしれない。
彼と出会って何年になるだろう。
私が五才の時だから、かれこれ18年になる。
今の仲間の中では、一番長い付き合いなのに、一番彼が分からない。
「あの・・・司令?」
一通りの説明を終え、彼の名を呼んだ。
彼に育てられてきた私も、彼のことは殆ど知らない。
いつも仕事ばかりしていて、優しくて、時々少し哀しそうに笑う。
ただ、時々空を哀しそうに見詰める。
その一瞬だけ、やけに彼が頼りなく見えた。
「何だい?」
エメラルドグリーンの綺麗な瞳が、私を見上げている。
真っ直ぐ見詰められると、何だか吸い込まれてしまいそうで怖い。
理由も無く動悸がして、如何したものかいつも困ってしまう。
子供の頃は平気だったのに、いつからか分からないが、こうなってしまった。
「あの・・・・お聞きしたい事があるのですが。」
「何だい、改まって。」
彼は、少しはにかむように、人懐っこく微笑んだ。
40過ぎとは思えない、罪な笑み。
どうも話しずらいな、こんな顔をされると・・・・。
「司令には、好きな人とか居るんですか?」
何故だか、彼のプライベートが聞きたくなった。
出過ぎたマネだし、ここ18年の彼の事なら、一番私が知っているはずなのに。
それでも如何してか、言葉が口から出てしまう。
一瞬、彼の瞳が大きく開かれたように見えた。
「好きな人か・・・・。」
呟くように繰り返し、彼は銀色の髪をいじりながら、苦笑いを浮かべる。
私が何も言わないで居ると、彼はさらに困った顔をして口を開いた。
優しい表情と裏腹に、シリアスな低い声で。
「居ますよ。・・・でも、20年も会ってないからね、流石に愛想をつかされてるかな。」
諦めの混ざった、少し自嘲気味な台詞。
彼にはあまり似合わない。
きっと、会えないんだろうとは、私にも分かる。
「20年もですか?」
頭の中で20年の歳月を思い浮かべる。
私の人生にしてみれば、物心つく前から今まで。
考えも及ばない長い年月。
「長いですよね、20年。もうすっかり歳を取ってしまいましたよ。」
彼は、少し肌の皺を気にする様子で苦笑い。
無理に明るく振舞う仕草が、逆に胸に痛かった。
「・・・・寂しくないんですか?会えなくて。」
何だか、重い話題になってしまった事を後悔しつつ、私は尋ねた。
優しく微笑む彼の眼が、意外なほどに哀しげで心配になったからだ。
溜息が一つ、彼の小さな口から洩れる。
いつもと違う、弱々しい響き。
「そんな・・・・・・・寂しくないと・・・・思いますか。」
彼は席を立って、壁の方を向いてしまった。
小さい頃は、とても大きく見えた背中が、何だか今は小さく見える。
絨毯も敷かない、古い木製の床を雫が濡らした。
ごめんなさい。
申し訳ない気持ちで、胸が詰まった。
悲しませる気は無かった。
ただ、もう少し彼のことが知りたかっただけなのに。
「ごめんなさい。」
声に出した。
そして、行動にも。
小くなった彼の背中を、大きくなった私の腕で包み込む。
私にすっぽりと収まる程、彼は頼りなく小さかった。
「・・・カーレル。」
「ごめんなさい。」
もう一度、繰り返す。
彼は、私の腕の中で声も出さず、涙を堪えていた。
誰にも寄りかからず、独りで気を張って生きてきたこの人。
弱いのを、ひたすら隠し続けてきたんだろう。
「誰かに頼ると、そのまま倒れてしまいそうだったから。」
消え入りそうな掠れ声。
つい、彼を抱く手に力が入る。
この手を放すと、このまま折れてしまいそうで。
「今は・・・・このままで居させて下さい。」
私の言葉に、彼は小さく頷いた。彼の体の向きを変えて、私の胸に彼を沈めた。
服を通して、彼の嗚咽が肌に触れる。
彼が顔を離し、私を見上げた。
エメラルドグリーンの大洋が、波打って止め処無く溢れ続ける。
「・・・・・・キスして・・・・くれませんか・・・・。」
彼は、瞳を閉じた。
白金の糸のような睫が、涙に光る。
その色気に、思わずどきりとした。
親代わりだった筈の彼が、今は違って映る。
「代わりは・・・できませんよ。」
彼の想い人の代わりは出来ない。
ちょっと無理して微笑むと、彼は黙って首を振った。
「代わりは要りません。今は・・・・君が欲しい。」
落ちた。
その一言が、私を狂わせる。
誘うような潤んだ瞳に促され、細い首を優しく抱く。
薄い唇が、迫ってきた。
歯止めが・・・・効かない。
思い切り抱き締め、唇を重ねる。
伝わってくるその温もり。合い間に洩れる吐息。触れ合う肌。
全てが快感だった。
良心の呵責も、自分の立場も、彼の過去も、全て置いてきた。
「リトラー。」
初めて、彼を呼んだ。
「司令」でも「おじさん」でもなく、「リトラー」と。
緩んだ唇に舌を入れる。
彼の長細い舌が、侵入者を煽るように絡みついた。
混ざった唾液が口角から銀糸となって落ちる。
もう思考すら停止して、貪るように彼の口内を犯していた。
「んっ・・・・・ふう・・・・。」
洩れる喘ぎに流されて、そのまま彼を抱き上げる。
ソファーの上に優しく下ろし、思い出したように鍵を下ろした。
振り返ると、縋るような眼で彼が見ていた。
手を伸ばし、ゆっくりとした動作で彼を押し倒した。
私は
何をやっているのだろう。
私の親代わりとして、18年間育ててきてくれた人を、今私は抱いている。
「カー・・・・・レル。」
私の腰に手を回し、涙で潤み、焦点の合わない目で私を見上げる。
下半身に私を受け止め、動かす度に息も絶え絶えに喘いだ。
陶酔とも苦痛とも取れないその表情が、また私を煽り、一層動きを激しくさせる。
伝う涙を頬から舐め取る。
滑らかな白い肌は、私が幼かった頃から変わっていない。
20年前の別れが、彼の時間を止めたのかも知れない。
いつまでも、20年前のまま取り残された、心と身体。
そこに私は居ない。
悔しかった。
名も知らぬその人に、嫉妬を覚えた。
私の大切な人を縛り続けるその人が憎い。
私なら、片時も彼から離れない。
今までも、そして、これからも。
「くっ・・・・・んっ・・・あっ!!!」
また、彼が達した。
もう、放つものが無い彼は只、身体を震わせた。
意識の半ば無いままで、空ろな瞳で私を探す。
その手を取り、また抱き締める。
今だけは、その人を忘れていて欲しい。
私だけの彼。
彼だけの私。
束の間の征服欲に、私は酔いしれた。
「おはよう。」
目覚めたのは、彼の部屋のソファーの上。
もう既に日も高く、彼は「地上軍総司令」だった。
いつもと変わらぬ笑顔が、眩しい。
「おはよう・・・・・ございます。」
服は、ちゃんと着せられていた。
23にもなって、着替えをさせて貰ったかと思うと恥かしい。
申し訳なくなって眼を逸らすと、彼は首を傾げてコーヒーを差し出した。
「あっ、すみません。」
受け取ろうと手を伸ばすと、身体が痛い。
昨日、大分無理をしたのが来ているらしい。
23と言っても、それほど若くないのかもしれないな・・・・。
コーヒーを啜り、再度彼を見る。
昨日、かなり無理をさせてしまったのに元気そうだ。
「あの・・・・身体の方は・・・・。」
言おうか、言うまいか、少し迷った。
それでも、引け目を感じながらも尋ねると、彼は苦笑する。
「あっ・・・・その・・・大丈夫。」
恥かしそうに頭を掻いて、上目遣いにこちらを伺う。
薄く朱の入った頬が、艶っぽくてまた参ってしまう。
昨日まで、こんな気持ちになった事は無かったのに・・・・。
「昨日は、すみません。」
気持ちに抑えが効かなくなる。
自分の気持ちに、気がついてしまった。
頭を下げる彼に、ゆっくりと歩み寄る。
肩を抱き、身を起こし、目を合わせる。
驚きが混じった瞳が、揺れる。
「・・・・好きです。」
ストレートな言葉。
飾ることなんて今更出来なくて、抱き締める。
こんなつもりは無かったのに、一瞬で落ちてしまった。
「・・・・ありがとう。」
穏やかな笑みに、残酷な一言。
優しすぎる拒絶の言葉。
細い手で、頭を撫でられる。
伝わってくる温もりが、柔らかく心地好い。
それはまるで、私と彼の関係が「親子」のままであることを示すように。
沈黙のまま、彼を手放す。
「ごめんなさい。」
再び、彼は頭を下げた。
胸が締め付けられて、そのまま彼に背を向ける。
「諦めなくても、良いですか?」
未練がましい事を言ってしまう。
自分でも情けない台詞。
彼を支えてあげたい筈だったのに、結局彼に甘えてしまっている。
私の言葉が意外だったのか、彼は少し戸惑いがちに、顔を強張らせた。
それも一瞬で、すぐに微笑みが返される。
「ええ。」
彼の台詞に赤面し、私は真っ直ぐ走って部屋を出る。
走って、走って、廊下の角を曲がって初めて立ち止まる。
胸に手を当て、息をつく。
鼓動が止まらず、息が上がりっぱなし。
もう一呼吸、深くつく。
自分の女々しさに腹が立った。
その反面、この鼓動が走った所為だけでない事を自覚する。
まだ、ここから。
そう思えるだけ、まだまだ私は若かった。
雪に射す日差しが眩しい。
彼の銀の髪のように。
私が戦死する三ヶ月前の事でした。
あとがき
史上最長の作品です。
よく読めましたね。(笑)
キスまでの予定が、行くトコまで行ってしまいました。(汗)
この作品については、特に感想を頂きたいです。
長さとか、どうなのかってあたり。
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