「君の上官にも困ったものだね。」
普段の通り困ったように眉を傾けて、彼は笑った。 そして、先程まで目を通していた書類を私の方に投げやる。
チャールズ=C=サロメ 表題にはそう記してあった。 神経質そうな細面と線のような目。 その顔形が、何処か旧政府の官僚を思わせた。
地上暦前7年度士官学校卒業、即日連邦陸軍憲兵少尉に任官。 南部のクーデター鎮圧に功あり、地上暦前2年大佐。 天地開戦以後、憲兵司令として親天上派と思われる将校を多数連行。 地上暦4年、少将に昇進し情報部部長。
「うちの部長が何か?」
唐突に「困ったものだ」と言われても、私も困る。 それに、サロメ少将は確かに性格には難があるが、悪人ではない。 もともと、肌が合わないのは確かだが、上官は上官、弁護しておこうと思った。
彼は、私の問いに答えず、ゆっくりと椅子に腰掛けた。 天上からの脅威に怯え、様々な思惑の飛び交うこの地上。 その地上を束ねる、地上軍総司令の椅子に。
「サロメ少将は、この椅子が欲しいらしい。」
笑顔で言い切って、少し俯く。 そして、堪え切れなくなったかのように声を挙げて笑った。
彼のエメラルドグリーンの瞳は、笑いながらも厳しく私を見ている。 いつもの温和さという名の鞘を払った、彼の心の刃の部分。 それが私の心の底を射抜くような目になって、目の前にあった。
「仮に、彼がアレを墜とせるなら良い。差し上げようこんな椅子は。」
彼は大きく手を上げて、天を指す。 全地上人三億人の頭上に浮かぶ、醜悪な鉄塊。
もう、彼の表情には軍人など思いも寄らない、そんな優しげな美丈夫振りはない。 士官学生と素人同然の兵士達で南部内戦を勝ち抜いた鬼の顔だった。 私の兄も知っていたであろう、彼の戦う顔だった。
サロメ少将は、来週の幹部会議で総司令の不信任を決議するのだろう。 それが来る前に、彼はサロメ少将を始末するつもりなのだ。
「天上への内通疑いだろうね。私をミクトランとの関係は皆知っているから。」
まるで、他人事のように言う。 もし、失敗して露見すれば彼の立場も無に帰してしまうと言うのに。
暫くの沈黙。 彼は、私の目をじっと見詰めている。
内戦の後、一度だけ帰ってきた兄は、幼い私に彼の事を話してくれた。 「優しくて、強くて、少し危なっかしい人。」 二度と生きた姿で帰ってこなかった兄は、そう言っていた。 その言葉よりも、兄が彼について語る時の嬉しそうな顔が記憶に残って離れなかった。
「私に、やれと?」
薄々は分かっていた。 それでも、彼は自分からは言おうとしなかった。 ずるい人だと思った。
私の言葉に、彼は少し笑った。 そして、静かに囁くように言う。
「断ってくれても構わない。ただ、君は兄上の関係上私の側だと言うことになっている。」
どちらにしろ、一蓮托生しなくてはならない立場。 軍を辞めてしまう、と言う選択しも無くも無いが、それは出来ない。
「お受けしますよ。」
目を瞑る。 幼い金髪の少年が、浮かんだ。 今も部屋で、私の帰りを待っている。
私には、守るべき物があるのだ。
「で、何のようだ?総司令の犬が。」
紳士然とした風貌とは、懸け離れた口調。 サロメ少将は、私に銃口を向けながら笑った。 私はただ、彼の目の前に突っ立ている。
「撃ちますか?」
しかも、私は丸腰だ。 彼が逆上して撃たれた時、彼の罪が重くなるように。 そう思って、剣も銃も部屋に置いてきた。 なのに、不思議と怖くなかった。
サロメ少将は、私の爪先から頭の天辺まで睨みつけて首を捻る。 やはり、丸腰の私が不思議なのだろう。 私は、笑って彼に教えてやった。
「丸腰の私を撃てば、ただでは済みませんよね。」
彼は、感心したように笑う。 彼は頭のいい人間だ。 一年下で働いて、それは良く分かっている。 だから、そうそう撃ちはしないはず。 そして、この話にも乗ってくるはず。
「賭けをしませんか?」
それはもう、簡単な賭けだった。 六連発のリボルバーに弾を一発だけ入れる。 それを交互に自分のこめかみに当てて撃つ。 ロシアンルーレット、確かそんな名前だったと思う。
「俺の部屋でお前が死んでいて、それは可笑しいだろう?」
「遺書を書いてあります。少将を殺せといわれたが出来ないから死ぬ、と。」
ポケットから封筒を取り出して、私は言った。 中身は、先程急いで書き上げた本物だった。 これを持って、私が自殺すれば間違いなくリトラー司令も終わり。 その準備のよさに驚いたのか、感心げに彼は頷く。 そして、徐に拳銃の銃弾を抜き取って一発残す。
「俺が死ねば、地上はお前らの天下。お前が死ねばリトラーは失脚。」
まぁ、悪くない取引だ、とサロメ少将は呟いた。 そして、拳銃を私に投げやる。 私から撃て、という意味らしい。
恐怖はあった。 それでも、不思議と死なない気がした。 目を瞑ると、兄が笑っていた。
カチッ。
指紋を綺麗にふき取って、彼に渡した。 彼は、無造作な動作で引鉄を引いて投げ返す。 その表情には、一分の恐怖も感じられなかった。
「流石ですね。」
受け取りながら言う。 彼は、何も言わずに顎で早くしろと促した。
私の二回目も、銃弾が飛び出してくることは無かった。 彼の二回目も、瞬く間に過ぎて彼は無事だった。 渡される拳銃が、少し重くなった気がした。 確率50%の重さかな、と私は思った。
ゆっくりと手を上げて、黒光りする銃口をこめかみに押し当てる。 50%の死が、目前に迫るのを感じた。 不思議と、先程以上に恐怖は薄れていて、逆に無性に笑えてきた。
カチッ。
私は、勝利した。 そうしたら、今度は急に笑いが出なくなった。 急に冷徹な悪鬼になった気分だった。
サロメ少将の顔は青ざめていた。 銃を受け取ると、ふらつく足で後ずさった。 先程まで、微塵も見せなかった恐怖が全身から感じられる。 明確な死を前にした者の顔だった。
彼は、私に銃を向けた。 しかし、手が震えて引金が引けない。
「手伝いましょう。」
私は、近づいて彼の手を取った。 死んだように体温の下がった手で、私は驚いた。 そうだ、彼はもう事実上死んでいるのだと、納得した。
彼の手を、ゆっくりこめかみに持っていく。 歯をかちかちと鳴らし、彼の体が痙攣している。 一年仕えた上官だ、こんな無様な姿をいつまでも晒させるのは忍びない。
「さようなら。」
私は笑顔で言って、彼の手を押さえた。 ぐっと、引鉄を引かせる。
低く、響く音が雪降る深夜に消えていった。
部屋に戻ると、彼が来ていた。 眠っているシャルティエの頭を撫でながら、私を待っていた。
「すまなかった。」
彼が、沈んだ声で言う。 先程、私に命じた彼とはまるで別人のようだった。
私は、何も答えないままに彼の隣に腰掛けた。 柔らかな弱い明かりの下で、彼の横顔がぼんやり見えた。 彼の頬は濡れていた。
「ずるい人ですね。」
私は溜息混じりに苦笑い。 そんな顔をされたら、誰だって命の一つや二つ差し出したくなる。 きっと、兄もそうだったのだろう。
これをカリスマと呼んで良いのか、私には分からない。 ただ、彼には人に命を賭けさせるだけの何かがある気がした。 そうでなければ、私がこんなにも忠誠を誓いたくなるわけが無い。
「情報部長をやって欲しい。」
彼は俯き加減に呟いた。 そして、私に金色の星を一つ差し出した。 それは、六芒星の将官徽章。
「私の、助けになって欲しい。」
心を掴み取られるような一言。 そして、真剣に見詰める目。 兄もきっと、同じ気持ちで彼に従ったに違いない。
彼の訴えかける眼差しに、私はにっこりと微笑んだ。 どちらにしろ、後には引けないんだ。 それなら、することは決まっている。 賭けてやる、この男に。
「可笑しな話ですね。」
私は笑った。 そして、彼の手を取った。 この命をくれてやろうと、決意した。
「御自分の片腕に助けを請う方がいらっしゃいますか?」
あとがき
天塚大地さんの誕生日に送ったヤツ? だったと思います、確か。
|