船酔いの手っ取り早い治し方

船酔いというのは辛いものらしい。私は今まで船や乗り物に酔ったことがないから今一つ分からないのだが、感覚としては酒を飲んでもいないのに二日酔いに苦しむ感覚に似ているのだそうだ。

「あー、もう、最悪。」
「気の毒に。」

二日酔いならば、自分の酒量が過ぎたのだと反省も出来るが船酔いは反省も出来ない。人が船に乗るということはそれなりに理由があって乗っている訳で、いや、酒も必要があって飲んでいる場合はあるか。

「う・・・。」
「あぁ、すまん。」

どうでも良いことを考えていて、背中をさする手が止まっていた。アトワイトが恨みがましい目でこちらを見る。一つ、二日酔いより良くないのは感情の行き先が周囲に向くことだな。

「良く平気ですね。」
「昔から船は苦にならない方なんだ。」
「陸軍って船酔いするもんじゃないんですか?」
「あぁ、ノリスは酷いぞ。あれは絶対に船に乗らないからな。」
「俺も嫌だって言ったじゃないですか。」

あ、しまった。失言だった。しかし、海上ルートで現地入りするメンバーに彼が入ったのには正当な理由がある。私が彼の要望を忘れていた訳ではないし、ノリスが嫌がらせでリストに彼を入れた訳でもない。

「船医が足らなかったんだ、仕方ない。」
「俺、この状態で役に立つと思います?」
「いないよりは。」

何せ今、地上軍は下手をすると戦中よりも忙しい。天上政府が瓦解して政治権力の空白状態が生じている北部地域に、一刻も早く安定した行政を行き渡らせなければならない。その忙しさたるや、船酔い患者の手も借りなければならない程だ。

「はっきり言いますね。」
「戦時ではないからな、あまり無理をさせたくはない。」
「お気遣い頂きましてどうも。」

私達が乗っているのは、ギルバート海運所有の貨物船グリンウッド。旧地上軍勢力圏と旧天上軍勢力圏とを繋ぐ鉄道は傷みが激しく、政府関係の物資を旧天上勢力圏へ輸送するのは専ら船便になっていた。

「それに、我々は乗っているだけで色々と意味がある。」
「例えば?」
「現地の港湾設備を管理しているのは旧天上軍の連中だ。末端の連中だけでやらせると何が理由で諍いになるか分からない。」

旧地上側の末端が旧天上側の末端と統制が緩い中で出会えば、この20年の個人的な憎しみが一気に噴出してしまう危険もある。戦争が終わった以上は出来るだけ平和に過ごす必要があった。

「ディムロス・ティンバー中将閣下のご威光を利用する、と。」
「アトワイト・エックス中佐殿の威光でも構わないんだが?」
「陸に上がったら頑張りますよ。」

普段よりも一層青白く、頬が痩けた顔でアトワイトが笑った。帰りは陸路にしてやった方が良いだろうな。とは言っても、地上軍の輸送用トラックの乗り心地というのは恐らくこの環境よりも数倍は悪いのだが。

「ん?」
「なんですかね?」

その時、外から海には似つかわしくない硬い音がした。ここ数日で随分聞かされた、船体が軋む音とも違う。もっと私達にとって身近な音。

「銃声?」
「乗っている意味を発揮する時かも知れないですよ。」

全く顔色は戻っていないが、目だけには先程よりも随分と活力を漲らせてアトワイトが口元を拭った。どうにも呆れた軍医だ。彼は昔から、自分から患者を作りに行くようなところがある。



















足音が近付いてきていたことに気付いたのは二人同時だった。どうやら一人、目の前の扉からこちらに近付いてきている。私がアイコンタクトをアトワイトに送ると、彼は一つ頷いて、ドアに音もなく駆け寄る。私は物陰に隠れてわざと不規則に足音を立てた。

「誰だ?」

スヴェリエ訛りだった。重い水密扉が開く。開いたドアの影にアトワイトは隠れた。部屋の中に一歩、ドアを開けた男が踏み込んだ瞬間、アトワイトが手にしたナイフが喉を裂いた。

「軍医にしておくには惜しい腕だ。」
「切るのも得意ですけど、縫うのも得意なんで。」
「それは今度で良い。彼には意味がなさそうだ。」

彼の足元に倒れている兵士は首の動脈を断たれ、既に事切れていた。天上軍の銃を持っているが、服装は違う。足音やドアの開け方も素人臭い。軍人ではなさそうだった。

「天上軍残党って訳じゃないみたいですね。」
「海賊、か。」
「戦争終わって逆に治安悪くなってるって奴ですか。」

アトワイトの言ったことは事実だった。元々両軍が多くの船を出して警戒に当たっていたお蔭で治安の面では良好だった海は、戦争が終わった今、海賊の天下になっている。

先程入った船内放送によると、どうやら船は乗っ取られたようだった。私とハロルドは危険を察知してすぐに部屋を離れたために事無きを得たが、どうも主要な乗組員は皆拘束されるか、殺されるかしてしまったらしい。

「海賊相手なら二人でもやれるんじゃないですか?」
「戦意が旺盛なのは喜ばしいことだな。」
「食欲も旺盛ですよ。」
「二日ぶりか、お前が食事をしているのを見るのは。」

アトワイトがサンドイッチを齧りながら笑った。私達が隠れたのはキッチンだった。食糧だけには困らないが、よりによってこの状況で食欲を復活させる彼の神経が私には今一つ分からなかった。

「さて、我々はどうします?」
「第一師団は船橋を奪回する。操舵と通信を得れば優位に立てる。」
「景気の良い響きですね。」
「ハッタリも指揮官の仕事だ。」

師団長と軍医の二人で第一師団を名乗るのはどうにも言い過ぎだったが、勢いがつくならそれも良い。

敵側は恐らく乗員の名簿を入手して、私達の存在に気付いただろう。今頃血眼になって私達を探しているはずだ。あまり長々と隠れてチャンスを待つという訳にもいかないだろう。

「食べたか?そろそろ移動するぞ。」
「ちょっと待って下さい。これだけ。」
「なにしてるんだ?」
「ちょっと工作を。この前映画で見て。」

カップに布切れを入れて、油と水を注ぐ。それを電子レンジに入れて、キッチンのブレーカーを落とした。ブレーカーを戻すと、電子レンジのスイッチが入って爆発する仕掛けのようだ。

「随分と実用的な映画だな。」
「戦艦を乗っ取ったテロリストと戦うコックの話なんです。」

二人で乾いた笑いを浮かべてから壁へ目をやる。白い壁には血が飛び散り下には人が倒れている。残念ながら、この船のコックは既に海賊に殺されていた。冗談にしても、ちょっと性質が悪い。

「じゃ、軍医が代わりってことで。」
「…沈黙の貨物船?」
「俺じゃちょっと饒舌過ぎますかね。」
「行くぞ。」
「はいはい。」

能力に関しては映画の中のヒーローにも劣っていないと思うのだが、それを言うと調子に乗るから黙っておいた。暫くしたら思ったよりも背後から盛大な爆発音が聞こえた。

彼の子供のような得意気な顔に、私は溜息をついた。



















ここからの話は些か蛇足になる。

海賊の乗り付けてきた小舟を爆破して、船橋を奪回して、救援が来るまでそこに立て籠もって、という、それこそ彼が見た映画のような話が続き、彼は映画スター顔負けの活躍を見せた。

全てが終わってから銃弾が掠った私の腕に包帯を巻いてくれた時には、久々に彼が軍医だったと思い出した。私が伝えておきたいことは、その後だ。

「これで全部済みました?」
「ああ、恐らく。」
「じゃ、心置きなく。」

先程までとは打って変わって力ない声でそう言った彼は、若干前屈みになりながら甲板を海の方へと駆けていく。私は忘れっぽい方ではないつもりだが、この瞬間は彼に何が起きたのか全く分からないまま彼の後を追った。

「どうした?」
「いや、その、うっ。」

その瞬間にやっと私は事情を把握した。彼は海の方へ顔を向け、私は急いで逆を向いた。同時に、笑いが込み上げた。旺盛な戦意と食欲はどこへ行ってしまったのか。あぁ、サンドイッチが勿体無い。

私はまた、暫く彼の背中をさすって過ごすことになった。



















あとがき
もうちょっと書いても良かったんですが、このままだと電車ごっこと同じような話になってしまうと思って、バッサリと後半部分を削って書きたいトコだけ付け足しました。アトワイト君は若干ガラが悪いところとかがハロルドやノリスと似ている部分もあるんですけど、二人に比べたら意外とまともです。笑

あ、戦艦を乗っ取ったテロリストをコックがやっつける話はスティーブン・セガールの「沈黙の戦艦」です。主人公が最強過ぎて全くハラハラしないという斬新なアクション映画なんで一見の価値ありです。

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