時々、思い出す。 幼い頃、まだ其処が如何言う所なのか分かっていなかった頃。 今を去ること17年前。
忌まわしい事件から1年。
私はまだ6歳の少年。 ただ、窓の外の火と返ってくるあの人の煤けた顔を見詰めるだけだった。 「師団長」と呼ばれていたあの人が「隊長」と呼ばれだしたのもその頃。 「隊長」の意味が分からないまま、私もそう呼んでは彼を困らせていた。
安息。 事件の直後には思いも付かなかった言葉が、その時は心の中にあった。 例えそれが、戦火の中心であったとしても。
彼の部屋に良く来る人がいた。 左目に黒い眼帯を着けた、目が鋭くて怖い人。 その人が息を切らしながら駆けて来る度に、彼は連れて行かれてしまうのだ。 どこか怖い、彼を血に染める所へ。
ある日だった。 夜中、帰ってこない彼を心配して私は起きていた。 2時を回り、3時が近かった。 心配が大き過ぎて、眠くなんてなかった。
がたっ。
ドアが乱暴に開く音。 例の眼帯の人が、いつもよりも怖い顔をして立っていた。 その背に、彼。 血みどろだった。 彼に良く似合う、シンプルな色合いの制服が真っ赤に染まっていた。
「手当てはした。メルさんを頼む。」
それだけ言って、その人は駆けて行ってしまった。 ベッドに下ろされた彼に縋りながら、私はその背を睨んでいた。 大切な彼を傷つけてつれて帰る、その人が憎かった。
その日は、窓から見える火が妙に大きく見えた。 その大きな炎は、次の日の朝になっても消えなかった。 翌日の8時過ぎに彼は目覚めた。 私の顔を見て、何故かほっとした顔をしていた。
「良かった。」
彼はそう言った。 良かった、のはこっちだと言ってやりたかった。 安心したせいか言葉が出なかったが。
彼は包帯の巻かれている右腕を伸ばし、私の頭を撫でた。 いつも通り、繊細な優しい手で妙に落ち着いた。
「もう行かないで。」
その時、私はそう言いたかった。 言えなかった。 ただ、いかにも子供らしく泣きそうな顔をあぐあぐと歪めるだけ。
記憶の端にある、1年前の彼。 父さんと母さんと皆を殺した奴らを、彼は一瞬で斬り倒した。 血の雨を浴びる彼は、酷く険しい顔をしていて、まるで別人。
彼にそうなって欲しくなかった。 柔らかに微笑んで暮れる彼が好きだったから。
彼の服を染める血が、彼の斬った人だけのものでないことは分かっていた。 いつも、肩や腕や腰に深い、沢山血を出している傷があった。 そんな時は良く、彼が妙に白く見えた。 それが、死に近づいている証拠だと、幼心に私は知っていた。
その次の日も炎は消えなかった。 大きな音が、1年前のあの時の音よりも、もっと大きな音が聞こえた。 嫌なことが近づいている気がした。 包帯を巻いたまま、彼はベッドから起き出していた。 そして、私と一緒に窓の外を見ていた。
「敵二個旅団を確認。」
彼の言っていることは、私には分からなかった。 ただ、彼の声が妙に鋭く冷たかったのは感じた。
振り返ると、すでに彼は巻かれた包帯を取り去り軍服に身を包んでいた。 その先には、例の眼帯の男。 こちらをいつもと違う顔で見ていた。
「連れて行かないで。」
私は多分、そう言ったのだと思う。 言葉を発して、その人を睨むと視界が潤むのを感じた。 彼の手が、私の肩に触れた。 目の前に、大好きな彼の柔らかい笑顔があった。
「此処は危ないかもしれない。でも此処に居てくれ。」
「えっ・・・。」
危ないから下がっていろ、と言われた事はある。 しかし、危ないが此処に居ろ、と言われたのは初めてだった。
怪訝な顔を浮かべていたであろう私に、彼は続けて言葉をかける。 落ち着いた、何処か照れくさそうな、しかし決然と。 その声は、今も私の耳に残っている。
「帰ってくるから、待っててくれ。」
何故かどきどきした。 頷いて、彼を見詰めるともっとどきどきした。 彼の肩越しに、眼帯の男が見えた。 その人は、明いている右目を閉じ口元に微かに笑みを浮かべていた。
「行きましょう。」
私の前で、その人は初めて口を開いた。 案外、優しくて澄んだ声だった。
「待たせた。」
安らかな声で応えると、彼は立ち上がった。 私に背を向け、しっかりと一歩一歩踏みしめていく。 その背に、言いようの無い憧れを覚えた。 いつか追いつきたいと思った。
「二人とも、無事で。」
多分私は、その時そう言ったんだと思う。 |