「あと、4時間。」
彼が呟いた。 多分彼は、この決戦を最も回避したかった一人だろう。 長年仕えて来た私には、それが良く分かる。
そんな彼の気持ちを知りつつも、私は必勝の策を練った。 私に出来るのはそれだけだし、それが彼への想いの証明だとも思っていた。
「突入部隊の二次準備は完了しました。」
だから、なるべく他の事は喋らない。 彼の浸っている感傷は、私の存在や想いと相容れない物だと知っているから。 だからこそ、圧倒的に勝利したかった。 勝利して、彼のそんな感傷を消し飛ばしてしまいたかった。
「ありがとう。」
彼の労いの言葉は、中身の無い空っぽだった。 仕方ないかなと言う半面の気持ちと、もう半面の猛烈な嫉妬心。 もしかしたら、私はその嫉妬心で戦ってきたのかもしれない。 だとすれば、報われるのは今日だ。
「少しお休みになったらどうです?」
彼は首を横に振った。 そして、鈍色の空をじっと見詰める。 この戦いが終われば、青い空が帰ってくる。 そして、その空を彼に見てもらうんだ。
彼が今、心の中で見つめている物。 それを今日、私が粉々に壊してみせる。
「君こそ。」
柔らかな微笑で、彼が私に、目を向ける。 私も彼と同じように首を横に振った。
彼から離れたくなかった。 今離れれば、彼の心を奪われてしまうと思ったから。 鈍色の雲の上に。
「・・・・・・司令。」
つい、必要でもない言葉をかけてしまった。 今話したら、本音で話してしまいそうになる。 何の大義名分もなく、彼を手に入れるためだけに私が戦っていることを。
「どうしました?」
こんな時だけ、親の顔になる。 なのに、その親の顔であるはずの微笑にまで今の私は心を乱される。 もう、とっくに親としてなんて見ていないんだから。
憂いを秘めたエメラルドグリーンの瞳、銀色の長い髪。 ずっと私だけの物にしたくて、ずっと阻まれていた物。 18年前、初めて会った時から惹かれ続けていた。
「お聞きしたい事があります。」
司令は、促すように頷いた。 少しだけ後悔の念が沸く。 決戦を前にこんな事を言っては、軍師失格だなと思った。 でも、私は言った。
「まだ、好きなんですよね。」
多くは語らず、でも確認するように一言。 彼は私の問いを予想していたのか、驚く様子は無かった。
大きく息を吐いて、彼は目を閉じる。 流れる沈黙の中、彼は目を開けて私を見詰めた。 微かに潤んでいるように見えた。
「それを聞いて、どうするんですか?」
イエスともノーとも答えない。 でも、始めから彼の気持ちなんて分かっていたからそれで良い。 あまりに悲しい顔をされたから、少し胸が痛んだけれど。
「私が、司令の大切な人を殺します。誰にもこの務めは渡しません。」
言い放って、強く彼を見詰めた。 私は、憎まれるのでも構わないと思っていた。
親子としてであれ、愛する者としてであれ、大切な人の敵としてであれ。 彼が私を忘れないでいてくれれば良いと思った。 そして、願わくばどんな物よりも強く心に残っていたいと思った。
「敵将ミクトランの首、必ずこのカーレル=ベルセリオスが挙げて見せます。」
20年来彼を縛り続けていた固い鎖を、今日私が断ち切る。 彼が望むと望むまいと、私が彼を自由にしてみせる。 彼を20年前置き去りにした男を、私は許さない。
彼は、私の言葉を黙って聞いていた。 真っ直ぐに私を見詰めて、悲しげに眉を顰めて。
「任務前に私語をしましたこと、お許し下さい。」
私は深々と頭を下げる。 これで、彼と顔を合わせるのも最後だと思った。
敵陣の奥深くまで侵入し、ミクトランを倒す。 仮に倒せたとして、刺し違えるか戻ってこられないか。 多分、私は死ぬのだろう。
そう思うと、気持ちが高揚した。 いつも兵士達の後ろに控えていた自分が、今日だけは先頭に立つ。 前提に死があって、結果はその後にある。 それがこんなにも昂る事だとは知らなかった。
「どうか、司令はご無事で。」
私は最後にそう言って、彼に背を向けた。 自由になった彼が明るい空の下で生きる姿が、目に浮かんだ。 この為に自分の23年間はあったんだと思う。 幸せだった。
18年前、抱き締めてくれた記憶が蘇る。 彼と暮らし始めて、自分の気持ちに気がついた頃の事。 彼に初めて抱かれた日の事。 初めての戦場から帰って、彼に迎えてもらった日。
18年間が流れていく。 走馬灯にはまだ早いなと、心中で苦笑した。 どれも良い思い出ばかり、どれも彼との思い出ばかり。
「カーレル。」
彼が名前を呼んでくれた。 もう長くもない命なのだろうけど、死ぬまでこの声を忘れない。 振り向きたい気持ちを抑えて、彼から遠ざかる一歩を踏み出した。
「カーレル。」
彼がもう一度私を呼んだ。 左手をぐっと掴まれて、強く引かれた。 柔らかな彼の手に触れられるだけで、胸が激しく鳴った。
引き寄せられ、抱き締められた。 とても細いのに力のある彼の腕。 18年間、辛い時苦しい時にこうして抱き締めてくれた。 零れそうになった涙を、必死で堪えた。
「死ぬんじゃない。」
彼が耳元で囁いた。 震えた彼の声が、嘘ではないことを教えてくれた。
胸が一杯になった。 大切な人を殺す私に、彼は死ぬなと言ってくれる。 彼が私を大切に思ってくれているのだと分かって、嬉しくなった。 だからもう、何も悔いることはない。
「私の18年間は、誰よりも幸せな18年間でした。」
ゆっくりと体を離して、幼い頃から彼の真似をして憶えた敬礼をする。 18年間の年季の入った敬礼は、良いお手本の所為か様になっていたと思う。
私が必死で涙を堪えているのに、彼が泣いていた。 彼はもう、この戦いの結果が分かっているんだろう。 だから、私を抱き締めて、死ぬなと言ってくれた。
「忘れないで下さい、私の事。」
それだけ言い残して、私は駆け出した。 先ほどの走馬灯は、もう見えなくなっていた。 其処にいるのは、恋に焦がれる若者ではない。 地上にその人ありと言われた稀代の名軍師だ。
その背を見詰めているのも、もう私の親でも大切な人でもない。 地上軍五万を率いる、地上軍総司令だ。
けたたましい警報音が鳴る。 作戦開始時間が迫っている。
「全軍に通達。総員一種配置、総員一種配置。」
作戦開始まで
あと、3時間37分。
あとがき
あら、さらっと書けたね。 だいたい、さらっと書けた物より苦しんだ物の方が評判が良い。 でも、さらっと書けた物の方が、書いてる側は上手く行った気がする。 うーん。意識のズレって怖いな。 そう言えば、日記の内容と被りましたね。 関係性の定義、って事ですけど、ここの三角関係は難しい。 てか、ミクリトが好きな所為でカーレルがいつも可哀想。 軍師ファンの皆様、彼が幸せになれないのは私の所為です。
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