悲恋を悲恋にしない為
分かりきっていた。
私が悪い事ぐらい。
彼は地上軍の天上軍の少年兵で、私は地上軍の将校。
彼は地上軍の捕虜で、私はその監視役。
彼はまだ15歳で、私はもう良い大人。
夜も更け、人気の疎らになった酒場。
約束の時間に私が行くと、カーレル中将はすでに飲み始めていた。
グラスを舐めるように飲みながら、微妙な笑みで虚空を見つめる姿が、何だか妙に似つかわしい。
近づいていくと、その瞳がゆらりとこちらを捉えた。
「言い訳は?」
短く声を発し、優しい目で私を見つめた。
私は座って首を振る。
こうなってしまったからには、仕方が無い。
「管理下の捕虜の少年に手を出して、何か言い訳ができますか?」
少し自嘲して答えても、カーレルは表情を変えない。
視線を戻し、またグラスを口に運ぶ。
呆れているのか、怒っているのか、貼り付けられた笑顔からは分からない。
「知っているのは、私達数名だけ。知らん振りもできますが?」
彼らしくない気休めを言う。
彼らに知れてしまったなら、他の人間に知れるのも時間の問題だ。
彼もそれぐらい分かっているだろうに。
「そう言えば、どうして分かったか聞いていませんでしたね。」
バーテンから水割りを貰い、一口含んで尋ねた。
随分と薄いのは、きっとバーテンの気遣いなのだろう。
実際、私は酒に強くない。
グラスを置いて、横目で見ると、彼は少し考えているようだった。
大分中身の減ったグラスに透かして、ぼんやりと天井を眺めている。
「・・・・・あの子をね、見ていれば分かりますよ。」
「えっ?」
「分かりませんか?貴方を見る目が変わっていますよ、昔とは。」
ようやく彼は、こちらを向いた。
呆れを多少に含んだ目が、鈍い照明に深く輝いている。
「もう何年の付き合いだと思っているんですか?」
言われてみれば、その通り。
私の周りの人間は、皆付き合いが長い。
気が付かれても、仕方が無いか・・・・。
「で、手は考えましたか?」
彼が懐から煙草を取り出し、薄い唇に銜える。
とても品行方正な地上軍将校には見えないが、妙にその姿が似合っていた。
「リトラー司令と禁煙の約束をしたのではないのですか?」
「良いじゃないですか。火を。」
マッチを擦ってやると、黙って火をつける。
白い煙がゆっくりと立ち昇っていった。
「まだ考えていません。私は少し混乱しているようです。」
煙を上げる煙草を彼から取り上げ、自分の口元へと持っていく。
そう言えば、煙草を吸うのは何時振りだろうか?
随分と長い事吸っていなかった気がする。
「止めておいたほうが良いですよ。子供が嫌がりますから。」
そうだ。あの子が来てからだ。
部屋にいつも子供がいたので、煙草の一本も吸えていなかった。
考えているうちに、彼が煙草を奪い返し、硝子の灰皿へ押し付ける。
「・・・・・・あの子を始末するのが、一番早いですね。」
声は飽くまで温和な青年のまま、彼は微かに冷たく笑った。
ほんの時々、彼は冷徹な地上軍の軍師に変わる。
徹底した現実主義と、鋭敏な頭脳が無慈悲な答えを導き出す。
背筋に冷たいものが走って、彼の横顔をじっと見つめた。
相変わらず、ニコニコと笑っている顔は、体温を全く感じさせない。
情に流されないコンピューターのような頭脳。
その判断によっては、あの歳若い少年を躊躇無く抹殺する事だろう。
「・・・・・本気、ですか?」
「・・・・・・・・そんな訳無いでしょう?嫌だなぁ。」
首を横に振って相好を崩し、彼はグラスを一気に干す。
彼が何処まで本気なのか、付き合いの長い私にもわからない。
グラスを置いて、彼が再び口を開く。
「だって、貴方の大切な人なんでしょう?」
「・・・・・・・えぇ。」
彼の一言一言が優しくて、言葉に詰まった。
そんな優しさに依存している自分が情けない。
「自分の立場と、彼と、どっちを取ります?」
もう一本煙草を取り出し、彼は私のマッチで火をつけた。
鈍色の煙がゆっくりと上がり、虚空に消える。
その様を、アメジストの瞳がぼんやりと眺めていた。
「両方。」
静かに短く答えると、彼は堰を切ったように笑い出した。
煙草を口から取り落し、笑いすぎて眼が潤んでいる。
「流石・・・・ですね。」
「私は軍に必要でしょう?」
笑みを向けると、彼も笑って頷いた。
今の立場を失えば、彼を始め多くの仲間を失ってしまう。
それは、嫌だった。
「じゃあ、彼の立場を変えましょう。」
「・・・・・・・・・・と、言うと?」
「軍属にしてしまえば良いってことです。」
・・・・・・軍属。
そう、軍に籍を置けば、確かに簡単に解決するだろう。
だが、それは、私とには重い響きだった。
もう二度と怖い思いはさせない。
彼と初めて会った時、そう約束した。
軍には入れられない。
もう殺す事も、殺される事もさせない。
そう決めた筈だった。
「私は・・・・・・・。」
「昔ね、両親を軍人に殺された少年が居たんですよ。」
私を制し、彼は不意に口を開いた。
何か、古いお伽噺を語るように。
今にも、両親と一緒に殺されると言う所で、助け出された少年は、命の恩人に付いて行った。
彼は、軍の将校だった恩人にそのまま養育され、立派な大人に。
大人になった彼は、恩人の力になりたかった。
恩返しでもあるし、もっと近くに居たかったから・・・。彼は迷うことなく、軍に志願した。
軍に入隊し、初めて人を殺した時、彼の目からは涙が零れた。
それでも、彼は後悔しない。
彼の命の恩人・・・彼の大切な人が、「生きて帰ってくれて、嬉しい」と、笑ってくれたから。
彼は語り終わって、二杯目のグラスを一息に干した。
紫に澄み切った瞳が、幽かに潤んでいた。
「貴方の、彼も同じ筈です。あとは・・・・。」
言葉を切って、真っ直ぐに私を見つめる。
先程までとは違う真剣な目。
優しさと、信念が込められた目。
「貴方が、彼を守れば良い。その覚悟は、ありますか?」
ゆっくりと文字を綴るように、彼の言葉が優しく心に刻まれた。
彼への感謝の気持ちを込めて微笑み、私は深く頷いた。
本当は、善悪なんて、どうでも良かったんだ。
分かっていて、彼を愛したのだから。
必要だったのは、覚悟。そして決意。
愛し抜けば良い。
この身を賭して。
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