「久しぶりだね。」
そう言って彼は、僕の頭を撫でた。 彼は半年前に一度会ったきりの人。 父さんの上司の人の友達、だと言っていた。
一度だけ、ミクトランさんと一緒に来たのを、僕は憶えている。 長い銀髪の、優しげな人だった。
「随分酷いね。」
彼は僕独りが住む家を見回した。 石を投げられて、窓は全部割れていた。 散らばった硝子の破片の上に埃が積もっている。 もう、何年も人がいないかのような光景だった。
毎日、僕はその硝子の破片を見ながら過ごしていた。 いつか、父さんが帰って来るのかな、とか思いながら。
「片付けようか?」
腕まくりをしながら、彼は箒を手に取る。 どうしてだろう、彼は驚くほど楽しそうだった。 なのに、瞳の奥に深い悲しみが湧き上がっている。
「良いよ、私がやるから。」
立ち上がろうとした僕に彼が言う。 でも、僕は首を横に振る。 何だか体を動かしたい気分だったから。
「ディムロス君、だったよね。」
彼が笑顔で尋ねる。 僕は頷いて、彼の名前を尋ね返した。
「リトラー、で良いよ。」
リトラーさん。 彼に似つかわしい、優しそうな名前だった。 何だか嬉しくて、小さく何度も呟く。
そうしているうちにも、床を掃き、壁を拭き、庭木を刈る。 彼はとても良く働く人だった。 ボロボロだった家が、どんどん綺麗になっていくのが楽しかった。
「ご飯にしようか。」
一通り部屋が綺麗になって、彼は台所に立つ。 すぐに良い匂いがしてきて、お腹が減ってきた。 まともに食事を摂るなんて、いつ振りだろう。
部屋を片付けて、ご飯を作ってくれて、優しく頭を撫でてくれる。 多分、お母さんってこういう感じじゃないだろうか。 勿論、僕のお母さんは死んでしまっていないけれど。
「リトラーさんって、お母さんみたいですね。」
何の気なしに口に出すと、スープをよそっている彼の顔が赤くなった。 怒ったのかな、と一瞬思ったけれどすぐにそうじゃないのが分かった。 彼は、何故だか知らないけれど照れてたんだ。
「私は男だよ。」
苦笑した彼が、テーブルにお皿を並べながら言う。 でも、そんな感じがしたんだからしかたがない。
半年前にミクトランさんが来た時もこんな事を言った気がする。 あの時は、お母さんじゃなくてお父さんだった。 僕にはお父さんがちゃんといるのに、何となくミクトランさんはお父さんっぽいなと思ったのだ。
お父さんがミクトランさんで、お母さんがリトラーさん。 悪くないな、と僕は思いながらスープを啜る。
「ミクトランさんは?」
ふと、僕は彼に尋ねた。 何の気無しに、思いついたまま。
その瞬間、彼の表情が曇った。 瞳の奥の悲しみの光が、表に出てくるのを感じた。 拙い事を聞いてしまった、と僕は思った。
「ミクトランはね、君のお父さんと一緒だよ。」
僕が如何しようかと思っているうちに、彼が応えた。 その時にはもう、にこにこ笑った笑顔に戻っていた。 でも、目の奥の悲しみは一層強くなっていた。
何だか、居心地の悪い沈黙が流れる。 聞いてはいけない事を聞いてしまったな、と僕は後悔した。
「裏切り者っ。」
俯いていた僕は、外からの声にはっとした。 直感的に窓の方を見る。 硝子の無い窓を越えて、石が僕へと飛んでくる。
「危ないっ。」
リトラーさんが僕を抱えて、物陰に走る。 彼の背に石が当たる音が、彼の胸から聞こえてきた。 一回、二回、三回、嫌な音が耳に残る。
「止めなさい。」
ドアの影に隠れて、リトラーさんは外へと叫ぶ。 さっきまでの優しい彼と同じ人とは思えない、厳しい声。
「独り残された、この子の気持ちを考えたことがあるのか?」
彼が身を乗り出すと、また石が飛んできた。 軽々とそれを避け、彼はドアの影から出る。 どんどん飛んで来る石を避けながら、窓へと近づく。
「もう一度聞く、この子の気持ちを考えたことがあるのか?」
低い静かな声だった。 僕は自分が震えているのに気がついた。 やがて、外から逃げる足音が聞こえた。
彼が振り向いた。 もう彼は笑顔に戻っていた。 目はますます悲しげだったけれど。
「大丈夫?」
彼が聞くから、僕は頷いた。 きっと僕より彼の方だ大丈夫じゃないんじゃないだろうか。 そんな気がして、僕は聞き返した。
「リトラーさんは?」
彼は一瞬驚いた顔をした。 でも、すぐに困ったような笑みが戻ってきた。
「片付け、し直そうか。」
もう一度掃除をし直しながら、彼はぽつりぽつりと語り始めた。 始まった戦争の事と始まるまで事。 ミクトランさんが敵だと言う事、父さんがそれを助けていると言う事。 ミクトランさんに誘われた事、それを断った事。 その時止めていればこんな事にはならなかったと言う事。
「ごめんね。」
戦争が無ければ父さんは何処にも行かずに済んだと言う事。 裏切り者なんて呼ばれなくても済んだと言う事。 僕を見て、本当に申し訳ないと思った事。
「リトラーさん。」
振り向いた彼は泣いていた。 大きな目から、大きな涙の粒が零れていた。
「僕は大丈夫。リトラーさんは?」
リトラーさんは泣いていた。 きっと、僕の分まで泣いていたんだと思う。 だって、僕は涙が出なかったから。 どうしてだか、笑いばかりが出た。
自分が一番辛いのに。 リトラーさんはそんな事は言わない。 でも、目が嘘を吐けないでいる。
「独りになっちゃったんですね。」
泣き崩れるリトラーさんを抱き止める。 どうして、どうしてこんなに細くて軽いんだろう。 どうして、ミクトランさんは彼を置いて行ったんだろう。
「また来て下さいね。僕も一人だから。」
僕はもう独りじゃないくて、一人。 彼はまだ独りぼっち。
でも大丈夫。 僕が貴方を支えてあげるから。
<了>
あとがき
ディム君は七歳ですね。 何でだか、妙にしっかり者。 って言うか、リトディムじゃないじゃないのさー。 ディムリトかよぉぉぉぉ。 対歳下受度が妙に高い、うちの司令に幸あれ。
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