東部戦線サマラ州南部の都市イマニグス市。
ハンゼ‐ラシーヤ間のレンズ貿易路の一翼を担っている流通都市であると共に、レンズとは逆の流れで大量の軍需物資を東部戦線の天上部隊へ供給し続ける戦略拠点でもある。周囲に張り巡らされた塹壕線の巨大な蜘蛛の巣を中央山脈の高台から一望したのは一ヶ月前。山を下ってからはずっと、塹壕とバリケードを一つずつ超えていく終り無い戦いが続いていた。


夜明けと共に西部の砲兵陣地から砲弾が降り出して朝を伝え、砲撃が止むと包囲の輪を少しずつ狭めていく。夜になると砲撃と銃声が止む一方で闇に紛れた奇襲の応酬になる。現場の歩兵にとっては砲兵陣地からの支援砲撃が敵を射竦めてくれる事だけが頼りで、後は何処に潜むか分からない敵に怯えつつ進んでいくしかない。今回の作戦には元老院派のハインケル隊第三及び第五師団、リトラー派の情報部とユンカース隊第一、第四師団が投入され、地上軍東部戦線の兵力の7割に当たる6万の兵が恐怖に震えつつ戦っている。


「第7大隊より入電。苦戦セリ救援求ム。」


一ヶ月間包囲され続けて疲弊した敵部隊8万を、一ヶ月間包囲し続けて疲弊した我々6万が徐々に包囲の輪を狭めて撃破して行く。後が無い敵部隊も必死で遮二無二反撃してくる事もある。こうなると、もう策も何もあったものではない。味方の損害を抑えつつ、少しずつ進んで行くしかないのだ。


「私の隊が向かいます。他の大隊は現状維持。」


通信兵に手短に伝え、直隷の第1大隊を率いて進む。つい昨日の夕方制圧したばかりの地域を駆け足で進むと、視界に無数の敵兵士の死体が入ってくる。昨晩辛うじて処理できたのは味方の死体だけ。敵兵の死体まで片付けてやれる余裕は今の我々には無い。廃屋の間を抜け、瓦礫の山を越えて通りに出た。


銃声が大きくなってきた。孤立した第7大隊は建造物に立て篭もって抵抗を続けているようだ。二階から外へと銃撃を加えている兵士が見えた。ここからでは見えないが、どうやらその下に天上の部隊はいるらしい。斥候の報告もその通りだった。


「煙幕を擲弾、一斉射撃。その後で斬り込みます。抜剣。」


天上側の銃の性能で考えると、こうやって近付き、その後は剣に頼るのが古典的ながら一番確実な方法だと私は思う。幸い敵側はまだ我々に気付いていないし、以前から部下には剣の腕を磨かせてある。白兵戦になれば圧倒的に有利なはず。ただ、銃の撃ち合いになると部が悪い事の裏返しでもあるのだが。


ベテランの擲弾兵達が煙幕弾を投げる。飲料水でも入っていそうな小さな缶が回転しながら大きな弧を描いて飛んで行った。地面に当たった金属音と同時に天上兵のざわめきが聞こえた。


私が黙って小隊長達に目配せをすると、無言のまま姿勢を低くした兵士達が次々と白煙を目指して駆けて行き、姿も見えない敵兵へ一斉射撃を加える。奇襲に混乱しつつも敵兵が反撃を試みるが、既に私の部下達は白煙の中へ斬り込んでいた。私も続く。


「第7大隊の救助を優先する。深追いするなっ!!」


叫ぶ間にも天上兵を一人斬った。食糧不足で体重の軽い天上兵は一太刀で折れるように伏し、そのまま動かなくなった。驚くほどに返り血が少なかった。一ヶ月前に斬った天上兵よりも、もっと軽い気がしたのは気のせいではないだろう。驚きで思考が一瞬止まると、敵兵に背中を取られていた。しかし、兵士もすぐに同じように倒れた。


「マイナード少将、ご無事ですか?」


蒼髪を長く伸ばした若い少尉。士官学校を卒業し、第7大隊に先日配属されたばかりだった。我々の斬り込みに合わせて立て篭もっていた廃屋から飛び出して来たのだろう。右手に血みどろの剣を提げていたが、他には何も持っていなかった。


「君、銃は?」
「置いてきました。」
「どうして?」


周囲の叫び声にかき消されそうになって、私は大きな声で彼に問うた。現れた敵兵をまた斬る。生き物とは思えないぐらい乾いた感触が手に残る。また、と思って構えた相手は味方で慌てて剣を止めた。煙幕の中の混戦は同士討ちが多い。


「手が震えてしまって。」
「は?」
「手が震えて弾が込められなくなったので、置いてきました。」


殆ど怒鳴るように彼が言った。横目で彼を見た。さっきから見事な剣捌きを見せて敵兵を薙ぎ倒している彼の足は、言われなければ気が付かないくらい、微かに震えていた。














第7大隊の被害は大きかった。ハインケル隊の砲撃から逃れようと西部から移動してきた敵大隊と遭遇してしまったらしい。待ち伏せされたと勘違いした敵部隊が進退窮まって必死の攻撃を試み、中隊長以上の幹部が会議の為に集まっていた指揮所を強襲。大隊幹部は全員戦死、小隊長がそれぞれ指揮を執って抵抗したとのこと。


「そうですか。」


呼びつけるのもと思い、こちらから出向いて先程の少尉から話を聞こうとした。戦闘中は紅潮していた彼の頬はすっかり青白くなっていて、見回すと周りの兵士も同様だった。部屋―先程立て篭もっていた廃屋の二階、彼らの今夜のねぐらになる―には沈痛な空気が漂っていた。彼らの前で今日の戦闘の話をすべきでない。そう思って私は彼を連れて部屋を出て、空き部屋で話を聞いた。


「遺体の収容はこちらでどうにかしました。」
「・・・ありがとうございます。」
「半数程度ですね、残った兵は。」
「はい、小隊長も4名。」
「第1小隊長も重傷で後方移送となりました。」
「・・・・・!?」
「厳しい状況です。」


少尉は驚きで言葉を失っていた。表情が無かった顔が一変して困惑と不安が浮かぶ。小隊長は九人。ベテランの四名が戦死、一名は重傷で後方移送にされた。残り四名の小隊長は皆、先日配属されたばかりの新任少尉だが、彼らが第7大隊を指揮していかなければならない。


「ティンバー少尉でしたね。」
「は、はい。」
「野戦任官で少佐、大隊長を務めて貰います。」
「・・・・・・・私が、ですか?」
「君の希望を聞けず、申し訳ない。」


他から将校を回したい所だが、他の大隊も消耗が激しく人を割けない状況だ。小隊長は各小隊の下士官を充て、残りの少尉に中隊を任せることとなる。不安はあるが已むを得まい。


士官学校を卒業したかと思えば急に最前線で血みどろの市街地戦をやらされ、半ば壊滅の大隊を任される。無理かもしれないが、やって貰わなければ困る。戦力を減じたとは言っても第7大隊を欠く訳にはいかないし、指揮官がいなくては敵に殺されるだけだ。


「やって貰えますね。」
「・・・・・・・。」
「・・・・・・・。」
「マイナード少将。」
「何ですか?」
「質問があります。」
「ええ、どうぞ。」
「新任少尉は4人います。何故私を?」


野戦任官で昇級した者の反応は二通り。喜ぶか困るか。でも、質問をしてくるのは珍しい。されるとは思っていなかったので、尤もらしい答えを用意してはいなかった。だから、正直に答える。


「主観と直感です。」
「・・・・・・・・。」
「君が大隊長に適任だと直感的に感じた。」
「・・・・。」
「無責任だと自分でも思うけれどね。」
「・・・・・・・・いえ。」


彼は少し俯いたまま首を横に振った。口元を固く結び、歯を食い縛っているのが分かる。良く耐えている。今日あんな戦闘をしてすぐ大隊長になれと言われて、並の者なら喚き散らしたりしている所だろう。しかし彼は今後自分に掛かるだろう責任を想像して押し潰されそうになりながら戦っている。良い青年だと思った。


「少将。」
「ん?」
「拝命、致します。」


彼が顔を上げた。綺麗な青い瞳をしていた。「あぁ、この感じだ」と私は思った。良い部下と巡り合う時にはいつもこの感覚があり、同時に罪悪感が沸く。歳の割には長く指揮官をやっているお蔭か、私は何となく自分に付いて来てくれそうな部下が分かるし、部下が自分に従う事を決めた瞬間を感じる事が出来る。今が丁度、その瞬間だった。


「不安ですか?」
「・・・・・・・いえ。」
「震えています。」
「・・・・・いえ。」
「座ろうか。」


転がっていた椅子を起こし、埃を払って腰を掛けた。彼にも同じようにするよう言って、椅子に座らせた。彼は戦場で剣を振るっていた時よりも震えていた。第7大隊長、少佐の肩書きが想像よりも重く、彼に圧し掛かっているのだろう。哀れで、また申し訳なかった。


「私は、親族と疎遠で。」
「・・・はい。」
「だから、情報部を家族と思っているんです。」
「その話は、大隊長から。」
「・・・良い部下で家族でした、彼も。」


ポケットから煙草を取り出し、マッチを擦って火を点けた。久々に吸わなければやっていられない気分になっていた。それを黙って彼が見詰めていた。白い煙が自分の口から昇る。シャルティエが来てから吸わないようにしてたんだけどな。


「家族だから、皆、頑張ってくれるんです。」
「はい。」
「頑張って戦って、死ぬんです。」
「・・・・はい。」
「家族だから死んで欲しくない。」
「・・・・・・・・。」


たまに、部下を奮戦させる為に「家族」なんて言っているだけなんじゃないかという気になる。自分の事を慕わせるのは部下を戦わせて、死なせる為なんじゃないかと思う。違うと否定したいけれど、否定できる材料なんてなくて。


「君も、家族なんです。」
「・・・・・。」
「本心なのか、無理をさせる口実なのか。」
「・・・・・・。」
「自分でも良く分からないのだけれど。」


沈黙が流れた。彼は沈痛な表情で私を見ていた。哀れな彼は、こんな私を見捨てずに戦うのだろうと思い、さらに胸が痛んだ。


「少将。」
「・・・・・・・。」
「質問しても構いませんか?」
「・・・どうぞ。」
「何故、私にそんな話を?」
「・・・・。」
「・・・・・・。」
「君の同情を引いているのかも知れない。」
「・・・・・・。」
「すまない。」
「・・・・少将。」
「・・・・・。」
「私は家族がいません。」
「そうでしたか。」
「嘘でも、口実でも、良いんです。」
「・・・・・。」
「家族だからだって、言って頂けませんか?」


顔を上げて彼を見る。
真面目な表情の中で、青い瞳が、怖いぐらいに優しかった。


「・・・・・家族だから、です。」
「ありがとうございます。」
「・・・少佐。」
「はい。」
「ありがとう。」


外は冷たい風が吹いていて、暖房も何も無い部屋は寒くて堪らない筈なのに、何故だか心が温かくて、油断をすると視界が滲んでしまいそうだった。だから私は、嬉しさを抑えて笑って、彼にお礼を言った。


「止して下さいよ。」


彼が困ったように笑うだけで私は少し救われていた。彼と居るだけで、自分を苛むだけだった自分が変わっていける気がした。


「家族じゃないですか。」


笑顔で応える彼の優しさに溺れてしまいそうな自分が居た。
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