例えば士官学生



後に歴史に名を残す「英雄」にも、普通の学生生活がありました。
これは、或る二人の士官学生が出会い、絆を深めていく物語です。


 ディムロス=ティンバー&カーレル=ベルセリオス



act.1


彼はいつも早く来て、日当たりの良い窓際の前の方の席を取っていた。たまに私が早く来た時は、彼が一番で私が二番目だった。選択科目も重なっていたようで、いつからだったか彼の背中を確認する所から私の一日は始まった。


今考えると可笑しな話なのだけれど、彼の存在を認識してから暫く、私は彼の顔を知らなかった。彼は一番早く来て熱心に無味乾燥な講義に耳を傾け、丁寧にノートを纏めたりしてから一番最後に教室を出ていたから、その二列ほど後方でそこそこ真面目に講義を聞き、さっさと教室を後にする私は彼の背中しか見たことがなかった。


結局彼の顔を初めて見たのは、実技講義で11式小銃を分解して組立て直す作業を二人一組でやった時だったと思う。作業室に来た順番に番号を振られたから、私は彼と組む事になった。



act.2


「はじめまして。」


長机の斜向かいに座り、軽く会釈して微笑した彼は「ベルセリオス」と名乗った。多分、その時に交わした言葉は殆んどなくて私の方は名乗り損ねたぐらいだったけれど、今でも彼の容姿については何故か良く憶えている。ゆで卵を剥いたような肌に大きく丸い瞳が柔らかく光っていて、鮮やかな紅紫の髪が豊かに伸びていたのだった。


後姿しか知らない彼に対して、私が一体どんな想像をしていたのかは今となっては記憶にないが、多分、思い描いていた勝手な彼のイメージと大きく隔たっていたから記憶に残ったのだと思う。


彼への興味はその日から一層増した。興味に特に理由があるはずもないけれど、敢えて言うなら彼は一種独特の雰囲気を持っていて、とにかく私は気になったのだ。多分親しくなれるような予感もしたのだろう。しかし、私は昔から人付き合いに積極的な性格ではなかったから、自分から彼に話しかけるようなことは出来なかったし、彼は勿論今まで通り静かに日々を過ごしていた。偶然が一度あったのだから、きっともう一度あるだろう。そう思って私は、次の偶然を彼の後ろ姿を毎朝確認しながら待っていた。



act.3


都合良くすぐに偶然が起きたりはしなかったが、それを待つ毎日は妙に楽しかったような気がする。朝は今日こそ何かの弾みで話せるだろうかと期待を膨らませ、夕刻にはいつも通り期待が裏切られたのを残念がった。もう私は毎日二番目に教室に来るようになっていた。彼より早く来る事もしようと思えば出来たとは思う。でも、それはしなかった。私はただ、偶然がやってくるのを待っていた、しっかりと身構えて。


待ちに待った偶然がやってきたのは半月ほどした頃だった。いつも通りの時間に教室へと廊下を歩いていると、教室の扉の前に彼が立っていた。彼は廊下の掲示板をぼんやり眺めていた。私は何故彼がそんなところにいるのか分からなかったが、その後ろを通り過ぎて扉に手を掛けた。合点が行った。扉には鍵が掛かっていた。


「まだ開いてないみたいですよ。」


ドアノブを捻る音でこちらに気付いたのか、彼はこちらに視線を移していた。思ったより唐突に待っていた偶然が来てしまって、私は内心で狼狽したのだったが、外からは見えないように努力したつもりだった。


「あぁ、なるほど。」


やりとりはそこで切れてしまった。もう少し続きやすい感じに返事をしたら良かったかもしれないと後悔しながら、開かないドアに背中を預けた。あんなに何かきっかけが欲しいと思っていたのに、何も喋りだせなかったのがとても私らしいと思う。


彼の視線はもう掲示板に戻っていた。沈黙の中、何処からか入ってくる隙間風の寒々しい音がした。隕石衝突以来の気候変動と天上都市の所為で、当時は五月でも相当に寒かった。



act.4


「この前は、どうも。」


どうしようもなく半端な形で口火を切ったのは私だった。いかにも喋るのが下手な人間の切り出し方だし、何がどうもなのか全く分からない。その言葉を受けた彼はゆっくりとこっちを向くと、少し目を大きく開いて眉を上げた。これは彼の少し驚いた顔だったらしい。その後で、あぁ、と軽く頷いて彼は笑った。


「苦戦してましたね。ネジも無くしそうでしたし。」


忘れて良い事も含めて、彼は私を良く憶えていたようだった。ふわふわした見た目の割に彼ははっきりとした声をしていたが、喋り方には雰囲気と共通する丸みがあって、きつさが感じられなかった。ただ、この話題は少し失敗だったようにも思えた。


「実習は苦手ですか?」
「・・・不器用なので。」
「なるほど。見た目通りですね。」


彼は何故だか満足そうに笑って頷いた。厭味にも聞こえそうな発言だったのに、思ったほど悪い気はしなかったのが不思議だ。痘痕も笑窪?少し違うか?取り敢えず、頭の切れそうな好青年という感じの見た目とは少し違うのは良く分かった。おっとりしているというか、鈍いというか、独特のペースを持っているように感じられた。


「朝、早いんですね。」
「ええ、良い席が取りたくて。」
「日当たりの良い?」
「ええ。日差しがあると寒さも幾らか和らぎますよ。」


そう言ってから彼は掌を擦って、廊下は冷えますね、と笑った。良く笑う人だな、と思った。笑っている人といるのは気分が良いな、と思った。他の友人も勿論笑うけれど、彼みたいに暖かく笑うのはあまり見ない。寒いと言いつつ暖かく笑うのは、何だか可笑しくて良い。


「貴方も、早いですね?」
「ええ、私は・・・何となく。」


無意識なんだろうけれど鋭い質問だった。正直言って答えに窮した。私は彼との関わりが持てるかな、と期待して早く行っていた訳だけれど、それを表立って本人に言えるほどに大胆な性格ではないし、誤解――そもそもどういう誤解だ?――を恐れない性質でもなかった。


彼は大きな瞳を私の顔へ向けたまま、ふーん、と笑って頷いた。さっきから良く上下に動く首だな、と思った。彼は制服の下に薄手のタートルネックを来ていたから首自体は見えなかったけれど。彼の表情には訝しむ様子はなかった。ただ、彼の納得する様子が妙に嬉しそうなので少し反応に困る。


「ふーん・・・何となく、ね。」
「ええ。」
「じゃ、早く来て何かしてる訳じゃないんですか?」
「あー、まぁ。」
「・・・なるほど。」


そうして同じように、彼は嬉しそうに笑って頷いた。釈然としない気持ちながら、何となく釣り込まれて嬉しいような気持ちにさせられてしまった。本当に彼は不思議な人だ。丁度、用務員の人が来て、教室の鍵が開いた。他の学生もやってきた。彼は私に軽く一礼すると、いつもの通りに指定席へと急いだのだった。私はまた名乗りそこなってしまった。



act.5


翌日私が教室に行くと彼は振り向いて、おはよう、と二列後ろの私に声をかけてくれた。私も挨拶を返すと、彼は読書に戻った。何日かこんな朝の挨拶が続いた。おはよう、と私から挨拶することもあった。もう二言三言くらい他愛ないようなことを話すこともあったけれど、私達が言葉を交わすのは朝の数分二人きりの時だけだった。


「あ、そういえば。」
「ん?」
「名前・・・。」
「名前、ですか?」
「私の。」
「あぁ、アナタの。」
「言ってなかったな、と。」
「ディムロス=ティンバーでしょう?」
「・・・!?」
「カーレルです。」
「?」
「ファーストネーム、私の。」


少しずつ親しくなるのだけれど彼は不思議さを失わなかった。ファーストネームをわざわざ教えたのは呼べと言うことだろうか、と彼の一挙一動に関して私は相変わらず考察せざるをえず、しかも考えても結局彼が何を考えているのかはいつも分からずじまいだった。



act.6


翌朝。聞いたからには呼んでみようと思いながら、教室への道を歩いた。私達は二人でいるのだから、わざわざ名前を呼ぶ必要なんてないのだけれど、何だろう、彼を身近に感じられたら嬉しいだろうなと、そう思ったから。なるべく静かに教室に入り、彼の背中を見つけた。


今日は日差しが弱いのか彼の指定席は日溜まりにはなっていなかった。まだ彼は私に気付いていない。掴み所のない彼に翻弄されてばかりだから、こうして気付かれずに見ていることに少しの優越感を覚えていた。


「カーレル。おはよう。」
「・・・。」


若干ぎこちなく声をかけると、彼は黙って振り向いて目を瞬いた。少し眉が上がっていて、驚いた顔だと私は分かった。それから「んー」と小首をかしげて視線を泳がせ、何やら考えている様子。いつもと違い、うんうんとは頷かなかった。 


「何ででしょうね?」
「ん?」
「名前を呼ばれて、妙に嬉しいんですよ。」
「そうか。」
「そうなんですよ。」


気が付いたら、彼は笑顔だった。なおも「何でかなぁ」と首を傾げていた。今日は首を横に曲げる日らしかった。

「ねぇ、ディムロス。」
「うん?」
「呼んだだけです。」
「何だかなぁ。」
「呼ばれて、どんな気持ちですか?」


多分、私も「妙に嬉しい」気持ちだったのだと思う。ただ彼ほど表現力が豊かでない私は、それを言葉に出来なかった。 だから、私は彼を見つめながら「んー」と首を傾げて、それから零れるように笑った。彼は、やっと満足げに頷いた。



act.7


一学期のテストが迫る6月。士官学校という厳しい名前がついているものの、学校であることには変わりなく、教科書のページで試験範囲が指定され、それぞれが山を張り始めたものだった。何だか高校時代と変わらなくて調子が狂った。実際、あの試験が役に立ったかと考えてみると大分と怪しいものがある。しかし、試験がなければ勉強しない人もいるようだから仕方ないかも知れない。私も、どちらかと言えばそういう種類の学生だったと思う。


「参謀本部制度の父。」
「えーと、モルトケ。」
「南北戦争における南軍の司令官。」
「・・・グラント?いや、リー?」
「どっちですか?」
「んー・・・。」
「どっち?」
「リー?」
「自信がないと顔に出ますね。」
「・・・正解は?」
「良い勘です。正解。」
「当てずっぽうで悪かったな。」
「正解は正解。兵は勝つを尊ぶ、ですよ。」
「孫子。」
「良く出来ました。」


一緒に試験勉強をしようと言いだしたのは彼の方だった。放課後に教室に残り、互いに問題を出し合った。いつも真面目に授業を受けているだけあって、彼は試験勉強が要らないくらい良く出来て、お陰で教えてもらう感じになってしまっていた。



act.8


「んー。」
「何か疑問でも?」
「いや。」
「じゃ、どうしました?」
「何か悪いな。」
「記憶力が?」
「・・・。」
「冗談ですよ。」


彼は意外と良く喋る上に、面白い人だった。ただ、たまに出る冗談の意地が悪くて閉口した。私には全く彼の弱点が見つからないのに、彼はすっかり私の弱みを掴んでしまっていた。


「それで、何です?」
「やっぱり止す。」
「拗ねないで下さいよ。」
「別に拗ねた訳じゃ。」
「じゃ、何なのか話して欲しいな。」
「・・・教えて貰ってばかりだから。」
「はい?」
「カーレルに教わってばかりで悪いな、と。」
「なんだ、そんな。」
「いや、だってなぁ。」
「気にしないで下さいよ。」
「私は気になるんだ。」
「んー。」


困りましたね、と彼は言うのだが、全然困ってはいないように見えた。どうして彼はこんなに余裕があるんだろう、と思った。よく考えると彼はマイペースだっただけのような気もするが。


「世話になってばかりなのは性に合わないと言うか、居心地が悪い。」
「んー・・・。」
「ん?」
「ディムロスに勉強教えられて嬉しいんだけどなぁー。」
「・・・。」
「嫌だった?」
「そうは言ってない。」
「んー。」
「ん?」
「じゃ、何かお礼をくれるってことかな?」
「んー?」
「一方的に世話になるのが嫌なんでしょう?」
「あぁ。」
「じゃ、そうじゃない?」
「それは、うん?まぁ、そういうことになるのか?」
「よしよし。」
「ん?」
「楽しみ。」
「あんまり期待されてもなぁ。」
「何でも良いですよ。」


私から貰う物自体より私から何か貰うことが楽しみなのだと、とカーレルは言った。私は捻くれ者だったかも知れない。そういうことを言われて、ますます何か良い物を彼にプレゼントしてやりたくなってしまったのだから。


act.9


試験は、悪くない出来だった。カーレルに教わった近代戦史は意外なほど点が取れたし、自信があった基礎用兵も良い評価を貰えた。カーレルは首席だったらしい。本人から聞いたのではなく、同級生が嫉み半分で噂してるのを聞いただけだから確かではないけれど。


同時に「せいぜい首席で学校出て出世したら良いさ」とか「親が軍幹部だから優遇されてんだよ」なんて、心ない中傷も耳に入った。彼が悪く言われるの聞くのは良い気分がしない。陰口自体がそもそも性に合わないけれど、何だろう、彼と話したこともなければ、笑った顔を見たこともない人間が憶測で彼について話すのは気分が悪い。彼を弁護してやれない自分が情けないのと同時に彼の良さを私しか知らないんだと優越感に浸る自分が少し嫌だ。


「どうでした?」
「お蔭様で、悪くはない。」
「ふふ、優秀な教え子で鼻が高いな。」
「お前こそ、試験良かったんだろ?」
「・・・まぁ。」
「あまり、噂を気にするな。」
「ありがとう。大丈夫ですよ。」


苦笑する彼に、何だかすまない気持ちになる。聞くと、やはり彼の成績はとても優秀で噂通りだった。彼の成績は彼の能力と真面目さによるものだし、隠すこともひけらかすこともしない。私は彼を尊敬している。


「さて、何かお礼をしなくてはな。」
「まだ憶えてたんですか?」
「当たり前だ。何か欲しい物はないか?」
「んー、あるかなぁ。」
「何かないのか?」
「尋問みたい。」
「良いから、さっさと決めてくれ。」
「何でも良いんですか?」
「高いものじゃなければな。」
「んー・・・。」


彼は思いついたように口を開いた。私はそれを聞いて、複雑な気持ちから顔をしかめた。私を困らせて嬉しかったのか彼は盛大に笑った。



act.10


時計を見る。あと20分あった。久々に掃除をした。元から散らかっている訳ではなけれど、一人で暮らすには少し広すぎる家は案外埃が溜まっていて、一度片付け始めると規模を徐々に拡大していかざるを得なくなってしまっていた。おぼろげな記憶だけれど、母は綺麗好きな人だった。私は父に似て、あまり部屋の整頓には拘らない大人になりつつあった。全部終わって手を洗っていたら錆びた呼び鈴の音が聞こえた。ドアを開けると、彼がいた。時間より5分早い到着だった。


「お邪魔します。少し早かった?」
「いや、問題ない。」


彼はいつもより一枚多く上着を羽織っていて、細い身体が若干もこもこしていた。学校以外で彼と会うのは初めてだったのを思い出した。彼の白い頬には少し赤みが差していて「寒くて参りますね」と笑っていた。七月だというのに外は雪でも降り出しそうな寒さが続いていた。この気候も、私には珍しい物ではなかった。カーレルは家に入って一言目に「広い」と言って辺りを見回した。15年前までは三人家族が、12年前までは父子が二人で住んでいた家だから、男一人が住むには広くて当然だ。


「で、夕飯は?」
「鍋をしようと思って。」
「あー、いいじゃないですか。」


試験勉強の手伝いのお礼に要望されたのは、夕食だった。勿論彼とて外で高いものを食べさせろというつもりではなく、私の家に押し掛けてみたかったのだそうだ。少し困ってしまったけれど、断る理由も無いし、彼と一緒に夕飯が食べられたら楽しいだろうと私も思った。


誰かと一緒に夕飯を食べるなんて何年ぶりだか分からなかったから、何を作ったら良いやら分からず片付けをしていて見つけた土鍋を使うことにした。これを使うのも、多分10年くらいぶりなんじゃないだろうか。父は得体の知れない肉や魚を何処からか貰ってきて、得体の知れない美味しい鍋を作るのが趣味だった。母は父の凝り性な所に閉口しつつも、味を細かく辛口に評価していた。


昔を思い出して、私が少し感傷的な顔をしていたからかも知れない、彼は何も言わずにダイニングの椅子から私を見詰めていた。私が黙って鍋を用意する間ずっと、彼は静かに私を見ていた。彼の方は見なかったが、彼の視線が私に向けられているのは何となく分かった。どうしてだか、とても居心地が良かった。


「いただきます。」
「いただきます。」


美味しい、と彼は笑ってくれた。今日の私は何だか変で、その一言が妙に響いて、嬉しいのに何だか泣けてしまいそうで、変な顔をしてしまった。彼はそれを笑うことなく、ただにこにこしながら箸を進めた。彼は私の違和感に気付いていたと思うけれど、気遣ってくれていたのだろう。胸が一杯で、鍋の味は良く分からなかった。きっと、誰かとこの家で一緒に居るのがあまりに久しぶりだからだろうと思う。



act.11


カーレルは夕食の片付けを手伝ってから、雪の中帰って行った。部屋は余っているから泊まっていくように薦めようとも思ったけれど、その日の私は妙に感傷的だったし、翌日も学校だったから止めておいた。カーレルにあまり気を使わせても悪いし、誤解を与えても――だから、一体どんな誤解なのだ――いけないだろうし。


「また明日」と手を振るカーレルを表で見送ってから家に入ると、一層広く感じた。だいぶ掃除したから綺麗になったが、その分12年前から時間が止まったかのようだった。時間が動いているのを感じさせるのは、12年で高くなった自分の目線。とっくに背は母を追い抜いて、父に並んだんじゃないだろうか。両親の写真は手元に無いから、二人の背がどれくらいだったかは幼い記憶に頼るしかないけれど。


あぁ、一枚だけあったな。


そう思い出して部屋の隅に放られていた通学鞄を開けて、現代戦史の教科書を取り出す。第一章は二度の北部内戦、第二章から天地戦争の記述が始まる。その冒頭のページに私の父の大きな白黒写真が載っていて“トマス=ウォーラ、天上都市奪取及び天地開戦の中心人物として連邦軍少将ミクトランの下で活躍し、以降天上側の重鎮として天地戦争を指揮。”と簡潔な説明がされていた。


私の微かな記憶では、父は妻思いで息子思いな普通の父親だった。どうしてミクトランに味方して天地戦争を起こしたのかは良く分からない。地上側に残った父の同僚達は、大病を患った私の母の治療費をミクトランが肩代わりした恩に報いようとしたのだろうと言っていた。


それが本当なのかも、私には良く分からない。ただ私は、父が起こした戦争を止めたいと思っている。同時に、亡くなった母の墓と息子の私を置いていった父の真意を、直接問いただしたいとも。恨んでいる訳ではない。父が私や母を大切に思っていたことは知っているから。父は私に、天上軍幹部の息子と知られると苦労が多いからと母方の姓を名乗るよう書き残していた。そして12年間、毎月十分な額の仕送りが匿名で送られてくる。


「父さん、友達出来たよ。」


教科書の写真を見つめながら一晩を明かした。



act.12


寒さがまた徐々に厳しくなる9月。寒さに秋雨(雪ではないのが救いか)が拍車を掛ける。寮が遠いカーレルは、雨の日に時たま私の家に寄った。そうなると自然に夕食を共にし、一緒に過ごす時間が増え、お互いに雨がそう嫌でもなくなった。「雨」だとか「テスト勉強」だとか口実が無いと一緒に過ごせないのが可笑しくもあり、口実を探すのが楽しくもあった。


「雨宿りのお礼」と掃除が始まり、もう何年も使わなかった部屋も二人で少しずつ綺麗にした。止まっていたこの家の時間が動き始めたかのように思えた。掃除で汚れたり、雨に濡れたり、と言った時の為に私の部屋の箪笥にはカーレルの着替えが置かれた。じわじわと私の生活に、時に図々しく時に控えめに彼が浸透していくのが嬉しかった。


両親の部屋を掃除する時、私は両親の話をした。雑巾で壁を丁寧に拭きながら、彼は私の話を聞いてくれた。母が病気で亡くなった事、父の上官だったミクトランが助けてくれた事、父が天上軍加わった事、父がトマス=ウォーラだという事。多分誰にも全てを話したことはなかったと思う。初めて話したのがカーレルだった。彼は地上軍の士官学生で、噂に寄れば父親は地上軍の幹部だと言うのに、そんな事は忘れてしまっていた。
話の途中で気付いたものの、今更遅いと思って全て話してしまった。彼が壁を拭く音、私が床を拭く音だけが聞こえる。部屋の空気の重さに耐えかねて、私が口を開いた。


「すまない。」


言わなければ良かった。天上軍の幹部の息子と親しいなんて彼の立場を悪くするだけなのに。いや、知らなくてもいずれは露見すること。なら最初から彼と親しくなんかならなければ良かった?もっと早いうちに言ってしまえば良かった?言おう言おうと思っていたのに、彼との関係を壊すのが嫌で言えずにいた。だったら隠し通せば良かったのに、彼なら受け止めてくれるような気がして、期待をしてしまって言ってしまった。彼の立場を考えれば、とてもそんなことは出来ないのに。


「謝らないで下さい。」
「・・・・・。」
「・・・怒らないでくれますか?」
「え?」
「お父様のことは知っていました。」


驚いて振り返ると、彼が申し訳無さそうにこちらを見詰めていた。


「最初は知らずに貴方と親しくなりました。」
「では、いつ?」
「7月頃、貴方の話を父にした時に。」
「お父上と言う事は・・・。」
「父が地上軍幹部だと言う噂は?」
「・・・ああ。」
「私の父は、メルクリウス=リトラーと言います。」


私はその人を知っていた。父の大切な友人の一人。そして天上王ミクトランの親友。現在の地上軍総司令官。病床の母をミクトランと一緒に何度も見舞いに来てくれた。父がミクトランに従って天上へ行った後は、何度も一人になった私を訪ねてくれた。カーレルに良く似た、とても柔らかい空気を纏った優しい人。


「知っているのに黙っていてごめんなさい。」
「いや、そんな。」
「出来れば、貴方の口から聞きたかったんです。」
「・・・・・・・・・。」
「聞かせて貰えて嬉しかった。」
「・・・そうか。」


彼が笑顔を見せたから、私も自然と笑顔が零れた。


「貴方が元気だと知って、父は喜んでいました。」
「そうか。」
「幸せになってほしい、と。」
「私に?」
「ええ。貴方に。」
「・・・そう思って貰えるのは、ありがたいな。」
「軍人を目指している事については複雑そうでした。」
「そうか。」
「まっ、私も反対されました。」
「はははっ。」
「自分も軍人の癖にね。」
「なぁ、カーレル。」
「なんですか?」
「私は今でも幸せなんだけれどな。」



act.13


10月の連休、彼が珍しく泊りがけで実家に帰ることになった。知り合って半年になっていたが、多分そんなことは初めてだったと思う。どうやら彼の双子の妹が軍人になると言って親御さん、つまりリトラーさんと揉めているらしかった。妹さんの説得を手伝うようにと言われたようだが帰ってこさせる口実だったのかも知れない。


「ディムロスは予定有りますか?」
「いや、特に。」


友達付き合いが上手いとは言えなかった私には彼以外に一緒に休日を過ごすような人はおらず、彼が留守なら休日はのんびり家の掃除でもしようなどと考えるぐらいだった。


「そう、ですか。」


視線が泳いだ。彼らしいマイペースさのない仕草を不審に思って、しげしげと様子を窺う。困ったように視線を外した彼は誤魔化すように昼食のマッシュポテトを口に運んだ。


「どうした?」
「えーと、その・・・。」
「うん。」
「父が貴方に会いたがっていて・・・。」
「え?」


繰り返すようだが念のため言っておくと、彼のお父上は地上軍総司令官であるメルクリウス・リトラー大将だ。そして私は天上軍参謀総長の息子。息子同士がこうして親しくするのも如何なのだろうと思うことがあるのに本人に会うなんて、大丈夫なのだろうか?


「私の話で貴方に興味を持ったらしくて。」
「私について?何を?」
「・・・・・・え、その・・・。」


今日のカーレルは困った顔が多くて面白い。いや、面白いというか、楽しいというか・・・その、可愛い?


「・・・優しくて温かい人なんだ、とか。」
「・・・・・・。」
「一緒に居て楽しいとか、色々です、けど。」


言いながら恥ずかしそうに俯く彼。面と向かって褒められたような気持ちになって私も顔が熱い。にやけてしまわないように押さえるだけで何も言えなくなってしまった。


「そんなに良い友達なら紹介して欲しいって言われたんです。」


それから彼は「私も、大事な友達だから家族に紹介したいなって思ったんです。だから嫌じゃなければ・・・」と私の反応を窺いながら言葉を続けた。その時、私も同じだろうなと思った。私には家族がいないけれど、もしも近くに居たらこんなに素敵な人が私と親しくしてくれているんだと自慢したくなった事だろう。


「お父さんを失望させないように頑張るよ。」
「え、じゃあ・・・。」
「緊張するね。」


困った顔も確かに可愛かったのだけれど、やっぱり嬉しそうに笑っている顔が一番だなと思った。と同時に彼のお父上に会う瞬間を思って早くも緊張してくる。それは、勿論、好印象を持って貰いたいし・・・。


何でそれが「勿論」なのかの理由は分からないまま、父親の大事な友人として出会った人と、大事な友人の父親として再会する日を落ち着かない気持ちで待った。



act.14


11月になっていた。雪の降る日が多くなり、所々で積り始めていた。


カーレルは随分ともこもこした、見ているこちらの肩が凝りそうになるコートを羽織ってやってくる。昨日、彼が衣替えの為に実家に帰って取ってきたものだ。私も手伝いに行って、段ボールの箱を二つほど抱えてきた。


「重くないのか?」
「大丈夫。暖かいですよ。」


半ば呆れて聞いてしまったが、そんなことは意に介さず冬用のコートに上機嫌な様子。こちらもつい、それなら良いか、と穏やかな気持ちにさせられてしまう。


「ディムロスも着てくれば良かったのに。」
「あれが必要なほど寒くは感じなかったから。」


リトラーさん(そう呼ぶようにと本人に言われた)が私にお古をくれたのだが、私の感覚からすると真冬用のコートにはまだ早いような気がする。リトラーさんも「まだ暫く出番はないだろうが」と言いつつ出してくれたので、やはりカーレルが特別寒がりと言うことになるのだろう。


「父には少し派手でしたけれど、きっと似合いますよ。」
「あと二月もしたらお世話になるかな。」


二度目に訪ねた時も、リトラーさんは大変暖かく迎えてくれた。一度目は私も緊張してしまって良く覚えていなかったのだが、今回は多少落ち付いて色々な話が出来た。お互い複雑な気持ちはあったが父やミクトランのことや戦争のこと、それとカーレルのこと。


「どうしました?」


カーレルが席を立っている間に、彼ら兄妹がどうしてリトラーさんに育てられているのかを聞かされた。血が繋がった親子でないことは想像がついていたし、何だか良くない話だと予想が出来たから本人には聞かなかったが案の定、今こうして優しい笑顔を見せているのが信じられないような辛い話だった。


「何か難しいこと考えてません?」
「あ、いや、何も。」
「ふーん。」
「その・・・妹さんに嫌われてるのかな、と思って。」
「あっ、いえ、そんなことはないと思うんだけれど・・・。」


考え事が顔に出てしまうのが私の悪い癖だ。すぐに話題を変えると、彼は慌ててそれを否定した。前回も昨日も、夕飯は後で食べると言って出てきてくれてなかった。だから私はまだ彼女と会っていないし、話してもいない。カーレルが呼びに行ってくれたようだったが結局部屋に閉じ籠もりきりだったらしい。


「人見知りが激しい子で。気に障ったならごめんなさい。」
「いや、気にはしていないよ、大丈夫。」
「私の友達が来るなんて初めてだから、戸惑ったんだと思います。」


これは私の邪推だけれど、兄が友達と仲良さそうにしているのが面白くなかったのではないだろうか。彼と妹さんはとても仲が良い兄妹なのだと言うから。逆に、目の前でカーレルと妹さんが仲良さそうにしていたとしたら、私も何となく複雑な気持ちになるだろうし・・・。


「ん?」
「どうしました?」
「あ、いや、何でもない。」
「おかしいですよ、今日のディムロス。」


今日ならずとも、最近の私はおかしい。



act.15


年末は地元へ帰る学生が多かったが、リトラーさんも忙しく、妹さんも不在−結局、軍の技術学校へ無理に入校してしまったらしい−ということなのでカーレルは休みの殆どを私と一緒に過ごした。


私が彼と親しくすることについて、将来の為に人脈を作っているんだと陰口を叩く人間がいると彼は眉を顰めていたが、私は全く気にならなかった。私にその気がないせよ、実際地上軍総司令に気を遣って貰っているのだし、私の素性が露見しない限り彼に面倒が及ぶことはないと分かっていたからだ。


「皺を寄せるなよ。」
「寄せたくもなりますよ。」


むくれた様子のカーレルは何と言うか愛嬌があって、本人には悪いと思うものの笑みがこぼれる。つい、膨らませ気味になっている彼の頬を指で突いてしまった。


最近、少しスキンシップが過剰だと思う。お互い何かの流れで互いに触れる訳だが、どうも友人同士のそれにしては触れ方が妙に柔らかいものになってしまう。加えて、寒がりな彼は何かにつけて私の傍に寄りたがったし、私の長い髪をいじろうとしたし。


「カーレルだって普段色々言われているだろう?」
「育ちが特殊なのは事実ですから。」
「成績の件は?」
「それも事実ですから。」


彼は私の髪を人差し指にくるくると巻き付けながら口を開いた。後半の問いへの答えは、少し澄ました笑いを含んでいて私も苦笑してしまった。後期試験でもカーレルは素晴らしい評価を並べたのだが、それについて私の前でだけ少し自慢気にする彼の頬をふざけて抓る。


「もう、ディムロスぐらい褒めてくれても良いでしょう?」
「そうだな。よしよし。」


ぞんざいに頭を撫でた。半ば照れ隠しだ。それでもカーレルは嬉しそうに笑う。彼の頬に触れていた指先が熱い。


世間がどんな友達付き合いをしているのか知らないが、既に私と彼とは標準的な友人のラインを超えてしまっていると思う。ただ、そのラインを超えた先が何なのかは自分でも良く分からない。具体的な行動をしてみると分かることもあるのだろうけれど、そんな度胸はなかった。


「ディムロス?」
「ん?」
「どうしました?」
「なんでもないよ。」


暖炉で薪の爆ぜる音がする。私と彼とがたった二人で過ごすやや広すぎる家は、外界から隔離されたかのように平穏で、満ちた空気は生温く居心地良く、許されるならずっとこうしていたかった。


居心地の良い現状に変化を求めるほど、私は冒険心に富んだ人間ではなかった。



act.16


年が明けて春が近付くと、隕石の衝突以来ずっと冬のような寒さが続く世界にも、僅かばかりの暖かさが訪れる。


「まだ寒いのに良いんですか?」
「カーレルほど寒がりではないからな、私は。」


リトラーさんからのお下がりのコートをタンスにしまうのを見ながらカーレルは心配そうな顔をした。カーレルはこのコートが似合うと盛んに褒めてくれたので、私としても少し惜しい気がした。


ただ、この春を喜んでばかりもいられない。寒さと雪が緩むと、軍の動きも活発になる。既に天上の部隊がサマラ州で南下を始めているらしい。先月一杯で退任した教官は、急遽歩兵大隊の参謀長として引き抜かれたという話だった。


「戦いが身近になってきている気がしますね。」
「そうだな。」


カーレルの目は厳しかった。この優しい人が戦わなければならないのだ、と思うと正直私は辛い気持ちになった。


「怖くはないか?」
「怖いですよ。」


余りに素直な回答で驚いたが、カーレルはすぐに言葉を続ける。


「こうしてディムロスの家でゴロゴロすることも出来なくなるかと思うと。」
「んー・・・?」


何だかはぐらかされたような気がして、複雑な気分から妙な顔になってしまったが、彼がそれを見て嬉しそうに笑うものだから、今は取り敢えず深く考えないでいようと思ってしまった。
私は彼に甘いのだ。
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