地上軍の中央司令部には大浴場がある。
物資は、特にレンズは不足している。 しかし、地上は薪や石炭には不自由しない。 エネルギー不足ということはあまりないのだ。
それ故、兵士も将校も風呂に入れるし、部屋にはシャワールームも付く。 どうやら、地上のお偉方は綺麗好きらしい。
「ふぅー。」
ディムロス=ティンバーは浴場で大きく息をついていた。 広い湯船に、入っているのは彼一人。 何せ、時計の時刻はとうに二時を回っている。
「あぁー・・・うぅー。」
疲れているらしく、漏れる呻り声が反響する。 肩まで沈むと、長い蒼髪は半ば湯船の中。 水の浮力で頭が随分軽く感じられる。
「よいしょ、っと。」
水を吸った髪は重く、立ち上がるのは一苦労。 長い髪を掴んで、ギュっと絞ってから重い体を持ち上げた。
誰も居ないと分かりつつも、ついつい前を隠してしまう。 そして、ほんの一メートル先の洗い場へ腰掛ける。 曇った鏡の向こうに、疲れた顔の自分がいた。
「あー、クマが・・・。」
呟いていると、背後でガラガラと戸が開く音。 びっくりして振り向くと、随分眠そうな見知った顔。
「あっ・・・ノリス。」
「あー。」
目を擦りながら、返事をするノリス。 聞こえているのかいないのか、今一つはっきりしない。 ただ、ディムロスを認識したのは確かな様子。 さっさと歩いてきて彼の隣に腰掛けた。
「・・・えっ、その、久しぶり。」
急に隣に座られて驚いたディムロス。 かける言葉に困って、とりあえずそう言った。 事実、久しぶりである。
ここ最近、ディムロスは演習やら何やらで忙しかったし。 ノリスの方も珍しく内務の方で忙殺されていたのだ。
「んー・・・二日?」
「あっ、ああ、二日ぶりだ。」
眠いのか機嫌が悪いのか、イマイチ分かりにくい。 一々反応に困っている内に、髪の短いノリスはさっさと髪を洗い終える。
「残業?」
「ああ、昇進試験近いから推薦状書いてやってた。」
「・・・珍しい。」
ノリスはいつも、自分の仕事もギリギリまでしない。 他人を手伝うなど、あった例がない。 勿論、ディムロスは除いて。
「誰の?」
「別に誰でも良いだろ。」
少し気になって尋ねると、素っ気無く返された。 そして、早々に洗い終わったノリスは湯船に向かう。 随分と無関心な扱いを受けていて、いつもの事がながら軽く気に障った。
頭の中には、日頃ノリスと親しい部下の顔が浮かぶ。 勝手な奴だが、ノリスは頼りになるし本当は優しい。 自然と、若くて血気盛んな部下が寄ってくる。
「案外良い上官なんだな。」
ついガラにもなく皮肉っぽい物言いをしてしまう。 どんな反応をするだろう、と少しびくびくしつつ様子を伺う。 しかし、特に変った反応は無い。
「まぁーな。」
少し嬉しそうな返事が返ってきて、また意外だった。 湯船の縁に寄り掛かり、肩近くまで湯に浸かっている。 こちらには背を向けていて、顔は見えない。
「〆切が明日らしくて、仕方ないから助けてやった。」
「別に其処まで聞いてない。」
つい、不機嫌に返してしまった。 口に出してすぐにディムロスは少し反省する。 それでもノリスは意に介していないのか言葉を続ける。
「怒るなよ。誰か聞きたいんだっけ?」
「ああ。」
「第八中隊のアデール。あの赤髪の奴。」
目立つタイプだからすぐに頭に浮かんだ。 赤い髪を肩まで伸ばした大人しい感じの青年だった。 歳は22、3で階級は中尉。
「お前に随分懐いてるな、アレは。」
頭からお湯をかぶり、無関心を装って言う。 しかし、目は鏡越しにノリスの背中を睨んでいた。 険しい視線が、鏡を通してノリスに注いでいる。
ノリスはそれに気が付いているのかいないのか。 鼻歌を歌いながら、湯船で手足を伸ばしている。
「まぁ、どっちかっていうとな。」
「報告書はいつもお前に出してくるだろ。」
「お前が嫌われてんじゃねーの?」
「いや、そんな事は・・・。」
「いや、でも、中将は近寄りがたいんで、とか言われてたぞ。」
ああ言えばこう言う。 だんだんディムロスは腹が立ってきた。 冷静そうに見えて、実は生来の短気だ。
あっ、そう言えば、と怒りを抑えようと黙っていたディムロスに追い討ちが来る。 既にディムロスの眉間には深い皺が刻まれていた。
「昇進したらお祝いに飯喰いに行きましょう、だとさ。」
その、あまりにも積極的なアタックに驚いて振り向いた。 爆弾発言をしたのに、ノリスは暢気に顔を洗っている。 その態度が信じられなくて、怒りを込めて睨みつけた。
「・・・怒ったか?」
後ろから見ても分かるくらいに笑って、ノリスが問う。 答えの代わりに、ディムロスはだんまりを決め込んで、睨み続ける。 それが、また笑いを誘ったのかノリスの肩が揺れる。
「怒ったか?」
「・・・・当たり前だ。」
いよいよ頭に血が上って、静かに言葉を返した。 そして、やっとノリスは振り返る。 表情は、少し呆れの混じった笑顔。
「もう少し信用しろ。」
その言葉の意味が取れず、ディムロスは一瞬停まる。 一緒に怒りも逸れてしまって、目を瞬くばかり。
「知ってるか?俺が恐妻家だって。」
「・・・恐妻家?」
思考がストップして鸚鵡返し。 その間抜け顔にまた笑いが起こる。 だんだん笑いより焦りが先になってきた。
「えっ、その、つまり・・・。」
「暇な時はアイツの相手に忙しい、って断った。」
笑顔のノリス。 困惑顔のディムロス。 沈黙が暫く流れ、やがてディムロスの手が自分を指し示す。
「アイツって・・・コイツ?」
答えずに、フッと笑ってノリスは首を戻す。 見る見るうちに赤くなるディムロスの頬。 洗い場の椅子に腰掛けたまま、どうしようもなくなっている。
「冷えるぞ、髪済んだなら入れ。」
「あっ・・・ああ。」
漸く椅子から立ち上がり、ディムロスは何処へ入ろうかと困る。 流石に隣は恥ずかしいし、かといって対角線上と言うのも・・・。 困っているうちに、またノリスから声がかかる。
「何、前隠してんだよ。」
「なっ、だって、恥ずかしいだろっ。」
「別に、いつも見てんだろ。それとも勃ってんの?」
「勃ってないっ。」
さっきから赤くなっていた顔が更に赤くなる。 結局、ノリスが入っていた辺の隅の方へ入った。 丁度、二人分くらいの微妙な距離が空く。
「何照れてんだよ。」
「照れてないっ。」
「じゃ、そっち行っても良いよな。」
「・・・・・勝手にしろ。」
「じゃあ、勝手にする。」
中腰になって、ノリスはディムロスの隣までやってきた。 そして、すぐ近くに腰掛ける。
遠慮がちにノリスを窺う。 ノリスは、珍しくニコニコと笑っていた。 その漆黒の瞳と目が合って、思わず逸らす。
「全くお前は・・・。」
その逸らした自分が可笑しかったか。 それともノリスの笑顔が嬉しかったか。 どちらか分からないけれど、笑みが零れた。
「俺が何だよ。」
勝手な奴だが、ノリスは頼りになるし本当は優しい。 そして、笑うと何とも言えない愛嬌がある。
それを知っているのは自分だけ。 そう思うと嬉しくて、ついつい笑みが零れてしまうのだ。
「俺が何だよ。」
「・・・何でもない。」
長風呂の夜が更けていく。
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