後片付け

終戦。

物心付く前から続いていたこの戦争が終わるのはハロルドにとって不思議な気分だった。もう一つ不思議なのは、一緒にいるのが当然だった存在を唐突に失ったこと。ハロルドはまだ、兄の死を理解出来ずにいた。

リトラーが泣いていた。カーレルの部下達、友人達も涙を流していた。ハロルドは妙にぼんやりとその様子を眺めているだけだった。

兄がいないことを分かっていながら、無意識にカーレルの部屋へ足が向くことがあった。すぐに気付いて思い直すこともあれば、その日のように部屋について兄の帰りを何分か待っているうちに気付くこともあった。

「おいおい、何度目だよ。」

ハロルドは学習能力がない自分に呆れてソファーに身を投げ出す。改めて悲しみが込み上げるとか、そういうことはなかった。彼が大きな溜息をついた時、ノックもなく扉が開いた。

「またここか。」

アトワイトだった。無感情な声でそう言うと、ずかずかと部屋に入ってきて無遠慮にハロルドの隣に腰掛けた。ハロルドは目を合わせようとしなかった。

「随分辛気くさい顔してんのね。」
「何か用?」
「別に。」

ハロルドにとって久しぶりの他人との会話だった。ここ数日、ハロルドの心中を慮ってか、あまり周囲の人間が話しかけてこないのだ。ハロルドも何か話す気分でもなかったし、元々社交的な方でもなかったので殆ど黙ったままで過ごしていた。

「ディムロス中将、さっき出発したって。」
「へー。」
「ウリヤノフスクの奥の方で抵抗してるのがいるみたい。」
「へー。」
「あと二月もしたら片付くかな。」
「へー。」
「そしたら暫定政府ってのが出来るんだってさ。」
「へー。」
「一緒に暮らそうか。」
「・・・どんな流れだよ。」

ハロルドがやっとアトワイトの方を向いたが、勝ち誇ったような彼女の表情を目にしてすぐに視線を逸らす。普段でもイラつきそうだったが、今日は輪をかけてイライラした。

「ムカつく。」
「ちょっとした冗談にいちいちキレないでよ。」
「キレてねーって。」
「あ、一緒に暮らしたいのはホントだけど。」
「へー。」
「戻った。」

アトワイトは楽しそうだった。楽しくない時に楽しそうにする人間ではないことをハロルドは知っている。だから、こんな自分といて楽しいとは不思議なものだ、と呆れるような思いがして苛立ちは消えた。

「最近、気付いたらここいることあんだよ。」

ハロルドは自分が「あのさ」と言いそうだったのを必死で抑えた。ちょっと重要なことを言う時、それを軽く言おうとして間を置くための一言を口にしてしまうのは、最近まで彼自身気付いていなかった癖だった。それを初めて指摘した兄はもう生きてはいないけれど。

「・・・。」
「・・・。」
「ベタすぎ。」

彼らが二人でいる時には滅多にない暫くの沈黙の後、笑いの混じった声を漏らしたアトワイトの方だった。釣られるようにしてハロルドも笑う。

「映画に出てくる戦死者遺族みたい。」
「くだらないもん見てんじゃねーよ。」
「ツッコミどころが多くて笑えるのに。」
「軍医に粗探しされる程度じゃ話にならねーな。」

真面目な話をあっさり笑いに変えられて、腹が立つより呆れが先立った。自分の調子を狂わすことにかけてこいつは天才だな、とハロルドは思う。アトワイトがクリップボードを差し出す。見慣れない書式の紙が一枚挟まっていた。

「ま、大事なのは現実ですけど。」

アトワイトは少しだけ真剣な、仕事モードが半分入った顔になっていた。紙の一行目には印刷された死亡診断書の文字、二行目にはカーレル・ベルセリオスと手書きの文字が並んでいた。

「何だか分かるでしょ?」
「字は読める。」
「そうね。」

感情を殺したハロルドの声に頷くと、アトワイトは立ち上がって、一度咳払いをしてから完全に仕事用の冷静な声で説明を始めた。

「全身に刀創が10ヶ所。銃創は擦過傷が3ヶ所。右の首から肩にかけて浅い熱傷。これは晶術の火炎と推測される。刀創はまず右腿に・・・。」

傷のあった位置を一つ一つ身振りで示しながら、アトワイトは新米の衛生兵を相手にするかのように丁寧に説明した。話す側も聞く側も感情がないかのような淡々とした態度だった。

「最後に10ヶ所目の刀創。これが致命傷。右の脇下から肺に達する傷で幅10センチ。死因は失血。」

ゆっくりと、アトワイトの左手の指が自らの脇の下から、乳房の下までをなぞった。 死体を数多く見ているハロルドには、自分の兄がどのように死んだのかが容易に想像できた。

「以上。」

アトワイトが乱暴にソファーへ腰掛けた。さっきよりもハロルドに近い位置だった。肩が触れた。消毒薬と石鹸の匂いがした。それはハロルドにとって最も安らげる匂いだった。

「元気出た?」
「今ので出るやついないだろ。」
「そーね。でもイメージは沸いたでしょ。」
「お陰でちょっと気分悪い。」

荒療治にも程があるだろ、ハロルドは思った。死体の様子について詳細に話を聞かされれば、嫌でも死をリアルに感じられるようになる。勿論、あまり気分の良いものではない。背中をアトワイトがさすっていた。少し子供扱いしたような態度が気に入らなかったが、黙ってされるがままにしていた。

「貴方のお兄さんは死にました。」

優しく、しかしはっきり言い切る。流石のアトワイトも少し緊張した口調だった。ハロルドは手にしていたクリップボードをもう一度だけ見てから、哀悼の祈りを捧げるかのように目を閉じて、一度だけ頷いた。

それから、目を開けて、クリップボードをテーブルにそっと置いて、随分と明るい調子で口を開いた。

「兄貴が死ぬとは思わなかったんだよなぁ。」
「私も死ぬならあんたの方だと思ってた。」
「だろうな。」
「どう?実感できた?」
「ちょっとずつ。」

アトワイトの確認にハロルドは軽い調子で返した。単なる雑談のようだったけれど、やっとハロルドは悲しみを感じたのだった。アトワイトに見えたのは左の横顔だけだったが、ハロルドの悲しみに涙はなかった。

「大丈夫、ずっと一緒にいるから。」
「ずっとって?」
「100年は厳しいけど50年くらいなら。」
「先は長いな。」
「ね。」

溜息混じりに言いながらアトワイトがハロルドに寄り掛かった。頭が肩に乗る。消毒液と石鹸が混じったアトワイトの匂いがした。

「検死、お前がしたの?」
「ええ。」
「ありがと。」
「別に、仕事だし。」
「似てただろ、俺と?」
「あんたが死んだみたいでちょっとあれだった。」
「お前、すぐ俺を殺したがるよな。」
「すみませんねー。」
「別に良いけど。」

ハロルドが立ち上がった。支えを失ってアトワイトがソファーに倒れる。倒れたままハロルドの背中を見上げていた。ハロルドは一度大きく息を吸って吐いた。彼は生まれて初めて、自分から意識して、彼にとって決定的な意味を持つ言葉を口にした。

「あのさ。」
「うん。」
「一緒に、暮らすか。」
「うん。」

ハロルドが振り返る。彼は決して口に出さないけれど、この世の何より美しいと思う人が微笑を浮かべて自分を見上げていた。



















あとがき
ハロアトの話としては、やっぱ終戦のことは書いとかないと、と思って書いた作品です。珍しくハロルドが弱ってるんですけど、なんか型にはまった悲しみ方をして欲しくなくて苦しみました。ハロルドの原状をベタと言ってしまう以上、あんまベタなことはしたくないですし。あぁ、でも、アトワイトの力技な元気付け(?)は気に入っています。

ハロルドが「あのさ」を指摘されたのはディムカーの「犬になる話」でしたけど、あの話で最後にハロルドが電話する相手をアトワイトだと思えばこの話とも繋がりますね。最初あれを書いた時はイクティノスのイメージでしたけど。

最後の一文はかなりニヤニヤしながら書きました。九死に一生でも書きましたけど、ハロルド的にはアトワイトは最高の美人なんですよ。花嫁姿とか見たハロルドがどんな反応するのか楽しみですね。