|
「風向風速。」 「ハッ、南風毎秒九メートルです。」 「ご苦労。」 隣の壕の測定担当が答えると彼は指揮所に引っ込んで大きく息を吐いた。気が乗らないのが見て取れる。でも僕は自分への被害があると困るから何も言わずに遠くで聞こえる敵砲の音に耳を傾けていた。 「シケた担当だな。」 「撃たれずに済むのは歓迎ですけどね。」 「・・・ったく。敵の砲撃すら聞こえてこねーぞ。」 彼は実はディムロス中将やノリス大佐よりも好戦的な性格をしていて、正々堂々とぶつかり合う事を好む。砲撃も機銃掃射も恐れず、敵軍の塹壕を突破し、トーチカを爆破し、友軍の侵入路を作り上げる工兵連隊は地上軍でも情報部戦闘班と並び屈指の精鋭として名高い。 「あぁー、さみい。動いてねぇと凍っちまう。」 「作戦開始まで10分です。」 「分かってる。」 益々、彼の表情が暗くなった。彼は自分と自分の部隊の戦いに誇りを持っているし、迷ったりすることは滅多に無い。だけれど今回は少し違って、戦いへの疑問が彼の表情に浮かんでいる。 「特殊砲の準備を始めろ。」 「・・・了解です。」 「何だ、不満か?」 「僕は別に。」 工兵連隊隷下の特殊砲隊に命令を伝え、僕は塹壕から微かに顔を出して辺りを見回した。前方では第一師団が僕らの砲撃を待ち、敵部隊と対峙しながら塹壕の中で息を潜めていた。この作戦が成功すれば、こちらの人的被害を最低限に抑えながら敵の塹壕線を破る事が出来る。その点で考えれば大変に合理的なのだけれど、やはり彼は引っ掛かっているらしい。 「さみい、さみい。」 「寒いなら中にいれば良いじゃないですか。」 「そう言う訳にもいかねえだろ。」 「真面目なことで。」 「無駄口叩くな。」 指揮所から這い出てきた彼は掌を擦って白い息を吐いた。彼としては敵の姿もちゃんと見ずに自分の戦いを済ませる事に抵抗があったのだと思う。彼は「天才」なのに、どうしてこうも非合理的な態度を取るんだろう。自分の気持ちが納得行かないとか、科学者にそぐわないと思うけれど、僕はそれが彼らしいと思わずにはいられない。 「嫌なもん作っちまった。」 ぽろりと彼の本音が出た。驚いて彼に振り向いて目を見た。彼は気だるそうな顔をしていたけれど、その目は明らかに苛立っていた。 「何だよ。」 「聞こえてしまいましたけど。」 「聞こえさせたんだよ。」 「・・・・・・・。」 「黙るな。」 「聞かなくたって分かってますよ。」 「何を分かってたって?」 「中佐がこの作戦に乗り気でない事くらい。」 「で、分かっててあの態度か?」 「僕も任務ですから。」 「・・・気に入らねぇ。」 がしゃんと言う金属音に反応して振り向くと工兵連隊が誇る特殊砲が五門組み上がっていた。白色にカモフラージュされ、発砲煙や発射音を抑える装置ついた砲身は口径に比してかなり大きい。分解しなければ運べず耐久性も低いが、反撃を受けにくい点が僕にはありがたい。 「N弾頭装填掛かれ。」 「ハッ、N弾頭装填掛かれ。」 半ば彼は自棄気味に叫んだ。携帯用のガスボンベに似た弾頭が砲の根元から装填されていく。暴発に備え、砲の周辺の兵士達は奇妙な形のマスクと分厚いスーツを着用していた。 「敵塹壕の頭上で炸裂して塩素系ガスを浴びせる訳ですね。」 「吸うと呼吸系がダメになって後遺症も有り得る。」 「所謂、毒ガス兵器・・・怖いなぁ。」 「こんなもん作る奴は科学者の屑。使う奴は軍人の屑だよ。」 いつもの、作戦への自信や任務への誇りが表れた笑顔ではなく、彼らしくない自嘲を含んだような薄い笑みが彼の表情には浮かんでいた。爛々と光っている目も力無く沈んでいた。 彼ほど僕は戦いに理想を持たないし科学者がどうあるべきかも分からないけれど、彼の表情はその辛さを察するに余りあってチクリと胸が痛んだ。毒ガスで悲惨な被害が相手に出ても、味方の被害が減るなら・・・なんて思う僕は良い軍人ではないんだろうな。 「時間だな。」 「はい。作戦コード<イープル>開始時刻です。」 「最終確認に移れ。」 「了解です。各員最終確認に移れ。」 「なぁ、シャルティエ。」 「はい?」 「これが戦争ってもんなんだろ?」 「・・・・・・・・・・ええ。」 「この結論、どうよ?」 「僕は、嫌いじゃないですよ。」 「お前はそう言うと思った。」 あぁ、こういうの良いな。さっきまでとは違った潔さを彼の笑みは感じさせた。仕方ないと割り切るだけでも、嫌だと駄々を捏ねるだけでもなく、色んな辛さを受け容れて戦える彼は、やっぱり良く出来た将校なのだと思う。それを確認できたのが嬉しくて僕も笑顔が出た。 「さて、準備も整ったようです。」 「よし・・・じゃ、やるか。」 「ご指示をお願いします。」 彼が大きく呼吸をして、キッと彼方に翳む敵軍を見据えた。全隊が固唾を呑んで指示を待ち、動きを止めた。 「撃てっ。」 極静かに特殊弾頭は撃ち出され風を切る音だけを残して飛び去った。静かな砲撃は二発目、三発目と続いていく。今回用意した計百発の特殊弾頭が五門の砲から撃ち出されたが、砲弾の炸裂もガスの散布状況もここからでは確認出来なず、見えたのは塹壕を飛び出した第一師団が敵軍へ向かっていく姿だけだった。 彼と僕は、片付けを進める兵士達を横目に第一師団が進んでいった雪原の先を眺めていた。もう寒いとも言わず彼はぼんやりしていた。 「嫌なもんだな、戦争って。」 「今更ですね。」 「ああ、全くだ。」 「でもまぁ、指揮官が良いお蔭でマシな戦争ですよ。」 「皮肉にしか聞こえねーな。」 彼の顔を見なくても、彼の返答なんか聞かなくても、彼は面白く無さそうに舌打ちするだろうと分かっていたから僕は知らない振りをして雪原を眺めていた。 なかなか本心と言うのは伝わってくれないものです。 あとがき ハロ君の愚痴を聞くシャル。基本的にシャルは態度に表してるよりハロ君に懐いてるんですけど、ハロ君は大事なトコで鈍感です。作戦名のイープルは第一次大戦で毒ガスが使われた戦いの名前から。 BACK |