天地の返らざるや

昔から、バレンタインデーよりもホワイトデーの方が好きだった。何も義理チョコのお返しを一生懸命するのが好きと言う訳ではない。そもそもあまりチョコレートは貰ったことがないし。


私にとってのホワイトデーとは、毎年沢山のチョコレートを貰うリトラーがお返し作りをするのを手伝うイベントだった。手伝うと言っても、包装くらいしか出来ることはないのだが。


「今年はマカロンに挑戦しようと思って。」


目を輝かせながらレシピの書かれた本を私に見せてくる。普段から良く料理をする人間ではないが、この時期の菓子作りは本人も楽しみなようで、毎年何かしら珍しい物を作っている。


「今年は20人分だったか?」
「そうそう。」
「相変わらず良く貰うものだな。」


テーブルに置かれたリストに目を落とす。部活の後輩に同級生、中学時代の友達、毎年恒例の名前から新しい名前まで、相変わらずの人気者ぶりが伺えた。その末尾にで目が止まる。


記憶にない名前だった。イーダ、とだけ書かれていて、ファミリーネームはない。小学校、中学校、高校、彼の周囲にそんな名前の女性がいただろうか。


リトラーは本当に何から何まで私に話す。多分私は日記を代わって書けるくらい彼の日々の出来事を知っていて、交友関係で私が知らない人間はいないはずだった。正直、気になった。


勿論リトラーはそんな私の気持ちなど知らずにメレンゲを泡立てることに精を出していた。女子も含めて多分彼は学年で一番エプロンが良く似合う、と思うのは贔屓目だろうか。


「どした?難しい顔して。」
「あ、いや。」


彼は時として妙に鋭い。底無しの鈍感かと思うこともあれば、繊細な変化を敏感に捉えることもある。不思議なもので、私が知られたくないと思うネガティブな変化を彼は逃さない。


「悪いな。暇だったか?」
「ああ、まぁ、少し。混ぜているのを見ているだけだからな。」
「まー、今年の奴は作ってる様子地味だな、確かに。」


本来私は嘘を吐くのも、隠し事をするのも得意ではない。ただ、リトラーのようにストレートに感情を表現することも出来ないから、なるべく色々なことを表に出さないように生きている。


普通なら「イーダって誰だっけ?」と聞けば良い話なのだが、私にはそれが出来ない。それを口に出した時、他の部分まで覗いてしまいそうなのだ。誰より心を許しているはずの彼に気持ちを出せないのだから、皮肉としか言いようがない。


「去年は17個だったか?」
「そうそう。一つ減って三つ増えた。」
「そういえばエレンの名前がないな。」
「あいつ、今年は本命で忙しいからごめん、ってさ。」
「なるほど。」


エレンは小中の同級生だった勝気な女子で、今は隣町の高校に通っている。随分リトラーと親しくしていたからてっきりそういう気持ちがあるのかと思ったものだが、そうなのか、思い違いだったか。


・・・良くないな。
リトラーの周囲にいる女性を端から疑ってかかる癖はどうにかしたい。そもそも疑ったところで私にどうこう出来る問題でもないし、それがリトラーの幸せなら私は笑顔で受け入れる、べき、であるし。


「ワーリャ分かるよな?」
「部活の後輩だろ?」
「そうそう、今年増えた四人のうちの一人だけど。」


一時期リトラーの話に良く出てきたから私は良く記憶している。随分リトラーに懐いているようだったから気にしたものだが、どうやら同じ部活の先輩と付き合っているらしい。


「あいつ別れたらしくてさ、今年は義理だけだって。」
「付き合い始めたの、この前じゃなかったか?」
「年末だったかな?」
「・・・忙しい奴だな。」


聞かなければ良かった。また心労が増す。いや、心配をしてもどうにかなる問題でないのは承知なのだが。こればかりは頭で分かっていてもどうしようもない。


「女って分かんないよなー、この間まで好き好き言ってたのにさ。」
「リトラーが女を語るか・・・。」
「あ、今呆れただろ。」
「呆れてない。呆れてない。」
「棒読みか!だったらお前はどうなんだよ。」
「何か言えるほどのことは何もない。」
「そうやってすぐ逃げるからなぁ。」


何せ、まだ一人しか好きになったことがないし、しかも男性だし、幼馴染だし、親友だし。恋愛の一般事例として考えるには特殊過ぎる。


「正直、まだ良く分からない。好いた惚れたというのが。」
「ミクトランにも分からないことはあるんだな。」
「当然だろ。」


いや、むしろ分からないことばかりだ。特にその分野に関しては。リトラーに対する思いは色々と混ざりすぎて整理がつかないし、考えて不合理だと思いつつも合理的になれないことばかりだ。今だって、イーダという名前の女性を思い出そうと不毛な記憶の整理を続けている。


話しているうちにも工程は進み、リトラーはメレンゲに諸々混ぜた物をオーブンの天板に絞り出している。手元に集中している様子だったから、私はじっとその姿を見詰めていた。


「あ、ミクトラン。」
「あっ、ん?」


急に名前を呼ばれて驚いた。見詰めていたのを咎められたのかと思って、慌てて目を逸らした。幸いにして用件はそれではなかったが、それと同じくらい私にとっては核心を突く内容だった。


「そういえば、イーダから貰ったんだよ。」


一瞬、時間が止まったように思えた。


「イーダ?」
「うん、イーダ。」


私は、その名前を意識していたことを隠そうと、初めて耳にした言葉のような反応を返したが、彼の態度は知っていて当然と言わんばかりだった。彼が当然のように話題に出す、私も知っているはずの女性?


「イーダだよ?」


昔会ったことがある?私が忘れている或いは関わらなくなっただけで、彼とその女性の関係は続いていた、とか?どんどん不安な気持ちになってくる。


「・・・・。」
「え、何?何でそんなに難しい顔してんの?」
「いや、どうしても記憶にない。」
「え、今朝も会っただろ?」
「・・・・・・は?」


今朝、というと通学時?会った?女性に?いや、自分のようなタイプの人間がいるのだから女性とも限らないかもしれないけれど。いやいや、イーダという名前からして恐らくは女性だろうが。


「もー、困った奴だな。」


リトラーは若干苛立った様子で居間の窓を開け、外を指差す。彼の指が示す先には・・・


隣の家


の庭


の子犬


とじゃれている2、3歳くらいの女の子がいた。


「・・・あれ?」
「そう。」
「お隣の?」
「そう、イーダ・ブロムダール。」
「何歳?」
「そろそろ3歳かな?」


完全にノーマークだった。どっと疲れた。同時にほっとした気持ちと馬鹿馬鹿しさがこみ上げる。大きな溜息と苦笑い。それを不思議そうにリトラーが見ていた。


「どうした?」
「いや、本当にどうでも良いことなんだ。」
「あ、そう。」
「確かに、今朝どころか毎朝会っているな。」
「そう言ったじゃん。」


隣のご令嬢は朝が早いらしく、私やリトラーが通学する時間には既に庭で犬を追い回している。今朝もそれを見た。リトラーが笑顔で手を振る様子も見ていた。勿論、私はリトラーの笑顔の方を見ていた訳だが。


「最近の三歳児はませているんだな。」
「ああ、あと10年待ってて欲しいと言われた。」
「・・・・・。」


私は見慣れない名前にそこはかとない不安を抱いていた自分を、つい先程馬鹿にしたものの、これがあながち誤りでもなかったのではないかという気がしてきてしまっているのだが、いや、幾らなんでも相手が三歳というのは。


何と言うか、その、不安は尽きない。

















あとがき
ミクトランを馬鹿にしたかっただけ。苦笑
なんか動きがないからテンポが今一つかなぁ。ちょっと悔いが残る作品ですが、ホワイトデーならホワイトデーの辺りに上げないと意味がないので、見切り発車気味にUPしました。まぁ、こういうこともあるさ。


そういえば、リトラーとミクトランは当時高二だから、3歳児とは14歳差ですかね?イクシャルが同じくらいの差だし、リトカーは20歳差だし、そう考えると3歳児とか余裕っすね。←


あ、題名は「杞憂」の故事から。