青いハンカチ

「こいつはダメ、ダメ、こっちもダメ。あ、こいつは運んどいて。」
「了解です。おい、動かすぞ。」
「えーっと、どっからだ?ダメ、ダメ。んー、ダメ。」

彼女は自分の足元に転がっている死体と、放っておけば今日中には死体になる存在とを一つ一つ眺め、傍らの衛生兵に指示を出していく。「運んどいて」と彼女が指を差した重傷者は衛生兵に担がれるようにして奥へ運ばれて行った。

「んー、足切れば大丈夫かな。こっちもお願い。」
「少佐、麻酔が足りません。」
「無麻酔で切りましょ。押さえて。」
「はい。」

世間一般のイメージとは異なり、衛生兵は屈強な者が多い。怪我人を運ぶという重労働を強いられるのも理由の一つだが、痛みに暴れる患者を押さえ込む必要があるというのが最大の理由だった。医薬品が不足しがちな前線では無麻酔で手術を行うことも稀なことではない。

「ダメ、ダメ、ダ・・・うーん、こいつは一応手術しとくか。」

軍医の手も医療品も限りがある。無駄遣いは出来ない。死ぬ可能性が高い人間の治療は見送られるし、兵士として復帰できる可能性が低い者の優先順位は低くなる。その選別を彼女は任されていた。

「うぐぐぐぐぐぎぎぃぃ・・・」

ゴリゴリという鋸を挽く音と木切れか布を噛み締めて叫ぶのを抑えている呻き声が聞こえた。聞くに堪えない音だ。第二次北部内乱にも従軍したという年嵩の衛生兵でさえ、その音を聞いて眉間に皺を寄せし、若い衛生兵は耳を塞ぎたい欲求を辛うじて抑えていた。

「名誉の負傷で後方送り。」
「・・・。」
「戦場とはオサラバね。羨ましいわ。」
「しょ、少佐っ・・・。」
「続けるわよ。ダメ。ダメ。切る。ダメ。」

若い衛生兵が自分に怒りを向けたのが彼女には分かった。それで良いと思った。目の前の凄惨な光景に負けるてしまうよりは、冷酷な軍医に憤っていた方が仕事は捗るというものだ。

手術室−と言っても布製の衝立でスペースが仕切られているだけ−からの呻き声は止んだ。無事に済んだらしい。一生の不自由と引き換えに命を得たのだ。それは喜ばしいことだろうと彼女には思えた。

後ろで足音がした。野戦病院に人が入ってきたのだ。また追加か。どれだけ怪我人を作れば気が済む。彼女は内心で毒づく。声に出さなかったのは彼女が世間体を重んじるからではなく、口が他の仕事に忙しかったからだ。

「ダメ。ダメ。ダメ。こっから三人は手術。」
「はい。え、あ…。」

若い衛生兵の集中がまた乱された。彼女は露骨に舌打ちをして自分の怒りを伝えたが、彼には通じなかったようだ。気にせず続ける。

「そのままで。仕事を続けてくれ。」
「は、はいっ。」

聞き慣れない声だった。兵が恐縮しているということは高位の将校だろうか。本来ならば一時仕事を中断して敬礼しなければならない相手だったが、彼女はそんなことを気にしなかった。

「君。」
「ダメ、ダメ。これ運んで。ダメ。」
「君、忙しいところ申し訳ないが。」
「私ですか?ええ。本当です。あ、こいつ手術。」

彼女は振り返らないままだった。声は案外に若いが、最近は20代の佐官や30代の将官も珍しくない。もっとも、相手の階級によって彼女が態度を変えることはないのだが。

「そのままで良いから質問に答えてもらえないか?」
「私の仕事の妨げにならない限りなら。」

身近に彼女よりも階級が上の者がいたら顔色を無からしめるような受け答えだった。しかし、将校は気にする様子もない。周囲の衛生兵も二人の会話には関わり合いにならないように仕事を続けていた。

「君の生まれは?」
「南サマラです。」
「南サマラのどこだろう?」
「クイビシェフ。何もない田舎です。」
「行ったことがある。なるほど、平和な農村か。」
「こいつ運んで。で、それが何か?」
「君は、ここがその平和な農村だとしても同じ態度を取るのか。」

彼女の声は少し苛立っていたが、将校は飽くまで落ち着いていた。だが、責める口調ではなかったものの、彼の発言が何らか含みのあるものであることは明らかだった。

「叱責は明確な形でしていただいた方が助かります。」
「君は戦場に倒れた仲間に対して随分冷たいのだね。」
「こいつとこいつとこいつはダメ。こいつはもう死んでる。」

彼女は怒鳴りつけるような様子で言った。誰が好き好んでこんなことをやっているものか。

「態度が丁寧になったら死人は減りますか?」
「それは私には分からない。」

兵を剣林弾雨の中に放り出しているのは貴様らだろう、と彼女は歯噛みした。それを口に出さなかったのはそうやって感情をぶちまけるのが彼女の流儀ではなかったからだ。

「君は仕事が早い。それで命を救われる兵も多いことだろう。」
「ダメ。ダメ。ダメ。」
「しかし、兵が最期に聞く言葉が『ダメ』というのは悲しいかもしれないな、とも思ってしまった。」

彼女は彼の言葉には応えず、機械的に「ダメ」と「運んで」だけを発していた。彼の言おうとしていることは分からないではないが、そんなナイーブなことを言っていられるかと反発する気持ちもあった。

「これ運んで。以上。」

彼女は自分に与えられた役割を果たし、白衣の袖口で汗を拭うとやっと振り返って自分に話しかけた将校を見た。長い青い髪が印象的な若い将校だった。肩には真新しい中将の階級章が光っていた。話したのは初めてだが、彼女は彼を知っていた。

「貴方でしたか。」
「邪魔をしてしまって申し訳ない。」
「いえ。」
「私は甘いことを言っている自覚がある。」
「そうですか。」
「名前を聞いても構わないだろうか?」
「軍医少佐。アトワイト・エックス。」
「ありがとう。」

彼は満足気に頷くと、彼女にハンカチを渡した。決して暖房が効き過ぎているという訳ではなかったが、重労働を終えた彼女の額にはまだ汗が浮いていた。ハンカチは白くはなかった。少し厚手の、藍色に染められたものだった。

「司令部付の軍曹がこの前事故で腕を折り、こちらの世話になった。若い女性の軍医が軽口を叩きながら丁寧に優しく治療をしてくれたと感謝していた。」
「そうですか。」
「軍医というのは大変な仕事なのだね。」

彼女は遠慮もなく汗を拭うと、表情を変えず礼も言わずにハンカチを返した。汗を吸ったハンカチは目の前の男の髪の色と同じくらい濃い青になっていた。

「ご覧の通りです。」

初めて彼女が微かに笑った。彼も少し目元が優しくなった。彼女がディムロス・ティンバー中将が自らの師団軍医部長としてアトワイト・エックス中佐を指名したのは、それから一ヶ月後のことだった。







あとがき
「幸せの黄色いハンカチ」が題名の元ネタ。ディムロスのハンカチが藍色なのは、降伏の白旗に使われる白い布製品を持っていないという意味なんだけど、まぁ、下着まで他の色なのかっていうと微妙よね。

「トリアージの残酷さ」ってのは理解がない人からは言われることだけれど、理解がない人ばかりを責められないよなぁとも思ったりしたのが書くきっかけ。でも内容にはあんま関係ない。

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