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記憶
人の記憶というのは、自分で思うほど確かなものではないらしい。思い出せなかったり、忘れていたりするのはまだマシで、記憶が事実と異なるということさえままあるのだそうだ。 僕はどうだろう。何事につけても自信というものに欠ける僕は、一度疑い始めると自分の記憶が何から何まで不安になってくる。 ジョン・ハーヴスト軍曹の死体が発見されたのは、終戦から10日ほど経った頃だった。場所は、中央司令部に程近い市街地。車に跳ねられたのだろうというのが警察の見方で、憲兵司令部の見解も同様だった。捜査は警察に任され、軍はハーヴスト軍曹について事務的な処理を始めた。 軍曹の所属は第31歩兵連隊だった。練度の高い部隊として知られていたが、天上都市攻略作戦には参加しておらず、終戦時は後方で再編成中だった。天上都市攻略作戦の陽動であるサマラ突破作戦で大きな損害を受けていたためだった。 部下の死亡について、ハーヴストの上官へ連絡が入った。もっとも、この上官とハーヴストの間に面識はない。サマラ突破作戦で小隊長は戦死しており、士官学校を出て間もない新米少尉が着任したばかりだった。すでに死亡して書類上にだけ存在しているハーヴスト軍曹の、書類上の上官はリチャード・キングストン少尉といった。 彼らはこの戦争を経験した者たちの中で最も特殊な世代と言って良いかもしれない。物心ついた時には既に天地戦争は始まっており、いざ自分が何らかの役割を負わなくてはならないという年齢になった時には戦争が終わっていた。 彼らの世代は、戦争の中で果たすべき役割がなくなってしまった分何らかの形で世の中の役に立たなければならない、という強烈な義務感を持っていた。新米少尉であるキングストンは、歴戦の下士官の死をきちんと処理することが自分の役割であると強く意識した。 彼は、ハーヴストの業績を明らかにし、人柄を調べ、家族へきちんとした手紙を書こうと考えた。戦死した部下の家族へ手紙を書くというのは、伝統的なそして最早廃れつつある将校の義務だった。 キングストンは部下たちへ聞き取りを行った。自分の小隊はもちろん、他の部隊についても経歴からして繋がりがあると考えられた者には残さず話を聞いた。キングストンの訪問を受けた者の多くは、この若い少尉の熱心な姿勢に好感を持ち、喜んで協力したが、思うように仕事は進まなかった。ハーヴストについて具体的なことを記憶している者が全くいなかったのだ。 そういう人間がいたような、いなかったような。どの兵士も下士官も将校もそのような話しぶりだった。あまり印象に残らない人間だったのかもしれない。しかし、無能ではなかったはずだ。戦時の人材不足とは言っても地上軍は能力のない人間を下士官にして部隊を危険に晒すような真似はしない。 「キングストン少尉ですね。」 八方塞がりに陥っていた彼へ、救いの手が差し伸べられたのは、彼が聞き取りを初めて一週間が経った頃だった。ポール・クロスビーと名乗る伍長が彼を訪ねてきたのだった。 彼はキングストンが軍曹について調べていると聞き、自分が知ることを話したいと思った、ということだった。クロスビー伍長は戦場で部隊とはぐれてしまった際、ハーヴストに助けられたという話を、感謝の言葉を織り交ぜつつ事細かに語った。困り果てていたキングストンにとって、この申し出は救い以外の何物でもなかった。 「是非、この話をご家族にお伝え下さい。お願い致します。」 「ああ、任せて欲しい。わざわざ訪ねてくれてご苦労だった。」 キングストンはすぐに手紙を書き上げ、遺品とともにハーヴストの家族へ送った。新米少尉として、まずは一つ役割を果たせた、ということに彼は満足を覚えていたし、下士官や兵は、面識がない部下であっても大切にする小隊長の姿勢に好感を持った。 ハーヴスト軍曹に訪れた不幸は、良い方向へ昇華されようとしていた。 「実直で仕事熱心な若者のようですね。」 地上軍情報部長イクティノス・マイナードは、丁寧な字で書かれた手紙と整理された遺品を交互に眺めながら、特に感情のない声で言った。ハーヴスト軍曹の遺族に宛てた荷物は郵便物の記録改竄により、彼の手元に届けられていた。勿論、記録上は指定の宛先に届けられ、受け取られたことにされている。 「無事に済んで何よりでした。彼のような人間が事実を知ることは、誰の幸せにもなりませんから。」 独り言ではない。部屋の奥から、若い男がタオルで顔を拭きながら出てきた。少佐の制服を着ていた。右目の目尻に加齢化粧が少し残っており、その部分だけ、彼がポール・クロスビー伍長であったことを示していた。 「僕のような人間は?」 「ありとあらゆることを知るのが我々の役目ではないかな。」 「それで不幸になろうとも?」 「幸せになれることもあるかもしれない。」 イクティノス・マイナードは将校として欠点が殆どない人間だったが、唯一どんなことでも自分でやってしまいがちなのが問題だった。ただ一人の例外が、目の前にいる彼の副官だった。 「シャルティエ、諦めが肝心だよ。」 「そのようですね。」 ピエール・ド・シャルティエは好奇心が旺盛な方ではなかった。叶うならば予測可能性の中に全てが収まる世界で過ごしたいとさえ思っていた。もっとも、彼の気持ちとは裏腹に予測不能性の中での、対多数の殺し合いが彼の最も得意とするところなのだけれど。 「それで、僕は何について知れば良いのですか?」 その問いに答える代わりに、イクティノスは走り書きのメモ用紙を一枚手渡した。メモにはハーヴストを含んだ10人分の名前、年齢、出身地、死亡日が書かれていた。彼らの共通点は第31連隊に所属していたということと、終戦前後に事故死ないしは病死しているということだった。 「記録されている場所に、彼らの家族は住んでいませんでした。」 「おかしなことばかりですね。」 「ええ。そのおかしなことを繋ぎ合わせて真実に辿り着くのが、君の役目です。お願いできますね?」 上官から部下への丁寧な言葉での依頼というのは、厳格な命令であることの裏返しでもある。足抜けを諦めていたシャルティエは、溜息をつきながら応じた。 「仕事にかかってよろしいでしょうか?」 ピエール・ド・シャルティエはまず、分かっている範囲のことをまとめることに着手した。 人員が彼自身しか割かれていなかったため、全ての資料に自分で目を通す必要があったが、把握できている情報が少なかったために大した労力ではなかった。それに、彼は部下を使うのが苦手だった。勿論、戦場では別だが。 今回の件を情報部が察知したのは、全くの偶然からだったらしい。死亡したジョン・ハーヴスト軍曹と同郷の下士官がキングストン少尉から聞き取りを受け、親切心から故郷の家族に連絡を取ったところ、ハーヴストなどという一家は住んでいないということが分かったのである。そして、その下士官は情報部の所属だった。 それからものの数日で、同じようなケースについて9人分の情報を集める辺りが、彼らの所属する組織の恐ろしさである。ハーヴストを除く9人分の遺品は規定に基づいて家族の元に郵送されたが、届け先が見つからず郵便局に留め置かれていたものを情報部が回収していた。 郵便について適切な処理をしなかった辺り、この件を主導しているのは情報組織ではないのだろう。こういう雑な仕事をするのはどういう連中なのだろう。シャルティエは想像力を働かせながら10人についての資料を眺めた。 彼らはいずれも第31連隊に所属していたはずだが、同僚や部下の記憶には残っていなかった。書類の上で籍を置いていただけで、何か他の特殊部隊か何かに所属していたのかもしれない。出身地のデータが誤っていたという件は・・・何か特殊な出自を隠すためなのかもしれない。天上軍からの転向者とか? 「君もどこか適当な地域に家族がいるということにしておいた方が良かったかな?」 「そんなことに意味はあるんでしょうかね?」 「どうだろうね?それを考えるのが君の仕事だ。」 一般の兵士に混ざって任務に従事するならば、特殊な経歴を隠す意味は大きいかもしれない。だが、彼らはそうではなかった。一体、どんな意味が? 彼らの実際の故郷、実際の家族はどうしているのだろう。彼らが死んでも軍から知らせがくることもなく、ただ帰りを待っているのだろうか。或いは、彼らはが軍務についていることすら知らないのだろうか。 ・・・ん? 「彼らには家族も故郷もないのかもしれませんね。」 「何か思いついたようだね。」 「少し調べてきます。」 翌日、僕はある種の確信を持って、ある施設を訪れた。 念のため、というのが大好きな僕は、前夜にきちんと銃を整備し、弾についても一つ一つチェックした。七発入るマガジンを四つ持っていた。我ながら、気合を入れすぎたと苦笑する。 研究施設らしい研究施設だと感じられる場所だった。勿論、ハロルド・ベルセリオスの研究所と比較しての話だから、この比較に意味があるのかは良く分からない。 アポは取っていない。連絡先が分からなかったのと、逃げられてしまっても困るからだ。僕が入ってきたことに、ここの人間は気付いただろうか。気付いているだろうな、流石に。 僕がこの施設に入って最初に人の姿を見たのは、ドアを開けて二分後のことだった。物陰から飛び出した兵士が、低い姿勢で僕に銃を向けた。歩きながら、ここかここだろうな、と当たりをつけていたので、彼よりも先に引き金を引けた。 額に穴が空いた兵士の首の認識票を確認する。リストと照合すると、第31連隊所属の兵士だったことが分かる。既に確信は得ていたとは言っても、それが正しいと分かることは安心に繋がる。何せ、僕は小心者だから。 僕は目的地に着くまでに、一人の下士官と三人の兵士を倒した。いずれも31連隊の所属だった。銃弾は最初の一人を入れて七発使った。空になったマガジンを入れ替えてから、大きなドアを開けた。 少し大きな部屋だった。プレゼンテーションや会議に使われていたのだろう。研究者が四人、頭を撃たれて死んでいた。そのもう一つ奥の部屋から、焦げ臭い臭いがした。 ドアを開けると臭いがきつくなった。書類棚が燃えていた。ガソリンを使っているのだろう。何も燃え残りそうになかった。部屋を入ってすぐのところに、燃料缶を抱えて、研究者が一人倒れていた。背中から出血していたが、まだ息があった。 「情報部の方でしょう?」 「ええ。」 「良かった。間に合った。」 彼は僕の顔を見て笑った。確かにそうだ。彼のお陰で、僕は何も掴めずに帰ることになりそうだった。 「誰に撃たれたんです?」 「分からない。」 「分からない?」 「私の記憶にあることが事実なのか分からない。」 研究者の目には、諦観に近いものがあった。僕は少しの哀れみを感じて、目を逸らした。恐らく膨大な犠牲によって進んできただろう研究が、ただの燃えカスになろうとしていた。 地上軍では一時期、戦場におけるストレス障害の治療のために、記憶の改良が研究されていたのだそうだ。医療的な部分ではあまり効果がなかったが、記憶の書き換えについては実験段階では成功したという資料が残されていた。どうやら、それを軍事的に利用しようと考えた連中がいたらしい。 記憶を操ることが出来れば、より確実に、自由に人を動かすことが出来る、と言うわけだ。頭の良い人というのはいるものだ。 結果、偽りの経歴を与えられた兵士や研究者が生まれ、どこかで戦い、或いは研究に従事し、最後は処分されていった。僕がここに来るまでに倒した五人もそういう連中だろうし、外で倒れていた四人も、この男もそうだろう。前日の資料漁りと、この目で見たことを総合するとそういう結論になった。 「自分を利用した人間のために証拠隠滅を?」 「そうしなければならないと思うようにされているんです。」 「そういうものですか。」 「ええ。もしかしたら、貴方だってそうしなければならないと思わされて、ここに来たのかもしれない。」 怖いことを言う人だな、と僕は思った。しかし、幸いこの怖い話も長くは続きそうになかった。彼の傷はどう見ても致命傷だったからだ。目の前で命を落とそうとしている人間への哀れみと同時に、何か安心するものを僕は覚えた。 「何か言い残すことは?」 「言い残す相手がいません。」 「ご家族は?」 「家族も、故郷も、きっと私にはないのだと思います。」 「記憶はあるんですか?」 「ええ、平凡な家庭で何不自由なく育った幸せな記憶が。」 家族も故郷もないという記憶がある僕と、幸せな記憶だけがある彼と、どちらが不幸なのかは難しいだろうな。 「名前を聞いても良いですか?」 「ウィル・トンプソンと呼ばれていました。」 「家族に手紙を書きましょうか?」 ウィル・トンプソンという研究者の記憶を持った男は、一瞬だけ驚いたような顔をしたあと、幸せそうな笑みを浮かべ、両目から涙を流した。彼の表情からは既に血の気が失われている。 「そうしていただけるなら、感謝します。」 「いえ、何かの縁ですから。」 火が強くなってきていた。私は彼に一礼して、その場を離れた。背後で、彼が難儀そうに手を振ったのが分かった。 僕が撃った五人の兵士と、あの場で死んだ五人の研究者は、事故死として処理された。僕の上官であるイクティノス・マイナードがそうしたのか、或いは他の誰かがそうしたのかは良く分からない。 その辺りについて、僕はそれほど興味がなかった。僕の領域は現実世界で何が起こっているのかということであって、書類の上でどんな処理がされるのかというのは僕が手を出すべきレベルの話ではない。 「手紙、書くんですか?」 「ええ、一応。」 「貴方は意外と湿っぽいところがありますね。」 「そうかもしれませんね。」 便箋を広げ、ペンを手にした。僕はあの男について、何も知らない。知らないけれど、調べようとは思わなかった。調べると、きっと彼に植え付けられていた記憶に囚われることになる。 「何を書くんですか?」 「僕が見たことを。」 「軍機ですよ。」 「誰も読まないじゃないですか。」 「それもそうですね。」 郵便に出せば、後から回収してあげますよ、と彼は言った。紛れも無い職権乱用だった。意外と僕の職場は湿っぽいところがある。 しかし、考えてみれば、僕があの場で見たことにしたって、僕の記憶にすぎないのだから、それが事実かどうかなんて、というところまで考えて、僕は考えるのをやめて、思うままにペンを走らせることにした。 不幸な記憶を事実だと感じられている自分の幸せを、わざわざ手放す気はなかった。 あとがき ややこしい感じの話になってしまいました。何となく不気味な感じだけ伝われば良いかな、と思ったり。 BACK |