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蜃気楼
情報部の仕事の殆どは、情報を得ること、分析すること、資料にまとめることのいずれかに分類できる。勿論、戦闘班は別だけど。 でも、待てよ。戦闘班も、実戦を通して情報を収集するというのが建前だったような気がする。そうなると、彼らの仕事もこの中に含まれることになるんだろうか。んー、多分そうなんだろうな。 情報収集は潜入工作員からの報告みたいな派手なものも含まれるけれど、9割は地味な作業で占められる。前線の一般部隊が参謀本部に上げてくる報告書、雑誌や新聞のような公刊物、地道な聞き込み、亡命者や捕虜の尋問調書などなど、膨大な量のどうでも良い情報から有用なものを見つけ出す作業。 そして、拾い出した情報を分析する。情報収集との連続性を重視するなら、見付け出した有用な情報が何故有用かを説明する作業と言っても良いかもしれない。 最後にまとめの作業。管理と利用を容易にするべく、分析した情報を規定の書式へ整える。大切なのだけれど一番面倒な段階。軍隊も役所だから、そういう辺りは変わらない。 珍しく肩が凝ってしまった。デスクワークは僕みたいな人殺しにしか能がないタイプには向いていないと思うのだけれど、肩の階級章がそれを許さない。少佐ともなればそれなりの役割が求められる。 「何か御用ですか?」 背後に人の気配を感じて、振り返らないまま声をかけた。僕は武道の達人とかではないので、気配だけで誰かまでは分からない。でも、経験則と状況判断から予想はつく。 「進捗状況は?」 「もう少しです。今日中には上がります。」 イクティノス・マイナード少将は声を掛ける前に僕が気付くことに慣れているから特に変わった反応もない。しかし僕は、今回も彼であることを誤らなかった自分に密かな満足を覚えた。 テーブルにカップが置かれる。情報部の備品の古いマグカップにはコーヒーが満ちていた。良い香りがする。彼は味に拘る方ではないが、細かい作業も疎かにしない人なので淹れるコーヒーは悪くない。いや、僕も味なんて分からないけれど。 「すみません。」 「ついでですから。」 このちょっとした気遣いが僕には真似できないところだな、と僕は思う。他にも敵わないところは沢山あるけれど。 少し休憩しよう。鉛筆を放り出してカップに手を伸ばす。飲みやすい薄さが僕の好みだった。彼は空いている椅子を見つけて腰掛けていた。 「今朝の新聞、読みましたか?」 「何か載っていたんですか?」 彼がクリップボードを差し出した。新聞の切り抜きがまとめられたものが挟まれている。一番上に目立つ形で貼られていた記事に目をやる。地上軍特殊部隊により天上軍戦車工場が爆破された、という記事だった。火災で工場は全焼し、再建の見込みは立っていないらしい。 「特殊工作部隊<漆黒の翼>またも大戦果、ですか。」 「ええ、頼もしい限りですね。」 特殊工作部隊<漆黒の翼>。正式名称は参謀本部第二部工作課特務班、天上軍勢力圏での破壊工作に従事する特殊部隊。人数がたった3名であること、そのうち1名が女性兵士であることを除いて、彼らについての情報は全く公開されていない。 彼らが知られるようになったのは、ここ三ヶ月。戦意高揚を狙って彼らの戦果が逐一発表されるようになってからだ。先程まで僕がまとめていたのも彼らに関係するものだった。 「彼らのレコードが出たの知ってます?」 「『はばたけ我らが<漆黒の翼>』?」 「それです。売れているみたいですよ。」 市民は英雄を求めている。今の時代、一将功成りて万骨枯るは流行らない。少ないコストで大きな成果を上げてくれる誰かが待ち望まれている。<漆黒の翼>は正にそんな存在だ。 「その速きことは音が如く、見えざることは影が如く」 「この大空へ舞い上がり、正義の剣を突き立てよ」 僕が口ずさむと彼が続けた。神話の英雄譚のような歌詞は老若男女に人気を博しているようで、最近はラジオで流れない日がないほどになっている。 「おーおー我らが、<漆黒の翼>」 「おーおーはばたけ、<漆黒の翼>」 歌い終えた所で、ついに僕と彼とは堪え切れずに笑い出した。勿論、部屋の外には聞こえない程度に声を抑えて。 <漆黒の翼>なんて部隊は無いのだ。 僕らが、天上軍の事故や災害による被害についての情報を収集し、それを<漆黒の翼>による破壊工作であるかのように装って発表する。彼らはそれだけの存在なのだ。 天上側はそれを否定出来ない。破壊工作でないと証明することは難しいし、こちらの発表を鵜呑みにする者もいる。存在しない部隊の襲撃を恐れ士気が低下し、疑心暗鬼に駆られる。 勿論、地上軍の多くの将兵も同様にその存在を信じている。頼もしい友軍の存在は士気を鼓舞し、兵達を勇敢にさせる。良いことずくめだ。 「さて、彼らの次の“戦果”は?」 「候補は三つほど。」 僕は書きかけの資料を彼に手渡した。天上軍の占領地域で生じた事故や災害について、原因の推測や被害の程度なども含めて詳細にまとめられている。これが彼らの“戦果”だ。 「鉄道火災による兵站トラブル。原因は?」 「恐らく、車両の整備不良だろうという話です。」 「悪くないですね。こちらを中心に詰めて下さい。」 この兵站トラブルは深刻な弾薬不足を引き起こし、天上軍の攻勢を大きく遅延させた。前線の部隊がどれほど奮戦しようとも上げることが出来ないレベルの戦略的な戦果だ。 「勲章モノの大戦果ですね。」 「そうだね。」 「もしそうなったらどうするんです?」 「そうなったら?」 「彼らに勲章を授与しよう、ということになったら。」 彼らはそれだけの戦果を上げている。上げていることになっている。この三ヶ月に報道されたものだけでも、彼らは10件以上の破壊工作に成功し、多大な被害を天上軍に与えている。武勲が讃えられることには何の不思議もない。 僕の言葉に、少将は一瞬だけ考えるような顔をして、それからすぐに口を開いた。 「<漆黒の翼>は秘密部隊です。公の場には姿を現しませんよ。」 「名誉よりも軍務ですか。」 「軍人の鑑ですね。」 軍人の鑑。正にそうかもしれない。紙切れ一枚で両軍の将兵や市民を弄ぶ僕達がとても敵わないような理想の軍人。そんなものは書類の中にしか存在しないんだ。 僕は派手な結果をもたらす地味なデスクワークから早く解放されたかった。決して僕がやっている人殺しがより良い仕事だとは思わなかったけれど、それでも、戦争に対して誠実なのはそちらだと思ったから。 それから終戦後も『はばたけ我らが<漆黒の翼>』は売れ続け、史上初の100万セールスを記録した。 その速きことは音が如く、見えざることは影が如く この大空へ舞い上がり、正義の剣を突き立てよ おーおー我らが、<漆黒の翼> おーおーはばたけ、<漆黒の翼> あとがき プロパガンダの話、と言えば良いのかな。海軍で原因不明の沈没艦に関して「我が軍の秘密兵器による戦果だ!」みたいなことを言うことがあった、とかいう話をどっかで読んだので、それを元にした話です。 シャルティエがあると思っているけど本当はない。シャルティエはないと思っているけど本当はある。シャルティエがないと思っていて実際ない。という三通りのどれにしようか最後まで悩みました。 ないと思っていた<漆黒の翼>が実在して、しかもシャルティエを助けた、みたいな話も面白いかと思ったんですが、上手く書けなかったので、このアイデアはとっておきます。 BACK |