・・・第七章・・・


高く長い金属音が、天上都市中央部のその中心に響き渡った。
薄明かりに、金属片が砕け飛ぶ。
宙を舞うそれは、宛ら星屑のようで、その持ち主の末路を示しているようでもあった。


「・・・・・・・・・。」


ノリス=カルナックは、硬い石壁を背に倒れていた。
額からの出血が、彼の青白い顔を染めている。
その血塗れの手には、中ほどから下だけ残った剣を握りしめたまま。


「終わりか?」


研ぎ澄まされた針のような、その声、その視線。
起きてこない彼を、その男は見下ろしている。
左の肩口から、胸にかけての大きな傷が、男の軍服を紅く変えていた。


男は、天上にその人在りと言われた、トーマス=ウォーラ中将。
彼にこれほどの傷を与えた者は、初めてだった。


「・・・・るい・・・・。」


ノリスの言葉が、微かに男に届いた。
男は、何を言ったのか分からず、歩み寄るへ出る。


「・・・・・ぬ・・・・・い。」


ウォーラが二歩目を踏み出して、彼はもう一度呻った。
顔を上げ、漆黒の瞳で睨みつける。
そして、ウォーラが三歩目を踏み出した時。


折れた剣の一閃。
それは、ウォーラの首元数ミリの所を掠めて空を切った。
紙一重で避けたウォーラを、なおノリスは睨みつける。
見開かれた目に、血の色が入って紅がかった瞳が光っている。


「聞こえないか?ぬるいんだよ。」


返り血と額からの出血で、全身を染めたノリスは一歩一歩ウォーラに近づく。
豹が、その爪牙の及ぶ内に獲物を引き入れるように。
また、地獄の悪鬼が、逃げ場の無い咎人に迫るように。


「殺す気で来い。それとも、息子の仲間は殺せないとでも言う気か?」


ウォーラは問いに答えない。
黙って、その剣を構えるだけ。


「良いのか、アンタの背負ってる物はそんな物なのか?」


ノリスはなお言う。
剣を下げ、構えを解いて低い声で。


「アイツを捨ててまで、アンタが守りたかったのは何だったんだよ。」


ノリスは納得がいかなかった。
目の前の男は、二十年前に息子を捨ててまで、天上へ来た。
天上の勝利のため、男はベルクラントを使って、地上を焦土と化した。


その男が今、目の前の地上士官一人、殺せずに居る。
殺さねば、自分が死に、天上軍の敗北に繋がるかもしれないと言うのにだ。


「息子の不幸を望む親が、何処に居る。」


そう言って、初めてウォーラは笑った。
その笑顔が、酷くディムロスにそっくりで、ノリスは凍りついた。
ぬるいのは、相手だけではない。
自分もだと、ノリスは思った。


「けりをつけよう。」


ウォーラは言った。
その声は、妙に父親臭くて、父の記憶の無いノリスには効いた。
涙の滲む思いがしたが、何も出ない。
溜息を一つ。
ノリスもベルトからナイフを抜き、剣を握りなおした。


静かに刃はぶつかり合った。
火花が散り、鎬を削った。


不意に、ウォーラの右脇があいた。


其処からは、スローモーションのように色も音も無い世界が広がった。
反射的に、左のナイフを突き立てる自分の手を、ゆっくりとノリスは眺めていた。


切っ先が服の表面にかかり、布を裂き刃は走る。
ナイフが肌に達し、血が吹き出るのさえコマ送り。
モノトーンの中、鮮血だけが赤かった。





気がついた時、ノリスは返り血を浴び立っていた。
















時を同じくして、天上王の間。


ディムロス=ティンバーは不覚にも、床に伏していた。
柄尻で顎を穿たれ、衝撃が足まで来ている。
動きようが無かった。


その目の前で、カーレルは一人でミクトランと対峙していた。
敵将ミクトラン。
カーレルは呟くように言った。


「私の両親は、貴方が起こした戦争の所為で死んだ。」


ディムロスからは、カーレルの表情が見えない。
しかし、雰囲気から察するに、怒っている風でも無かった。
どちらかと言えば、静かに昔語りをしているような。


「でも、感謝しています。彼と会えたのも、貴方のお陰だから。」


ミクトランは、ただ表情の無い顔でカーレルを見詰めていた。
カーレルは剣を構え、ミクトランの白い首へ斬りかかる。
容易に払われ、剣が舞う。


まるで、カーレルはミクトランに殺されたがっているように見えた。
ミクトランもミクトランで、隙があるのに斬り返さない。


動の硬直が、数分間続いた。
ディムロスには、それが何十分にも、何時間にも思えた。


ミクトランの剣が、徐々に疲労したカーレルに届き始める。
手先足先から、脇や腹、体中に傷跡が付いていった。


一太刀、避け損ねた刃が脇下から胸を薙いだ。
吹き上がる血に、それでも倒れない。
カーレルが舞うたびに、血飛沫が散り宙を染める。
立っていられるはずの無いほどの出血だった。


「あの方の為に、如何すれば良いのか、私には分かりません。」


大量失血で青ざめた顔が、微かに動いた。
カーレルが、掠れ声で言葉を紡ぐ。
そのアメジストの瞳が、淋しげに揺れる。
一瞬、ミクトランの手が止まった。


閃光が一筋。
そして、血の雨。


ソーディアン・ベルセリオスは、ミクトランを捉えた。
ミクトランの胸に、深々と刃が食い込んだ。
吹き出た飛沫が、カーレルの頬に赤い斑点を刻む。


「でも、私に出来るのは・・・・此れだけですから。」


胸に突き立てられた剣。
伝う血が、床に雫となって落ちて、赤い水溜りを作っていく。
カーレルは、ミクトランが自分を見ているのに気がついた。


胸に剣を刺されても、彼はまだ死んでいない。
執念の結晶化したような眼が、ギラギラと光っている。
それでも、彼は動かない。
傷の深さに、動けなかったのかもしれない。


ずるり、とカーレルの手が剣から抜けた。
失血に、体が耐えられなくなったのだろう。
千鳥足で、後ろへ一歩二歩と下がる。
それを、堕ちかけた鷹は見逃さなかった。


ミクトランの執念の一刀が、カーレルの細い体を切り裂く。
左肩口から、胸までばっさりと、白銀の刃が走った。


「カーレル。」


ディムロスは、目の前の男の体から支えが抜ける瞬間を見た。
そして、倒れ往くその背に、あらん限りの声で叫んだ。
どさっと、倒れる音。
それを見下ろす天上王。


それは、立ち尽しているようにもディムロスには見えた。
彼は、静かに自分の殺した相手に歩み寄り、その細い体を抱いた。


「愛する者の為に死ねる君が・・・・羨ましい。」


そして、痛む体を押して立ち上がったディムロスを見る。
穏やかな、そして見たことの無いほど悲痛な表情。
そして、思いも寄らぬ言葉を、ミクトランは発した。


「終わりにさせてくれ・・・全て。」


その一言で、ディムロスも合点が行った。
傍らの剣を手に取った時、初めて人を殺した時以上に震えている自分に気がついた。
ゆっくりと、剣を振り上げる。


「何か、言い残す事は?」


ミクトランは首を振る。
しかし、思い直したように一言だけ口にした。


「私は、彼と相討ちで死んだ。それだけだ。」


カーレルの、今はもう違う何かになってしまったそれを見て、彼は言った。
酷く心が、痛んだ。


また、大切な人から大切な人を奪ってしまった。
また、幸せの芽を刈り取ってしまった。
二十年間、人前では決して流さなかった涙が零れる。


「ディムロス中将・・・お願いする。」


震えは止まった。
其処には勝利の喜びもなければ、勝者の誇りも無かった。
在るのはただ、残酷でやりきれない現実だけ。


風を切る音と共に、その首は落ちた。
その血の赤さを、彼は終生忘れ得なかった。














「・・・・死んだよ、ミクトランは。」


ノリスは、通信機から聞こえる声に目を閉じた。
カーレルの死、そしてミクトランも。
それを伝えるディムロスの声は悲痛だった。


「死んだか・・・。」


瀕死の状態で倒れたまま、感慨深そうにウォーラは呟く。
そして、息も絶え絶えに、傷を抑える。
立場を忘れて、ノリスは手を貸そうと屈み込んだ。
それを、ウォーラは乱暴に振り払う。


「戦争・・・・だろ、大佐。」


ノリスは、意を汲んで一歩下がった。
それに満足そうに、ウォーラは頷く。
頷いて、自分の持っていた剣を鞘に収め、ノリスに渡す。


「俺は、死ななきゃならなくなった。」


期待出来ないと分かりつつ、ウォーラは言った。
ぽんぽんと首の辺りを叩いて、斬るよう促す。
ノリスは、無表情を作ってから、一言。


「アンタの死に場は、此処じゃない。」


隠そうとした感情が、隠しきれずに垣間見えた。
その気遣いが妙に嬉しく感じて、ウォーラは笑う。
「なるほど」と声に出したか、思っただけか。
ウォーラは、血塗れの体を起こし、立ち上がって歩き始めた。
向かう先は、彼の死に場所。


「アンタ、剣は?」


部屋から出掛かったウォーラを、ノリスは呼び止めた。
それは本心からか、それとも止めるための口実か。
本人も、分からぬままに口にした。
足を止めてウォーラは一つ、咳き込んだ。
壁に手をつき、振り返らずにノリスに言った。


「死人に剣は要らない。そいつはくれてやる。」


妙に明るい声だった。
仕方の無い男だと、ノリスは溜息一つ。
渡された剣を腰に差して、自分の進むべき方角を目指す。
そして、互いに背中合わせに、お互いの方向に歩き出す。


「あいつを頼む。」


そんな声が聞こえた気がしたが、ノリスは振り返らなかった。
再び、剣林弾雨の戦場へ帰っていく。


全てを、終わらせるために。


一直線に、最前線へ駆ける。
流れる血も、最早気にならなかった。
散在する敵部隊を、一人で掻き分け、ひたすらに走る。


何だか、何もしていないのが嫌だったから。
何かしたい自分が居たから。


走って、走って、道の向こうに人影が一つ、目に入った。
いや、影だけなら二つ。


「・・・・・・・・。」


無言で、二つの人影は近づいてきた。
血で翳むノリスの眼にも、それが何かはすぐに分かった。
人一人、亡骸一つ。


「・・・・・ノリス。」


途方に暮れた子供のような、そんな顔。
ノリスはその顔を引き寄せて、胸に収めてやる。
ディムロス=ティンバーは、軍に入って初めて、ノリスの胸の中で泣いた。





それは、戦場の呻りとなって、何処までも響いていた。









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