高く長い金属音が、天上都市中央部のその中心に響き渡った。 薄明かりに、金属片が砕け飛ぶ。 宙を舞うそれは、宛ら星屑のようで、その持ち主の末路を示しているようでもあった。
「・・・・・・・・・。」
ノリス=カルナックは、硬い石壁を背に倒れていた。 額からの出血が、彼の青白い顔を染めている。 その血塗れの手には、中ほどから下だけ残った剣を握りしめたまま。
「終わりか?」
研ぎ澄まされた針のような、その声、その視線。 起きてこない彼を、その男は見下ろしている。 左の肩口から、胸にかけての大きな傷が、男の軍服を紅く変えていた。
男は、天上にその人在りと言われた、トーマス=ウォーラ中将。 彼にこれほどの傷を与えた者は、初めてだった。
「・・・・るい・・・・。」
ノリスの言葉が、微かに男に届いた。 男は、何を言ったのか分からず、歩み寄るへ出る。
「・・・・・ぬ・・・・・い。」
ウォーラが二歩目を踏み出して、彼はもう一度呻った。 顔を上げ、漆黒の瞳で睨みつける。 そして、ウォーラが三歩目を踏み出した時。
折れた剣の一閃。 それは、ウォーラの首元数ミリの所を掠めて空を切った。 紙一重で避けたウォーラを、なおノリスは睨みつける。 見開かれた目に、血の色が入って紅がかった瞳が光っている。
「聞こえないか?ぬるいんだよ。」
返り血と額からの出血で、全身を染めたノリスは一歩一歩ウォーラに近づく。 豹が、その爪牙の及ぶ内に獲物を引き入れるように。 また、地獄の悪鬼が、逃げ場の無い咎人に迫るように。
「殺す気で来い。それとも、息子の仲間は殺せないとでも言う気か?」
ウォーラは問いに答えない。 黙って、その剣を構えるだけ。
「良いのか、アンタの背負ってる物はそんな物なのか?」
ノリスはなお言う。 剣を下げ、構えを解いて低い声で。
「アイツを捨ててまで、アンタが守りたかったのは何だったんだよ。」
ノリスは納得がいかなかった。 目の前の男は、二十年前に息子を捨ててまで、天上へ来た。 天上の勝利のため、男はベルクラントを使って、地上を焦土と化した。
その男が今、目の前の地上士官一人、殺せずに居る。 殺さねば、自分が死に、天上軍の敗北に繋がるかもしれないと言うのにだ。
「息子の不幸を望む親が、何処に居る。」
そう言って、初めてウォーラは笑った。 その笑顔が、酷くディムロスにそっくりで、ノリスは凍りついた。 ぬるいのは、相手だけではない。 自分もだと、ノリスは思った。
「けりをつけよう。」
ウォーラは言った。 その声は、妙に父親臭くて、父の記憶の無いノリスには効いた。 涙の滲む思いがしたが、何も出ない。 溜息を一つ。 ノリスもベルトからナイフを抜き、剣を握りなおした。
静かに刃はぶつかり合った。 火花が散り、鎬を削った。
不意に、ウォーラの右脇があいた。
其処からは、スローモーションのように色も音も無い世界が広がった。 反射的に、左のナイフを突き立てる自分の手を、ゆっくりとノリスは眺めていた。
切っ先が服の表面にかかり、布を裂き刃は走る。 ナイフが肌に達し、血が吹き出るのさえコマ送り。 モノトーンの中、鮮血だけが赤かった。
気がついた時、ノリスは返り血を浴び立っていた。
時を同じくして、天上王の間。
ディムロス=ティンバーは不覚にも、床に伏していた。 柄尻で顎を穿たれ、衝撃が足まで来ている。 動きようが無かった。
その目の前で、カーレルは一人でミクトランと対峙していた。 敵将ミクトラン。 カーレルは呟くように言った。
「私の両親は、貴方が起こした戦争の所為で死んだ。」
ディムロスからは、カーレルの表情が見えない。 しかし、雰囲気から察するに、怒っている風でも無かった。 どちらかと言えば、静かに昔語りをしているような。
「でも、感謝しています。彼と会えたのも、貴方のお陰だから。」
ミクトランは、ただ表情の無い顔でカーレルを見詰めていた。 カーレルは剣を構え、ミクトランの白い首へ斬りかかる。 容易に払われ、剣が舞う。
まるで、カーレルはミクトランに殺されたがっているように見えた。 ミクトランもミクトランで、隙があるのに斬り返さない。
動の硬直が、数分間続いた。 ディムロスには、それが何十分にも、何時間にも思えた。
ミクトランの剣が、徐々に疲労したカーレルに届き始める。 手先足先から、脇や腹、体中に傷跡が付いていった。
一太刀、避け損ねた刃が脇下から胸を薙いだ。 吹き上がる血に、それでも倒れない。 カーレルが舞うたびに、血飛沫が散り宙を染める。 立っていられるはずの無いほどの出血だった。
「あの方の為に、如何すれば良いのか、私には分かりません。」
大量失血で青ざめた顔が、微かに動いた。 カーレルが、掠れ声で言葉を紡ぐ。 そのアメジストの瞳が、淋しげに揺れる。 一瞬、ミクトランの手が止まった。
閃光が一筋。 そして、血の雨。
ソーディアン・ベルセリオスは、ミクトランを捉えた。 ミクトランの胸に、深々と刃が食い込んだ。 吹き出た飛沫が、カーレルの頬に赤い斑点を刻む。
「でも、私に出来るのは・・・・此れだけですから。」
胸に突き立てられた剣。 伝う血が、床に雫となって落ちて、赤い水溜りを作っていく。 カーレルは、ミクトランが自分を見ているのに気がついた。
胸に剣を刺されても、彼はまだ死んでいない。 執念の結晶化したような眼が、ギラギラと光っている。 それでも、彼は動かない。 傷の深さに、動けなかったのかもしれない。
ずるり、とカーレルの手が剣から抜けた。 失血に、体が耐えられなくなったのだろう。 千鳥足で、後ろへ一歩二歩と下がる。 それを、堕ちかけた鷹は見逃さなかった。
ミクトランの執念の一刀が、カーレルの細い体を切り裂く。 左肩口から、胸までばっさりと、白銀の刃が走った。
「カーレル。」
ディムロスは、目の前の男の体から支えが抜ける瞬間を見た。 そして、倒れ往くその背に、あらん限りの声で叫んだ。 どさっと、倒れる音。 それを見下ろす天上王。
それは、立ち尽しているようにもディムロスには見えた。 彼は、静かに自分の殺した相手に歩み寄り、その細い体を抱いた。
「愛する者の為に死ねる君が・・・・羨ましい。」
そして、痛む体を押して立ち上がったディムロスを見る。 穏やかな、そして見たことの無いほど悲痛な表情。 そして、思いも寄らぬ言葉を、ミクトランは発した。
「終わりにさせてくれ・・・全て。」
その一言で、ディムロスも合点が行った。 傍らの剣を手に取った時、初めて人を殺した時以上に震えている自分に気がついた。 ゆっくりと、剣を振り上げる。
「何か、言い残す事は?」
ミクトランは首を振る。 しかし、思い直したように一言だけ口にした。
「私は、彼と相討ちで死んだ。それだけだ。」
カーレルの、今はもう違う何かになってしまったそれを見て、彼は言った。 酷く心が、痛んだ。
また、大切な人から大切な人を奪ってしまった。 また、幸せの芽を刈り取ってしまった。 二十年間、人前では決して流さなかった涙が零れる。
「ディムロス中将・・・お願いする。」
震えは止まった。 其処には勝利の喜びもなければ、勝者の誇りも無かった。 在るのはただ、残酷でやりきれない現実だけ。
風を切る音と共に、その首は落ちた。 その血の赤さを、彼は終生忘れ得なかった。
「・・・・死んだよ、ミクトランは。」
ノリスは、通信機から聞こえる声に目を閉じた。 カーレルの死、そしてミクトランも。 それを伝えるディムロスの声は悲痛だった。
「死んだか・・・。」
瀕死の状態で倒れたまま、感慨深そうにウォーラは呟く。 そして、息も絶え絶えに、傷を抑える。 立場を忘れて、ノリスは手を貸そうと屈み込んだ。 それを、ウォーラは乱暴に振り払う。
「戦争・・・・だろ、大佐。」
ノリスは、意を汲んで一歩下がった。 それに満足そうに、ウォーラは頷く。 頷いて、自分の持っていた剣を鞘に収め、ノリスに渡す。
「俺は、死ななきゃならなくなった。」
期待出来ないと分かりつつ、ウォーラは言った。 ぽんぽんと首の辺りを叩いて、斬るよう促す。 ノリスは、無表情を作ってから、一言。
「アンタの死に場は、此処じゃない。」
隠そうとした感情が、隠しきれずに垣間見えた。 その気遣いが妙に嬉しく感じて、ウォーラは笑う。 「なるほど」と声に出したか、思っただけか。 ウォーラは、血塗れの体を起こし、立ち上がって歩き始めた。 向かう先は、彼の死に場所。
「アンタ、剣は?」
部屋から出掛かったウォーラを、ノリスは呼び止めた。 それは本心からか、それとも止めるための口実か。 本人も、分からぬままに口にした。 足を止めてウォーラは一つ、咳き込んだ。 壁に手をつき、振り返らずにノリスに言った。
「死人に剣は要らない。そいつはくれてやる。」
妙に明るい声だった。 仕方の無い男だと、ノリスは溜息一つ。 渡された剣を腰に差して、自分の進むべき方角を目指す。 そして、互いに背中合わせに、お互いの方向に歩き出す。
「あいつを頼む。」
そんな声が聞こえた気がしたが、ノリスは振り返らなかった。 再び、剣林弾雨の戦場へ帰っていく。
全てを、終わらせるために。
一直線に、最前線へ駆ける。 流れる血も、最早気にならなかった。 散在する敵部隊を、一人で掻き分け、ひたすらに走る。
何だか、何もしていないのが嫌だったから。 何かしたい自分が居たから。
走って、走って、道の向こうに人影が一つ、目に入った。 いや、影だけなら二つ。
「・・・・・・・・。」
無言で、二つの人影は近づいてきた。 血で翳むノリスの眼にも、それが何かはすぐに分かった。 人一人、亡骸一つ。
「・・・・・ノリス。」
途方に暮れた子供のような、そんな顔。 ノリスはその顔を引き寄せて、胸に収めてやる。 ディムロス=ティンバーは、軍に入って初めて、ノリスの胸の中で泣いた。
それは、戦場の呻りとなって、何処までも響いていた。
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