彼は眼前の光景に言葉を失った。
焼き払われた集落。 血と硝煙の臭い。 町並みを染める黒ずんだ赤。 もう生きている物の気配は無い。
「・・・・。」
焼け焦げた住居跡。 無残にも殺された住民。 そして、寄り添うように自決した天上軍の少年兵。
ある者は自らナイフで喉を突き。 ある者は毒、銃・・・。 死にきれず仲間に止めを刺してもらった者も居たようだった。
その光景を、この若い将校はただ見詰めていた。 イクティノス=マイナード、若干24歳。 冷徹と言われる彼も、この光景には敵わなかった。
「大佐、顔色が・・・。」
気遣う部下を制して、彼は歩を進めた。 胃から湧き上がってくるものを必死で抑えた。
難民キャンプが襲撃されている、と言うのが通信の内容だった。 しかし、守る場所も、住民も、戦う敵もいない。 死んで骸となれば、敵も味方も関係なかった。 目の前にあるのは、焼け焦げた肉塊だけ。
町の中心に入って、むせ返るような血の匂いに耐えられなくなった。 眩暈を感じながら咳き込みつつ、フラッと焼け残った建物に足を踏み入れる。
何の気無しに踏み入れた第一歩。 しかし、第二歩目を進める時には既に彼の五感には何らかの反応があった。
・・・・・誰か、居る。
真っ暗な部屋に彼は、人の気配を感じた。 耳を澄ますと、微かに人の呼吸が聞こえる。 緊張が走る。
「出て来なさい。」
腰の剣に手を掛ける。 この惨状の中を生き延びている者に、彼は恐怖を憶えていた。 闇に目が慣れるまでと、彼はしばらく闇を睨んで立ち止まっていた。
静かに深呼吸をし、もう一歩踏み出す。 近づくたび、動悸が激しくなるのが分かった。 それともに、相手の呼吸が荒くなるのも感じた。
相手も怖いのだろう。 今、彼が恐怖を感じつつ進んでいるのと同じように。
「天上軍の兵士・・・ですね。」
棚の陰から軍服の端が見えた。 赤黒く変色した、金刺繍が微かに光っている。
呼びかけへの返事は無い。 代わりにその軍服が少しだけ揺れた。
「出てきなさい。命までは取りません。」
一歩踏み出すと、物陰の人影が大きく揺れて床に倒れた。 驚いたイクティノスは、倒れた人影に駆け寄った。 そして人影だと思っていたものが、人で無かったことを知る。 それはもう、肉塊と化した少年兵の死体だった。
「オクトが痛い、痛いって言うから。」
声に振り返る。 死体が転がり出てきた物陰には、もう一人潜んでいた。 死体のように白い顔の、返り血をべったりと浴びた少年兵。 少年は真っ赤になった手を見詰めていた。
「オクトが苦しそうだったから。殺して、って言ったから。」
オクト、と言うのはきっとこの死体の事なのだろう。 全身に無数の傷を負った小さな体は、死体になってなお痛々しかった。
仲間を殺したショックが余程大きかったのだろう。 その少年の大きな瞳は怯えに満ち、手は恐怖のあまり震えていた。 イクティノスは、彼へと歩を進める。
「あんなに出てたのにまだ血が出て、どんどん冷たくなって。」
少年は涙を流さずに泣いていた。 それを見詰めながら、イクティノスは胸を痛めることしか出来なかった。
「お兄さん。お兄さん、地上軍でしょ?」
初めて、少年が彼の方を見た。 俯いていて分からなかった澄んだ瞳に、イクティノスが映る。 縋るような、捨て犬のような目をしていた。
「僕、天上兵だからさ。殺してよ。僕なんて細いからすぐでしょ。」
イクティノスは答えられない。 少年は立ち上がり、よろめく足で彼に縋る。 殺して、とうわ言のように繰り返しながら。
哀れみと悲しみにイクティノスは襲われた。 彼ぐらいの頃の自分は、軍人だった兄の死を悲しむことしかなかったのに。 周囲の環境で、若い命とはこうも左右されてしまうのかと憤った。
「大佐。撤退命令です。」
後ろから来た部下が言う。 それに首から上だけ振り返って頷いた。 そしてすぐに、少年へと向き直る。
「敵兵ですか?」
半狂乱の少年兵を見て、部下が問う。 イクティノスは首を横に振った。 そして、そっと少年の冷たい体を抱え上げて言う。
「生存者ですよ。」
それから、イクティノスの部屋には一人住人が増えた。 彼が少年の監査役を志願したためだ。
自分が生き延びさせた責任を感じたため。 そして、少年に何故だか興味が沸いたから。
「君、食事くらいちゃんと摂りなさい。」
食の細い少年に、イクティノスが注意する。
少年は口数も少なく、食事もロクに食べようとしない。
名前すら、彼は名乗ってくれなかった。
意思疎通が上手く出来ない事に苛立ちが募る。 だから、ついつい言葉も荒くなってしまいがち。
「僕・・・いりません。」
「残してはいけない。天上と違って地上は・・・。」
そこまで言って、イクティノスは慌てて口を噤む。 今の少年に言って良い事ではなかった、と内心で反省する。
彼は、この幼い歳で戦場へ出た。 そして、仲間を殺している。 そんな彼に、天上の話をするのは傷つけるだけ。
「ごめんなさい。」
少年は沈んだ様子で謝罪の言葉を洩らす。 俯いた少年は元々よりも、もっと小さく見えた。
「あっ・・・いや・・・。」
逆にうろたえるイクティノス。
自分の未熟さに心の中で歯噛みする。 黙って俯くことしかできない。
「いつまで生きれば良いんですか?」
少年が呟いた。 顔を上げないまま、静かに落ち着いた声で。 イクティノスは、目を瞬く。 少年を見詰めていると、彼が顔を上げた。
あの時と同じ、綺麗な瞳。 悲しみを一杯に湛えた、儚げな瞳。
「早く殺して下さい。早く。」
少年は、瞳に大粒の涙を浮かべて訴えた。 冷静になってなお、少年は死を望んでいる。
イクティノスはショックだった。 このまま彼が生きてくれると期待していた。 彼をつれて帰っただけで、彼を救った気になっていた。
少年はずっと罪の意識に追われているに違いない。 仲間を殺してしまった、罪の意識に。
それを理解していなかった事が申し訳なくなった。 申し訳なくなって、堪らずに頭を下げた。
「・・・・すまない。」
少年の心の傷を分かってやれなかった事へ。 傷つけてしまった事へ。 ささやかな、何の足しにもならない謝罪。
「えっ・・・・?」
イクティノスの言葉に、うろたえる少年。 顔を上げ、じっと見詰めて少年を抱き寄せた。
情が移ったのかもしれない。 昔の自分に似てたから、など言い訳を考えてみる。 今一つピンとこない。
「もう、あんな怖い思いはさせない。」
ただ、守ってやりたいと思った。 この儚げな少年に生きる喜びを教えたいと思った。 自分でも何のために戦っているのか、分からないくせに。
「死なせはしない。私が約束する。」
大した力も無いくせに、安請け合い。 彼は内心で自虐しながら、でも自分と引き換えてでも助けたいと思った。 それがどうしてなのか、分からないまま。
「僕・・・は・・・・・。」
口ごもり、不安げな眼で、少年はイクティノスを見つめた。 何か言いたげに、少年は口をパクパクさせる。
「死にたい?生きていたくない?」
言葉が出ない少年に、イクティノスは真剣に問いかけた。 口を真一文字に結んだ、険しい表情で。 でも、瞳だけは優しく少年を見詰めて。 イクティノスの胸は温かく、少年の心を氷解させるようだった。
「・・生きて・・・・いたい、です。」
少年の心の雪解け水が、頬を伝って流れ落ちた。 その涙を、イクティノスはそっと掬い取る。
決意を込めて。
あとがき
加筆修正したら違う話になる罠。 まぁ良いや、自分に進歩が無いのは良く分かったよ。 しかし、健気シャルティエには殺意を覚えるね。
加筆修正2005/11/20
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