あれはいつだったか、彼と一緒に占領地の街を歩いていた時のことだった。前線に近いサマラ州北部の都市で、ハンゼルートの貿易で昔は栄えていたために規模は大きいがその分スラムの状態も酷いものがあった。薄暗い路地に目をやるとストリートチルドレンの目が生気なくこちらを見ているのに気がつく。それも四人や五人どころではなく各路地に十人以上の子供が押し込められたように肩を寄せ合っていた。


「目、合わせるな。」


言葉に従い、視線を彼へ向ける。勿論私とて分かっている。彼より長く軍務についているのだからこういう光景は見慣れている。ただ、戦災孤児だった彼と一緒にいるとどうしても子供達に情が沸いてしまうのも事実な訳で。


「随分冷たいんですね。」
「俺は自分でどうこう出来ないことに興味が沸かねーんだよ。」


合理的な答えだ。気まぐれで情を出して彼らに何らか施しをしたところで彼らの置かれている状況の根本は変えられない。助けられたとして、一人か二人。その事実はリトラー司令によって育てられた彼とカーレル中将が自らの身を以て証明しているし、シャルティエを手元に置いて育てた私とて承知だ。


「お前も分かるだろ?」
「そりゃ、まぁ、分かりますよ。」


ただ、そういう理屈と感情は全くの別問題で、彼は自分の理屈を公然と裏切ることがままある。尊厳とか情とか使命感とか、言葉にすると陳腐になるような問題が、しばしば彼の中では驚くほど大きく取り上げられているのだ。


「でも小銭くらいあげたい気持ちになりません?」
「翌日ガキの死体が見つかるだろうけどな。」
「ええ、皮肉なものです。」


物の分からない人間が半端に情を出して子供に金目の物を恵むと大体奪い合いになって子供が二、三人死ぬことになる。一見仲良く肩を寄せ合っているように見えるがそれは互いに何も持っていない状態だからであって、彼らの中で格差が生まれた瞬間争うことになる。


「貧富の差が争いを生むって奴だな。」
「今度はマルクスですか?」
「お前が読めって言ったんだろ。」
「ちゃんと読んでるんですね、感心しました。」


最近彼は経済学にハマっているらしく、先日ケインズを読んでいた。軍事学の本よりは戦災孤児を救う道に近いような気がするけれど、そこまで彼が考えているかどうかは分からない。でも彼は、私がそう思ってもおかしくない程度に優しさを持っている人だ。


「何笑ってんだよ。」
「いえ、別に。」


つい笑みを出してしまった自分を戒め、十字路を曲がる。先ほどまでの大通りに比べると少し狭い通りに入った。まばらに怪しい露店が出て、壁を背にして通り沿いに子供達が座り込んでいた。


確かその時、私と彼とは町外れにある敵軍のトーチカ跡の視察に行くのだった。天上軍は陣地設営に関して方針を若干変更してきたようで、その辺りに関して情報部が工兵隊に手を借りながら調査していたのだったと思う。今思うと護衛もなく二人で歩いていたのは若干不思議なのだが治安が良かったから必要なかったのか、ちょっと彼と二人で歩きたい気分だったからなのかは良く分からない。多分両方だったのだろう。


「軍人さん!軍人さん!」


ややラシーヤ北部訛りのある高い声が私達を呼び止めた。声の方を見ると脇道から子供が一人飛び出してきて私達の進路を塞いでこちらを見上げる。10歳前半だろうか、痩せてはいたが大きな目に生気のある少年だった。


占領後間もない土地で声を掛けられるのは珍しい。大概、天上勢力圏の人々は地上軍の残虐性についての宣伝に影響され、平和な占領状態が暫く続いても警戒心をなかなか解こうとはしない。もっとも、我々とて同じことをするのだから仕方ないとも思うのだが。


「煙草要りませんか?一箱30ガルドです。」


屈折した感の無い少年の笑顔にはスラムの退廃が感じられなかった。だからだろうか、彼は少年を追い払う様子もなく言葉に耳を傾けている。ただ表情は面倒臭そうないつもの顔のままだったが。


「・・・煙草ね。」


彼は呟きながら制服のポケットを探った。しかし、その手に煙草の箱が触れることなどないのを私は知っている。彼は煙草なんてものは吸わない。また得意の気紛れが始まったのだろうと思って、私は黙ってその様を見ていた。


「じゃ、一箱貰うわ。」
「ありがとうございます。」


彼はさも丁度煙草が無かったかのように装って少年に30ガルドを渡してやった。少年は笑顔を見せて丁寧にお礼を言い、ぺこりと小さな頭を下げた。先程から少年の話す言葉のラシーヤ北部訛りばかりが気になっていたが、そう言えばこの子は10代前半にしては随分しっかりした話し方をしている。恐らく貧しい生まれではないのだろう。


「一本どうぞ。火を。」


煙草の箱を切り、少年は一本差し出す。彼がそれを受け取ると少年が慣れた手付きでマッチを擦って火を点した。彼の口元からゆっくりと紫煙が上って風に靡く。


商売人らしい丁寧さはあるもののスラムの媚が無い。もし彼が要らないと言ったら大人しく笑顔で引き下がっただろう。そんな潔さみたいなものを感じさせられて好感が持てた。だからこそ、彼もついつい気紛れを起こして好きでもない煙草を買ってしまったのだろうけれど。残りの箱を受け取ってポケットにしまいながら、彼は煙を吐いた。


「北ラシーヤの出か?」
「はい。生まれはプスコフです。」
「ふーん。」


短い質問を投げかけ、彼は興味なさそうに煙草の灰を落とした。そして私の方へ目をやってから、歩みを進め始める。私達が通り過ぎてから彼がもう一度お辞儀をしてから駆け出したのが気配で分かった。


彼が遠くに行ったのが分かってから、彼はゴホゴホと苦しげに咳き込んだ。気紛れで施すにせよ、物を買うと言う建前が欲しかったのだろう。合理的なんだが非合理的なんだか分からない人だ。


「あれ、天上軍人の子供ですかね。」
「だろうな。育ち良さそうだったし、将校だろ。」
「気紛れの理由はそれですか?」
「悪いかよ。」
「いえ、貴方らしいですよ。」
「らしい・・・ね。」
「ああ言うのを見ても、仕事で手を抜かないでしょうし。」
「当然だろ。仕事は仕事。」


戦災孤児としてと言うより軍人の子としての共感が気紛れを生んだらしい。しかし、リトラー司令に何かあったとしても彼に愛想の良い煙草売りは無理だっただろうけれど。


もう一度、彼は煙草を蒸かして盛大に咳き込んだ。微かに紫色をした煙が咳に合わせて彼の口から洩れる。彼に色々と思うところがあるのは察して余りあるので、煙草は身体に毒ですよなんて野暮なことは言えない。


「どうです?」
「偽善の味がする。」


苦笑いする彼が私に吸い掛けの煙草を差し出した。そう言えば、煙草なんていつ振りだろうと思い起こすとシャルティエを引き取った時に止めて以来だったように思う。勧められるままに煙を身体の中へ送り込み、久々にニコチンが染みていく感覚を味わった。


自分の行動を卑屈さを感じさせずに偽善だと言えるのはある種の潔さだろう。だけれど私の贔屓目か何かが、それをただの偽善と片付けてしまいたくない気持ちを起こさせる。ふと脇道に目をやる。相変わらず、無数の子供の生気に欠ける目が私達をぼんやりと見ていた。


彼の優しさの味は苦い。












あとがき
半仕事モードだからキャラクターが違う二人。いや、彼らの描き方を忘れてしまった訳では・・・・。
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