探し物

「何で僕を抱くんですか?」


彼にそう尋ねた事がある。
彼は笑って、答えてくれなかった。
代わりに、優しく抱きしめてくれた。





存在意義に拘るのは、僕の悪い癖。
いつも居場所が無かったから、役に立たないと捨てられたから。
僕が住んでいたのは、地上一冷酷な世界。
身寄りも無い子供にまともな生きる道なんて、無かった。


一枚の硬貨を求めて、道端に座り込む。
気に障れば何の遠慮も無く、蹴られる殴られる。
その日の糧を求めて、ごみを漁る。


似たような子供は沢山いたし、同じくらいの大人も居た。
大人の縄張りに入ればまた、殴られる。
殴られる痛みを知っているはずの大人が、子供を殴る。
それは、暴力と生存本能が支配する世界。


悪いことは一通りした。
道往く人の財布を抜いたり、市場の品物をこっそりポケットに入れたり。
僕は力が無かったから、それ以上の事は出来なかった。
それに、臆病だったから。


裏路地で追い剥ぎをした奴は、憲兵に囲まれて殺された。
痩せ細った体の、汚い男が膾切りになるのを僕は見てしまった。
それをしたのが天上のか、地上のか、僕は憶えていない。
実際、兵隊ならどっちでも同じだった。


前にも言ったけど、僕は人は殺さなかった。
怖かったし、出来るとも思わなかったから。
こんな僕が、今は軍人だなんて可笑しな話だと思う。





僕が初めて人を殺めたのは、僕が七つの時。





良く、知らない中年の男に声をかけられた。
赤ら顔で、脂っこい醜悪な顔をは今でも忘れない。


「坊や、お腹が減っていないかい?」


西部訛りで品の無い言葉だった。
物乞いの僕だって、もっとマシな口が聞けたと思う。
しかし、碌な物を食べていない僕は、男の出した大きなパンに一瞬心が揺れた。
つい、手を伸ばしたのを男は同意と取ったらしい。
その手を掴んで、そのまま引いていく。


車に乗せられ、暫く走って、少し大きな建物に着いた。


「さぁ、とりあえず体を綺麗にしなさい。」


男は使用人に僕を引き渡すと、足早に去っていく。
不安に駆られたまま、僕は物心ついて初めてかもしれないシャワーを浴びた。
其れを済ますと、食べ物を与えられた。
状況が理解できないまま、僕は空腹に負けてそれを食べてしまった。


そんな不安な時間も、すぐに過ぎ夜になる。
僕は大きな寝室に通されて、大きなベッドに寝かされた。
小さな子供が五人は眠れるくらいの、大きなベッド。
落ち着かなくて眠れないかと思ったけれど、そのうちにすやすやと眠りに落ちてしまった。


その安らかな眠りは、真夜中に破られた。
肌を這う、不快な感触に目を覚ました僕は、何も着ていなかった。
そして、あの醜悪な顔が僕の裸体を見詰めている。


「おはよう。」


品の無いあの声で、男が言った。
僕の細い体を男が掴み、放さない。
男のナメクジのような舌が、素肌を這い回って気持ちが悪い。


男が何をしようとしていたか、当時の僕には分からなかった。
今でも、七つの子供相手にそんな事をする奴の気は知れないけれど。
兎に角、僕は怖くて逃げ出したかった。
手足をばたつかせ、首を振る。
その様子が嬉しかったらしく、耳障りな笑い声が耳元で響いた。


男の頭が、僕の股間に沈む。
その快感すら感じられないくらい幼かった僕は、嫌悪に震えた。
今までの人生で一番の危険を感じた。
何をされるのか分からない、殺されるかとも思った。
偶然、僕の右手が何かを掴んだ。
必死のあまり、何か分からない。
何か分からないまま、僕は、其れを男の頭に叩き付けた。


硬い手応えがあって、男の体がびくんと波打った。
男の頭からは鮮血が噴出し、真っ白いシーツを紅く染めた。
僕は夢中で、男の頭を首を滅多刺しにした。
男が動かなくなるまで、男の血がもう出なくなるまで。





そして、その後は呆然としていました。
体の血を拭いもせず、男の身体を除けるでもなく。
右手に握っていた物を、じっと見詰めて。
咄嗟に掴んだ一本のナイフを見詰めて。








「君、君。」


呼び声に気がついたときには、もう昼前ぐらいだったらしい。
男の死体と僕を、厳しい軍服が取り囲んでいた。
そして、僕に話しかけるのは13、4歳の緋色の髪の少年。
僕は握っていたナイフを取り落とした。


カランと言う音と共に、涙が溢れてきて誰かも分からないその少年に泣きついた。
困り顔の少年は、僕に毛布をかけてくれて後ろを振り向く。
そちらを見上げると、涙で潤んだ視界の先に、あの人が立っていた。
少年は、指示を仰ぐようにあの人を見詰めている。


「子供は私が預かろう。人払いをして、服を着せてやるように。」


その時、僕は、初めてあの人の声を聞いた。
無機質な冷たさの中に、沢山の優しさが込められた声。
兵士達が、男の死体を布に包んで運んでいく。
僕は、まだ気持ちが落ち着かず涙が止まらない。


僕は何をされたの?
僕は人を殺したの?
僕は・・・僕は・・・・・


「ほら、泣き止みなさい。もう大丈夫。」


あの人が、僕の頭に手を置いて優しく微笑んでくれた。
そう言う表情を向けられたのが、生まれて初めてだったと思う。
逆に今度は嬉しくて涙が出て、止まらなかった。


「ドレーク、この子を。」


「はい、ミクトラン陛下。」


ミクトラン。
あの人の名前を知ったのもそれが初めて。
不思議と懐かしくて、心に深く残った。


僕に存在意義をくれた人。
僕の苦しみを分かってくれた人。
そして、生き場と死に場を与えてくれた人。





でも、僕は袂を分かった。





僕はもう其処には居ない。
あの人の与えてくれた場所には居ない。
僕の居場所は、彼の隣にある。


彼は、僕の苦しみを、過去を知らない。
聞こうとしないし、興味も無いみたい。


彼は生きる場所も、死ぬ場所も与えてはくれない。
死に場所を求めていた僕を、強引に引き止めたのは彼。
そして僕は今の場所を彼の隣を、自分で探して手に入れた。


彼は僕を包んでくれる。
僕の汚い部分、暗い部分も。
そして、一緒に傷付いてくれる。
僕の痛みを知ってくれる。





其処には安息がある。
自分で手に入れた安息が。




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