才能ある兄弟




静かな部屋にパラパラとページを繰る音だけが響いていた。薄暗い部屋には弱い光を放つランプ一つだけが灯され、次々と捲られていくページとそれを読んでいる人間の顔の一部だけが照らされていた。


それは「候補者人事考課集」と表紙に走り書きで書かれた一冊のファイルだった。新設部隊へ配属されるに適当と思われる若手将校達を人事担当の参謀たちが経歴と共にリストアップしたものである。そのうちの一枚に目を止めて視線を走らせながら、男は微かに鼻を啜った。暖を取る火の気さえない暗く小さな部屋はかなりの寒さで、彼の身体はすっかり冷え切っていたのだ。


その寒さを気にする様子もなく、彼は一瞬思案顔になった後で先程まで読んでいたページをファイルから外して優しく机の上に放った。同様にファイルから外されたものが既に5枚ほど机に乗っていた。


「暖房も入れていないのか?」


その声で彼は、驚いたように顔を上げた。目の前の考課表に集中する余り、自室にノックもせず入ってきた人間にさえ声をかけられるまで気付かなかった。もっとも、入ってきた方―どうやら参謀本部の少将らしい―は彼のそういう部分を良く心得ているようで気にする風もない。


「何?」
「ストーブ入れる?」
「ああ、頼むわ。」


驚きからすぐに復帰した彼の態度は剣呑だった。決して悪気がある訳ではないが、物事に集中している時の彼は周囲からの介入を嫌うところがある。それは相手が彼にとって半身とも言うべき兄であっても同様だった。


「ハロルド。」
「・・・・。」
「・・・ハロルド。」
「今度は何?」
「根を詰め過ぎても良くないよ。」
「分かってる。」


自分の助言を聞き入れるつもりが弟にないことが分かった兄―地上軍参謀本部作戦部長カーレル・ベルセリオス少将―は、いつものように溜息を吐きながら、せめて身体を冷やしてしまうことがないようにと思いながら埃の溜まったストーブに火を入れた。


「しかし、人が多いから仕方ない部分もあるね。」
「お蔭様で。」
「お前の部下だから並の人間では務まらないだろうし。」
「まぁ、多分。」


素っ気なく答えるとハロルド・ベルセリオスは7枚目の考課表を外し、机に向けて空中を滑らせた。勢いが付き過ぎて止まらなかったらしいその一枚は、そのまま机の上を滑って行って、ついさっき向かいに腰掛けたカーレル・ベルセリオスの膝の上に至った。カーレルの大きな瞳が考課表の文面を追った。


ジャン=ジャック・バレーヌ大尉はダーラナ州生まれの29歳。対戦車戦闘の専門家で敵車両の撃破スコアは28台を数える。性格は陰性かつ反抗的傾向があるものの強い敢闘精神を持ち、任務には忠実。


「戦車狩りについてはかなりのものらしい。」
「それなら他にも候補はいただろう?」
「訓練教官としての後方配置を何度も断ってる。」
「つまり?」
「戦争好きってこと。そこが気に入った。」
「口応えが多くても?」
「構わない。」
「本当にお前は将軍向きだよ。」


カーレルは機嫌良さそうに笑うと紙の山へ手元の一枚を戻した。ハロルドが率いる新設部隊は「第418独立工兵連隊」と呼ばれているが戦闘員の人数は約4000に上り、中心となる工兵は勿論のこと砲兵や歩兵などの諸兵科連合編成を取る事実上の旅団級部隊と言える。当然ながら主要な部分を占める幹部将校の数も多くなり、その人選は時間と手間を要する。


「参謀長は?」
「良いのがいない。」
「人事の担当者はそれなりに考えてくれた筈だよ?」
「いないものはいないんだって。」


不貞腐れたような顔をしたハロルドは一瞬探るような目で兄を見た。困った奴だといういつもの顔をしているのを確認してから自分のデスクの引き出しを開け、ファイルに挟まれていたものと別の考課表を出した。


「こいつなら欲しい。」


得意の気紛れかと思いつつ考課表を覗き込んだカーレルは一瞬で表情を凍り付かせた。可愛い弟の我儘と看過することは出来なかった。


「ピエール・ド・シャルティエ。知ってるだろ?」
「・・・まぁ、詳しくね。」


元天上兵で捕虜からの転向組、性格には問題が多く、世間の評判も良くない。地上軍総司令の息子の部隊、その要を担う人物として適当とはどう考えても思えなかった。勿論、その類稀な能力は別として。


加えてカーレルは情報部出身者という点も気に入らなかった。イクティノス・マイナードとの関係が悪い訳ではなかったが、総司令官―とは言っても絶対的な権力を持っている訳ではない―メルクリウス・リトラーと自分とが思うままに動かせる部隊を望んでいた彼としては、情報部系の人材を避けたかった気持ちがある。


「問題あるのは分かるよ。」


真剣な顔をしていたハロルドが何故か笑顔を見せて頬杖を突く。言いたいことは言ったらしい。どうする?と言わんばかりの表情で兄の様子を窺っている。


「そうやってお前は私を試す。」
「兄貴を試してる訳じゃないよ。」
「じゃあ、何?」
「どこまで我儘が通るかと思って。」
「同じことだろ。」


カーレルは何度かシャルティエを見たことがあった。勿論、子供の頃はしばしば顔を見る機会があったがお互いが地上軍に属してから直接顔を合わせた回数はそんなに多くはない。一番印象に残っているのは、指揮官を失った中隊を掌握して敵大隊を撃破した時だった。


帰還して司令部のテントに入る前、カーレルを見つけたシャルティエが微笑して会釈したのが忘れられない。硝煙と返り血で汚れた顔に張り付いた穏やかな表情に底の知れない物を感じたのだった。


身内の贔屓目を割り引いても天才と言う外ない弟と、戦争をする為に生れてきたかのようなあの危険な少年―そう、未だピエール・ド・シャルティエは少年と言うべき年回りだった―が組み合わさった時、何が起こるかと思うと恐ろしかった。参謀として予想がつかないほど恐ろしいこともない。ただ、頼もしく思えるのは間違いなかった。


言い出したら聞かないであろう弟を知っている彼の頭は既に人事上の障害をいかに押し破るかに向けて動いている。そうだ、いざとなれば「情報部が無理を言って」とでも言ってしまえば良い。謀殺や醜聞といったものを恐れる老人達は情報部とイクティノス・マイナードに対して過敏になっている。どうせなら利用してしまえ。カーレルは素早く結論付けた。


「少将にはお前から話をしろ。」


暖房が効いてきて乾いた唇を舐めてから、カーレルは諦めたように口を開いた。それを聞いたハロルドは兄から出た許しに笑みを強めつつ得意げに答える。


「もうしてある。」
「・・・・。」
「怒った?」
「勝手な奴だ。」
「ありがと、兄貴。」


ハロルドは既に山になっていた考課表の山の一番上に自らの参謀長となるべき人物のものを加えた。


「親父と兄貴には悪いけど、俺は戦争が好きなんだ。」
「総司令は悲しまれるだろうな。」
「でも、親父や兄貴の役には立つつもりだよ。」
「その点については心配してない。恐らく総司令も。」
「嬉しいね。」


ハロルドはふざけた態度で、しかし見事な敬礼を見せた。この若い人格と肉体の隅々にまで軍と戦争とが染みついている事実にカーレルは複雑な気持ちになったが、自分も形は違えど同じことだと気が付いて思い直した。


「第418独立工兵連隊長殿、幹部将校の人選御苦労でした。可能な限り貴官の希望を汲み、早急に部隊は編成されます。それまで貴官は命令を待ち、戦いの疲れを癒して下さい。」
「はい。」


参謀と前線指揮官の顔になった兄弟は軍隊と言う枠組が必要とする儀式としての遣り取りを交わした。


ハロルドと違い、カーレルは戦争を好んでいなかった。だから自分が戦争に適した人間であることを素直に喜びはしない。ただ、別段不幸とも思っていなかった。必要ない人間とされるよりは、時代に要求される人間として生きる方が何倍も良いと感じていたからだ。








シャルティエも同様に思っているのだろうか。


弟の部屋から出た彼はふとそのようなことを思った。きっとそうなのだろう。戦争が好きだろうが嫌いだろうが、戦争の時代にあって戦争に向いていることは悪いことではない。彼ほど長く戦場にある人間ならそう思うに違いない。


知りあって今まであの少年を評価こそすれ、親しみを感じたことなどなかったが初めてあの少年に僅かばかりの近しさを覚えた。

















あとがき
この前書いたイクシャルとややリンクしています。話のテーマとしてはハロ+アトが二人で戦争しちゃう話ともかぶるかな。ちょっと兄貴に甘えるハロルドがお気に入りです。






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