潮騒

カレリア人自治区西部、ドン・リアオ半島の先端に位置するダーレン港。カレリアの木材をタウラゲへ運ぶ白海貿易の拠点として栄えた街は、商業都市の華やかさとは相容れない物々しさに包まれていた。

天地戦争の終結以来カレリアの民族紛争が悪化しているというのも一因だが、部族意識の薄い商業都市には今のところ大きな影響は出ていない。いや、間接的には民族紛争による影響と言えないこともなかったが、より直接的には1時間前に入港した船団によるものだった。

民間の貨客船と貨物船によって編成された船団だったが、運んできたのは地上軍の部隊だった。ほんの1年前までこの大陸のあらゆる場所で天上軍と戦っていた時の姿そのままに、数千人の兵士達がカレリアの大地に降り立った。

カレリアでの民族紛争に介入するために派遣された地上軍カレリア派遣部隊。その第一陣はハロルド・ベルセリオス率いる第418独立工兵連隊だった。



ダーレンの地を踏む地上軍部隊は彼らが最初ではない。半月前に小規模な部隊が先遣隊として既に到着している。彼らは市庁舎の四階を間借りして、主力の上陸の向けて準備を進めていた。

先遣隊の大部分は、カレリア派遣部隊の主力となる第1師団の将兵から構成されていたが、中にはそうでない者もいる。例えば、ルチア・ディ・モンテ中尉はまともな部隊勤務の経験が殆どない女性士官だったが、カレリア人の言語に堪能だという理由で先遣隊に加えられていた。

「こちらの書類、訳が出来ました。」
「ああ。」

先遣隊の指揮官を務める大佐は、ルチアの呼びかけに対して短く一言応えただけで、彼女の顔を見ることもしなかった。仕事に忙しく余裕がないという訳ではない。彼はただ、窓から外を見ているだけなのだ。

「えー、その。」
「置いといてくれ。」
「・・・はい。」

これまで多くの軍人を輩出してきたモンテ家の次女である彼女は、精鋭の第1師団に関われることを光栄と感じていたものだが、その気持ちもこの半月ですっかり萎えてしまっていた。同僚の将校は確かに有能だったし、下士官兵も流石と思わされる者が揃っていたが、どうしてもこの指揮官が気に入らなかったのだ。

かの有名なディムロス中将の右腕として第1師団の参謀長を務めている人物だと聞かされていたのだが、いつも怠そうで仕事に身が入っていない感じを漂わせている。両親が早くに亡くなった為に、歳の離れた厳格な兄の下で育てられたルチアにとって、彼のだらしのなさは許しがたいものがあった。

「カルナック大佐。」
「ノリスで良い。」
「・・・ノリス大佐。」
「・・・。」
「大佐?」
「聞いている。話せ。」
「・・・はい。」

上官を選べないのは軍人として当然のことであるから耐えねばならないと思ってはいたものの、語学に堪能な彼は常に指揮官に付き従うことを求められていたため、日々ルチアの精神は大きな消耗を強いられている。

「昨日ご報告しました現地での糧食調達の問題についてですが、ペーパーに目を通していただけましたか?」
「現地の業者が下手を打った件か?」
「はい。兵站上の障害にもなりかねませんので早急に・・・。」
「あれは片付いた。細かい交渉が明日ある。予定空けとけ。」
「え、あ、はい。」

彼女から見てノリスは仕事をサボっているようにしか見えないにも関わらず、実際はきちんと処理されている。相容れないものを強く感じる一方で、やはり精鋭の第1師団参謀長を務めるだけの能力の持ち主でもあるのが、ルチアにとってはやりにくかった。

そんな苦労を全く知らない様子で、ノリス・カルナック大佐は相変わらず、開け放たれた窓から外を眺めていた。市内でも高い建物である市庁舎からは港が良く見える。

「あ、っと。」

潮風が吹き込んで、元々鋭い彼の目が更に細められ、彼の黒髪が揺れた。潮風は案外強く、机の上の書類を吹き散らそうとする。ルチアが慌てて重ねられた書類に飛び付く。

「危なかったですね。」
「あぁ。」

間一髪の所で机の平穏は守られたが、ノリスはそのちょっとした騒ぎを殆ど気にしていないようだった。窓の外に向いていた黒い瞳が彼女の方を向いて、それからすぐに戻っていった。微かに口角が上がっているように見えた。それが彼女を苛立たせた。

「窓を開けるのは結構ですが、気を付けて頂かないと困ります。」

彼女は、投げつけんばかりの心境で綺麗に整え直した書類束を置いた。所詮は心境の問題なので、実際のところは、そっと置くとは言えない程度の強さでしかない。それが育ちの良い彼女の限界だった。

先程までずっと頬杖を突いていたノリスが急に姿勢を変えた。ルチアの説教を聞いたからではないのは彼女にも分かった。窓に向かって前傾になり、何かに注目している。

「始まったな。」

彼が自発的に口を開いたのは今日初めてだと気付き、ルチアは無性に腹が立ちそうになったが、それよりも彼が何の始まりを感じたのかという疑問の方が大きかった。

「何がですか?」
「上陸作戦だな、あれじゃ。」

ルチアの反応など気にすることなく彼は続けた。口ぶりは呆れた様子でもあり、楽しそうでもある。ルチアは答えを求めて彼の上官が見つめる先へ目をやった。ここ半月にはなかった物々しさを湛えたダーレン港がそこにあった。

続々と兵士達が上陸し、物資が荷揚げされていく。普通なら規則正しく降りてきて整列でもするところなのだろうが、彼らは分隊ごとに散開し周辺への警戒を行なっていた。臨戦態勢と言って良い。まるで彼らの前に、上陸を阻む敵がいるかのようだった。ルチアは上官の言葉の意味を理解した。

「ダーレンが安全と知らない訳ではありませんよね?」
「分かっててやってるだろうな。」
「何故ですか?」
「戦争好きのクソ野郎なんだ、あいつは。」

悪友を自慢するような口調でそう言うと、彼は先程までとは打って変わった機敏な動作で立ち上がった。愛剣と銃をベルトに付け、潮風で乱れた髪をおざなりに整えると、足早に席を離れる。

「大佐、どちらへ?」
「出迎え。」
「え?」
「行くぞ。早くしろ。」

彼は優秀な軍人であり、多少の態度の悪さを除けば人格的にもそれほど問題がある訳ではないのだが、どうしても苦手なことが二つあった。一つは報告が来るまで行儀良く待つこと。もう一つは細事を懇切丁寧に説明すること。

「大佐。ちょっと。」

身勝手な上官をルチアが追おうとしたその瞬間、また風が吹いた。彼女の豊かな栗毛が揺れると同時に背後で鳥の羽ばたくような音がして、失敗を自覚する。どっと疲れが押し寄せた。振り向くと、想像通りの光景が彼女の眼前に広がっていた。

まずは窓を閉める。それから散り散りになってしまった書類を集める。そして、やっと追いかける。息を切らしながら追いつくと、気のない返事で迎えられる。もしかしたら、彼の口角がまた上がるかもしれない。

「あぁ、もうっ。」

これからの自分の行動を想像して、その耐え難い間抜けさにルチア・ディ・モンテ中尉は、ついに苛立ちの声を上げた。それは先程までの落ち着いた女性士官のそれとは異なり、歳相応の若さと愛嬌が感じられる声だった。

先遣隊指揮官ノリス・カルナックは部屋を出たところで、その声を聞き、そして機嫌の良さそうな笑みを浮かべた。流石に後でフォローしてやる必要があるかも知れない、と思った。

彼の少なくない欠点の一つに親しみの表現が難解だということがあったが、その一方で彼はやろうと思えば細やかに気遣いが出来る人間でもあったし、友人を自分なりの方法で大事にするということに関しては誰もが認めるところだった。









あとがき
ノリス式の友情という話。本当は「しばりひも」の続編としてノリスとハロルドの話として書こうと思ったんだけど、その中にちょっと挟むはずだった女性士官とノリスの話が長くなってしまって、独立した話として書いたのがこれ。

なんか、話としては夢小説とかにありそうな感じですよね。真面目な女の子が不真面目な男にイライラさせられる、っていう話が好きなんですよね、昔から。

あと、ドン・リアオ半島とダーレンってのは地図を見てもらえば分かる通り遼東半島と大連です。安易なネーミングだったな。
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