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或る兵士の個人的終戦
「何か、飲みますか?」 「いえ、このままで。」 穏やかな声でそう言ってから、シャルティエがイクティノスの胸に顔を埋めた。彼とて何か飲みたかった訳ではない。会話のきっかけが欲しかっただけだった。 「後悔はない?」 「ありません。」 「君からそんなにはっきりした言葉が聞けると思わなかった。」 「不思議ですね。」 顔は見えなかったが、彼にはシャルティエがおかしそうに笑ったのが分かった。頭を撫でてやるとそっと擦り寄ってきた。 「うちの人間は皆、最後まで君の動機が分からなかったらしい。」 「そうですか。」 「ええ。」 「でも、そうでしょうね。」 クライン共和国が誇る情報機関さえ、弱冠25歳の若者の底を見通せなかった。シャルティエは簡単に理解されないことに満足感を覚えた。理解されて、解釈されて、結局見下されるよりも、何を考えているか分からない者として扱われる方が良い。 「少将は、分かりましたか?」 「私も確信は得られていない。」 「推測でも良いです。」 二つの大きな瞳がイクティノスを見ていた。あぁ、この青年のどこにそれほどの狂気が、と一瞬思わされたが、その一方どこか納得出来ている自分もイクティノスは見つけていた。だって、最初からこの子は普通じゃなかった。 「旧天上勢力との接触という話もありましたが、私は違うと思った。」 「ええ、僕はミクトラン陛下には恩がありましたけれど、別に天上に思い入れがあった訳ではないですし。」 「金でもない。」 「ええ、大した給料ではないのに、どう使ったものか困っています。」 「多分、理由は私だ。」 シャルティエが感嘆の溜息を漏らした。それが肯定の意味を持っていることに関して二人の間に誤解はなかった。自分の推測が当たってしまったことを少しだけイクティノスは悲しんだ。 「僕は臆病な人間です。」 「ええ。」 「でも、最近気付くことがあったんです。」 「何ですか?」 「死ぬような思いをしないと生きている感じがしないんです。」 臆病なのに、スリルがないと生きていけない。「おかしいですよね」とシャルティエは笑った。イクティノスも笑った。何か面白い冗談を言ったかのようだった。 「クラインの仕事は不足だったかな?」 「少しだけ。」 「今の暮らしは?」 「最高に充実していました。」 「そうですか。」 「最高の諜報員を裏切りながら、いつ知られるかと怯えて過ごしましたから。」 「少し照れくさいね。」 シャルティエの言葉に世辞の意図はなかった。イクティノスは彼が知る限り最高の兵士である人物からそのような評価を得られたことを誇らしく思った。 「僕に視線が向く度、手が触れる度、物凄く興奮しました。」 「そうは見えなかったけれど。」 「一度、少将に後ろから肩を叩かれて射精したことがありました。」 「そんなに良かった?」 「ええ、死んだかと思いましたから。」 この子は狂っているな、と改めてイクティノスは思った。それが益々愛おしく、益々劣情を誘った。シャルティエの唇を塞ぐ。イクティノスはもう一度、彼を抱いた。 シャルティエの感じ方は常軌を逸していた。それがイクティノスには恐ろしくも、愛しくもあった。最後にはシャルティエは気絶した。10分程して意識を取り戻すと、彼は驚くほど落ち着いていた。 「すみません、寝てしまっていました。」 「いえ。」 「もう目覚めないかと思いました。」 「残念でしたか?」 「どうですかね、もう少し楽しめると思えば。」 イクティノスは思う。この業界は厳しい世界なのだ。有能な者は沢山いるが、有能な者の多くは、この世界を楽しみすぎてしまう。いや、しかし、考えてみれば楽しみすぎてしまう者が破滅するのは仕事を問わない普遍的真理かもしれない。 「君は楽しみすぎたね。」 「そう思います。」 それが普遍的真理ならば、どうあってもこの子は生きていけないのだ。儚いものだ。才能があるのと適性があるのは違うのだ。イクティノスは自らが育てた子であり、恋人であり、最も有能な部下である青年を惜しんだ。 思えば、戦争の中で育った彼にとって終戦とは認めがたいものだったのかも知れない。だから、彼は個人的に戦争を続けた。続けるために、自らを育てた親であり、恋人であり、上官である人を裏切った。 「幸せでしたか?」 「ええ、とても。」 穏やかに笑ってシャルティエは胎児のように身を丸くしてイクティノスに寄り添った。彼は方法として毒を選んだ。銃で死ぬのは芸がないと言ったのだった。このまま眠りに落ちれば、もう二度と目覚めない。 「おめでとう。」 安らかに寝息を立てるシャルティエの頭を撫でて、イクティノスが呟く。シャルティエにとってどうかは分からないが、イクティノスにとって終戦とは常に喜ぶべきことだから。 兵士は幸せに終戦を迎えた。 あとがき 平和な時代に最も馴染まないのはシャルティエだと思うんですよね。その度合がうっかり一線を超えてしまうとこうなってしまうのかな、と思ったりして。 破局シリーズ第二弾でした。 BACK |