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Between sunset and sunrize
情報部の本当の仕事は、日が沈んでから始まる。 「どうぞ。」 「はい。」 イクティノス・マイナードは執務室のドアをノックされ、丁寧に応じた。彼はノックの仕方で来訪者が分かる。来訪者の側もそれを知っているから、わざわざ名乗ることはしない。 「今日の新聞はお読みになりましたか?」 「ああ。今年はトウモロコシが豊作らしいね。」 イクティノスは知らぬふりをして、情報部に毎日届けられる大陸中の新聞−当然、天上軍支配地域で発行されているものも−のうちの一つ、デイリージャクソンの一面に出ていた農作物の話を出した。農業地帯を本拠地にする地上軍にとって農作物の出来具合は勿論重要なのだが、そのような話はお茶か夕食の時間にでもすれば良い。 冗談のつもりだったのだがシャルティエはほぼそれを黙殺し、手にしていたファイルから新聞の切り抜きを取りだした。サリダ・デル・ソル、中央山脈地帯で多く読まれている中立系の新聞社だ。 「豊作なのは、貴方が肥料を撒かれるからでは?」 シャルティエが差し出した新聞の切り抜き。ハンゼ地区でカウナス人の溺死体が見つかったとのごく小さな記事が載っていた。この時期は雪解けで水量が多く、しかも水温は低い。夜にうっかり橋から落ちてしまうようなことがあれば命にかかわる。この記事のように。 「こんな記事まで良く目を通すね。」 「常に情報には敏感でいるように教えられましたから。」 「他人からの助言に耳を傾ける態度は好感が持てるね。」 イクティノスは機嫌良さそうに記事に目を通した。死んだカウナス人はカウナス産の乳製品を販売する会社に勤務、とのことだった。イクティノスの他はたった数名だけが、この会社の大株主が地上軍情報部であることを知っている。勿論、シャルティエはその一人だ。 「会社に捜査は入っていないらしい。」 「となると、ハンゼの当局ではありませんね。」 「向こうも活発に活動しているようだからね。」 イクティノスの白い指が真上を差した。勿論、イクティノスが煙草を吸っていた頃にやや黄ばんでしまった情報部長執務室の天井ではない。それよりももっと向こうの話だ。 「彼には色々と調べ物を頼んでいてね。」 「・・・詳しくは聞かないことにしたいんですが。」 シャルティエが苦笑すると、イクティノスは表情一つ変えずに机から取り出したクリップボードを差し出した。シャルティエは渋い表情で諦めたように受け取った。 「君が信頼を置ける者に引き継がせてくれ。」 「兵は上官の信頼ほど恐ろしい物もない、と言うそうですよ。」 「なるほど、私は君を誰より信頼しているよ。」 「恐ろしくて逃げ出したい気分ですね。」 二人は顔を見合わせて乾いた笑いを浮かべた。シャルティエは溜息を吐いて投げ出すようにソファーに腰掛けた。知っている情報、関わっている経路が増えれば増えるほど危険が増すのが彼の仕事の特徴であって、基本的には危険を避けて生きていきたいと考えているシャルティエはしばしば目と耳を塞ぎたい気持ちにさせられる。 「拗ねない、拗ねない。」 「拗ねてはいません。」 「苦労をかけて悪いとは思っているよ。」 イクティノスは自分の席からシャルティエの隣に場所を移した。シャルティエは少し戸惑った。さっきまで仕事の話をしていたのに、イクティノスはプライベート用の態度で接してくる。切り替えがそれほど上手くない彼の中には困惑と、そういて上手く操縦されることへの不満が膨らむばかりだ。 「そういう態度を取れば僕が逆らえないと思って・・・。」 「違う?」 「違わないので怒っています。」 抱き寄せられるまま、シャルティエはイクティノスの肩に頭を預ける形になったが表情は相変わらず冴えない。それを見たイクティノスが困った風もなく笑うので、ますますシャルティエの表情は険しくなった。 軍人としての生活が長いシャルティエは、仕事とプライベートを厳しく分ける性質の人間で、仕事の埋め合わせをこうしてプライベートでされるのは好きではない。とは言ってもイクティノス相手なら話は別で、そんな自分がまた不満だった。 「ハロルドはこういう時にどうやって機嫌を取ったのかな?」 「機嫌を取られたことがないので分かりません。」 「それで素直に従っていたとなると、ちょっと妬けるね。」 急にハロルドの話を出されたので、また腹が立った。イクティノスとハロルドは同列に考えられる存在ではない。と言うより、他の全ての人間とイクティノスは同じ土俵の上で比較されるべきではないとシャルティエは考える。 「嘘は嫌いです。」 「自分も良くつくのに?」 「正直に生きられない自分が好きではありません。」 「それは困ったね。」 イクティノスの手が優しく頭を撫でた。シャルティエは眉間に皺を寄せたまま、可愛げのない態度の自分に腹を立てていた。 「あの。」 「何かな?」 「優しくされるとこんな態度しか取れません。」 「別に良いよ。」 笑われた。優しくされてイライラする。どうされたいんだ、僕は。こうやって駄々を捏ねて、少将を困らせるばかりじゃないか。シャルティエは確かに精神にどうしようもない幼児性を残していたが、それを自覚できる程度には大人だった。それだけに辛い。 「僕は困ります。」 俯き加減だった顔を上げ、イクティノスを見上げた。さっきまでと同じように笑っている。頭を撫でている手を取り、自分の手と重ね合わせた。昔と違い、大きさにそこまでの差はなかった。 そうだ、寝てしまおう、とシャルティエは思った。勿論睡眠の方ではない。自分の素が出せなくて、相手の素が見えない時は物事をシンプルにした方が良い。戦術論の教範にも似たようなことが書いてあったな、と場違いなことを思った。 「少将。」 「ん?」 キスをした。イクティノスから一瞬驚いた素振りが見えて、シャルティエは大きな満足を得た。イライラした気持ちはなくなっていた。 「急だね。」 「したい時にしたいようにすることにしています。」 「それが良いよ。いつ死ぬか分からないからね。」 「ええ、こんな仕事なので。」 まだ頭が働いている。早く何も考えられないようになりたいとシャルティエは思った。そんな状態にでもならないと、こんなにも愛している人にさえ好きだと言えないのだ。 自ら服を脱ぎ捨てたシャルティエはイクティノスを脱がしにかかる。すでに勃ち上がっている自分が恥ずかしかったが気にしない。既にイクティノスの手が身体に触れていて、羞恥を感じるどころではなかった。 「ここは寒いかもしれないよ?」 「寒くないようにして下さい。」 「じゃあ、そうなるよう努力しよう。」 上裸になったイクティノスに抱きしめられて、シャルティエは強い安堵を感じた。同時に不足も感じた。もっともっと、と思う。 イクティノスの繊細な指が自分の中を解している間、ずっとシャルティエはこれから自分の中に入ってくる彼のものを握りしめていた。シャルティエが求めているのは快感や愛情だけではない。彼の欲望が自分に叩きつけられる満足感だとか、複雑な思考を放り出せる安心感だとか、シャルティエはこうして身体を繋げないことには充足を得られない感覚を沢山持っていた。 「・・・・・・んっ。」 後ろから抱きかかえながらイクティノスは入ってきた。シャルティエはあまり声を出さない。頭で考えすぎる節のある二人は、こういう場でどのような言葉を口にして良いのか未だに良く分からなかった。 二人の息遣いと触れ合う音だけが響く中で、イクティノスは極々ゆっくりとシャルティエを追い詰めていく。自分の欲よりも相手を溺れさせたい気持ちが勝っている。 イクティノスは本人でさえ気付かない部分でシャルティエを征服したがっていた。誰より彼を評価しながらも子供扱いをしてして甘やかすのも、こうして身体を繋げる時に一方的な扱いをしてしまうのも、彼の心の奥底では同じことだった。 自分より遥かに年少である彼が、有能で勇敢な軍人であることに嫉妬を覚えていた。 シャルティエの物事を緻密に考えずにはいられない狭量さと、それを冷静さで隠そうとしている卑小さが自分に良く似ていると彼は思っていた。自分に似ている人間が、自分より遥かに優れているように感じられたことは嫉妬を掻き立てる。 ただ、自分よりもシャルティエが優れているという冷静なつもりの自己評価が、世の中の親と言われる者たちが等しく持っている贔屓目から来ているという点で、イクティノスは悲劇的であり、滑稽でもあった。 緩く抜き差しされる感覚に耐えようと、シャルティエが自分の腿を掴み、爪を立てる。喉の奥で抑えようとした呻きが漏れていた。 「傷が付いてしまうよ。」 耳元で囁かれる。手首をイクティノスに掴まれ、縋るものを失くした手が空を掻く。痛いのも苦しいのもシャルティエは嫌いだったが、イクティノスに与えられるのは嫌ではなかったし何故か安心した。それが自分だけにぶつけられるものだと知っていたからだ。 日頃からイクティノスが自分に向けるものが特別であるとは感じていたが、それが育ての親という立場から来るものなのか、信頼している特別な部下へのものなのか、シャルティエには分からなかった。勿論彼は全ての人間が自分と同じような思考の持ち主であるとは思わないから、イクティノスがそれらを殊更に区別していないことも理解していたのだが。 恋愛の対象として愛しながら、親としての愛が混ざるせいでそれが歪められてしまい、ただ、その歪みが却ってシャルティエを安心させているのは皮肉と言うほかない。 相手に対して率直になれないことを同じように悩みながら、全く思惑をすれ違わせつつ、結局のところ考えすぎる二人はこうして身体を繋げているうちに頭の働きを止めてしまいたいとい思う点で共通していた。 シャルティエは緩やかな責めの苦しさに耐えられなくなっていたし、イクティノスも征服する気持ちよりも 欲望が先に出るようになっていた。 二人は息を合わせたように体勢を変えて向かい合うと、本能のままに互いを掻き抱いて唇を重ねた。繋がっている部分から身体が溶けて混ざり合ってしまうのではないかと思うほどの一体感に、二人はこれ以上ない満足を覚えた。 息が整う頃には、元の二人に戻っていた。ソファーの上で抱き合いながら横になり、黙ってお互いの顔を見ていた。 「どうしたの?」 イクティノスが口火を切った。普段の甘やかす顔に戻っていた。シャルティエは普段の可愛くない態度に戻るを見られるのが嫌で、胸に顔を伏せて返事をした。 「何でもありません。」 また二人の優秀な頭脳は働き始めてしまった。先程までは何も考えなくてもどうしたら良いのか分かったのに、もうどんなに考えてもどんな風に接したら良いのか分からない。 あとがき イクティノスがシャルティエに劣等感を抱いているってのは一貫した設定なんですが、それが親の贔屓目から来ているってのは皮肉だなぁと思います。愛し合うって難しいね。 考えれば考えるほど上手く愛し合えなくて、だから取り敢えずセックスして頭じゃない部分で通じ合おう、みたいなのって現実にもある気がするんですよね。 僕は理屈っぽい人間ではありますが理性万能主義者ではないので、そういうのはありかなって思います。あ、てか、今回の話だと理屈っぽい奴がこうなりやすいのか。苦笑 なんか自分のこと書いてしまったみたいで嫌だなぁ・・・・。 BACK |