それぞれ/1028年



「結婚?」
「するらしいですよ。」
「へー。」


彼は興味深そうに結婚式の招待状を眺めている。図面か地図を見る時のように紙面の情報を一つも逃すまいとしているように見えた。


「貴方の所にも届いたのでは?」
「分かんね。あんま家帰ってないから。」
「あぁ。」


そう言えば、この一週間ほど彼はずっと私の家にいる気がする。2年前に軍を辞めてからは殆ど入り浸りと言って良い生活だったから、彼が自宅に帰っているのかいないのか意識していなかった。


朝起きて彼がまだ家にいる間に私は仕事に出て、私が仕事から帰ると既に彼はいる。まるで彼が一日中私の家にいるように錯覚してしまうが、勿論そんなことはない。軍を離れて―正確には予備役なので有事には呼び戻される―からは不発弾処理関連のNGOで活動しているらしい。ただ、あまり仕事の話をしないから良くは分からないのだが。


「最近連絡は?」
「取ってない。向こうからもこない。」
「五年前に会ったきり?」
「あー、そうだな。多分。」


彼にとって楽しい思い出だったのか、少し機嫌良さそうに笑った。この平和な時代で平穏に暮らせているのが不思議なくらい彼は好戦的な人で、たまに良く分からなくなる。こうして穏やかに時間が過ぎる現状に不満はないのだろうかと。


「あいつ、2年のブランクあんのに全然変わってなかった。」
「元々抜群のセンスでしたからね、あの人は。」
「今は流石にふつーのおばさんになってんのかな。」
「本人が聞いたら怒りますよ。」
「あー、でも33か。」
「まだまだ若いでしょう?」


彼は苦笑いで同意を示した。33歳は終戦時の私の年齢だった。


「ま、俺はふつーのおっさんに近づいてるけどな。」
「そうですか?」
「そうだよ。」


そういえば「ふつー」なんて彼が言うのを随分前に聞いたような気がする。彼が穏やかな表情でそう言うので、少し懐かしい頃を思い出した私は意味もなく微笑んでしまった。


「今の俺は、こうしてあんたと暇してるんで十分。」
「なるほど。」
「ふつーになったろ?」
「大人になった、ですかね。」
「うるせーよ。」


























「サマラの6月は出かけるのに向かないな。」
「雨の中、悪いわね。」
「次があったら晴れそうな季節にしてくれ。」
「今度は二人で来なさいよ。」


シガーケースから紙巻を一本取り出したものの火が無い。ウェディングドレスにライターを入れるポケットは存在しないのだ。困ったなと壁によりかかって紙コップでコーヒーを飲んでいる彼をちらりと見やる。


「タバコやめろって言われねーのか?」
「別に、旦那もヘビーだし。ほら、さっさと火。」
「灰落として穴開けるなよ・・・。」
「大丈夫、あたしタバコで白衣ダメにしたことないから。」


溜息を吐きつつ、放り投げられるマッチの小箱。ピンク色の、商売女がいそうな飲み屋のマッチだった。彼が自発的に行くとも思えないが、似つかわしくなくて笑えた。


「ホモのくせに女のいる店で飲む訳?」
「仕事の付き合い。」
「それでも奥さんは嫌なんだろうなぁ。」
「うっせえよ、さっさと吸え。」
「はいはい。」


マッチ箱を開けようとして一瞬、シルクの手袋が汚れてはまずいだろうかと逡巡 した。何を今更とすぐに思いなおしたが、それが何だか妙に恥ずかしく、わざと乱暴にマッチを取り出した。


「今、なにやってるんだっけ?シレジア公国?」
「ああ。財務省の調査局にいる。」
「あなたのは聞いてないわよ。どうせ中将の副官でしょ。」
「まぁ、実質は・・・。」
「中将は?」
「師団長と士官学校の教授やってる。」
「へー、忙しいんだ。」


マッチを擦って、ドレスのフリルを焦がさないように気をつけながら火を点けた。彼はタバコを吸う人ではないけれど、副流煙に関しては寛容で助かる。最近は近くでタバコを吸うだけで健康被害を訴えられる時代だから喫煙者としては肩身が狭い。


「忙しい訳じゃねえよ。軍人が押しかけたら迷惑かと思っただけだ。」
「相変わらず妙な気の使い方する人たちだこと。」
「俺ぐらいしか肩書きが堅気っぽいのがいねーから。」
「新婦が軍医上がりだと外聞悪いかしらね。」
「どうだろうな。」


興味無さそうに曖昧な返事。これは「残念ながらその通り」の意味だとディムロス中将に教わった。


「ノリス大佐。」
「もう大佐じゃねーよ。」
「あたしの中では大佐だから良いのよ。」
「・・・・・・・。」
「あたし、隠すつもりないから。」
「・・・・・そうか。」


彼が少し呆れながら穏やかに笑った。
時計を見ると、そろそろ行く時間だった。部屋を出る前にあれをして、これをして、と頭の中で段取るが、まずタバコを消そうにも灰皿がないことに気づいて、また彼を見やる。さっきの二倍の溜息と共に、僅かにコーヒーが残った紙コップが差し出された。


「次があったら、二人で来てよ。」
「分かってる。」
「じゃ、ちょっと結婚してくるわ。」


























珍しく休日の昼に鳴った電話を取ると、懐かしい声が届いた。


「お前が電話なんて珍しいな。」
「良いじゃねーか。部下から慕われるの好きだろ?」



彼は特に用がないようだった。彼は実務的な用があるか、個人的に言いたいことがあるか、どちらかでないと他人とコミュニケーションを取らないような人間だったように記憶していたから、内心で少し驚いた。


「いや、でも、俺もそう思うよ。」
「ん?」
「さっきの珍しいなって話。」


今の仕事の話、戦争からもう八年も経つと言う話、もうお互い30を過ぎてしまったと言う話。特に内容の無い下らない世間話をした。多分、彼と一対一で取りとめもなく話したのは初めてだったと思う。


「うるさいのは結婚式?」
「朝早く出て行ったよ。礼服で。」
「あの人、そんなん持ってたのか。」
「借りたんだ。だが意外と似合っていたぞ。」
「はいはい、贔屓目ね。」


不遜な態度と言い、話し方の軽さと言い、何とも言えない雰囲気と言い、間違いなくハロルド・ベルセリオスに違いなかったのだが、全く別の人間と話しているような感じがしていた。勿論、悪い意味ではなく。


平和な時代の中で彼が変わったと言うのは勿論あるだろうが、多分私が変わったのもあるのだろう。同僚の弟で、直属の部下で、上官の息子で。彼と私の間には社会的な繋がりが多過ぎた。それが全てなくなって、私は一個人として彼に接することが出来たのだろう。


「旦那元気?」
「お前に元気か聞かれたら元気じゃなくなるな。」
「あー、そうだな。確かに。」
「だろう?」
「じゃあ、さっさとくたばれって言ってといて。」
「ありがとう。きっと長生きすると思う。」


私は彼を親しい友人のように感じられた。いや、多分、彼は私の親しい友人なのだろう。きっと馬鹿にされるだろうから言葉にして確認しようとは決して思わなかったが。


























「これは・・・?」
「引き出物だそうです。」
「ん?」
「引き出物。結婚式の。」


彼は一瞬不思議そうな顔をした後、頭の中で話が繋がったらしく全てを理解した顔になってお洒落にラッピングされた箱を受け取った。


「あぁ、今日だったね。」
「ノリス大佐がこちらに寄って届けてくれまして。」
「彼は出席したのだったね。全員分貰って来たのか。」
「みたいですね。悪目立ちするのはあの人らしいですが・・・。」


元地上軍を代表してノリス大佐が出席した訳だが、幼馴染同士の幸せな結婚式に彼が行ってどんな顔をしていたのだろうと思うとついつい笑ってしまう。どうせ隅の方で周囲の視線も気にせず酒でも飲んでいたのだろう。


「中身は何かな?」
「いえ、まだ開けていません。」
「なるほど。」


箱を揺すって中身に当たりをつけたのか、彼は総司令と呼ばれていた頃からは想像もつかないような気楽さで包装を破り始めた。包装紙の切れ端はくしゃくしゃと丸められて僕の手元に押しつけられる。


「すまないね。」
「いえ、ハロルド中佐はいつもそうでした。」
「それはますます済まない。私に似たんだ。」


8年前ならそんなことを言われても信じられなかったと思うが、地上軍が暫定政府軍になり、暫定政府軍が連合会議平和軍になり、どんどんと組織が縮小され彼との距離が近くなると共に彼の職責が軽くなっていく中で僕はそれが信じられるようになってきた。


「トマトジュース、ですか?」
「南サマラは特産だからね。」
「しかし、医者が・・・。」


大陸南部を中心に伝わる言い伝えで、栄養豊富なトマトが豊作の年は医者の仕事が減ってしまうというような内容のものがある。地域によって言い回しはまちまちらしいが、基本的な意味は同じらしい。


「彼女の地方ではね。」
「はい。」
「病気なのに病院に行かないのは危ない。病院に行ってトマト農家とバレるのはもっと危ない。と、こういうらしい。」
「随分と過激ですね。」
「彼女には実に似つかわしいと私は思うよ。」
「機会があれば伝えておきます。」


彼が現在の職―連合会議安全保障理事長、という仰々しい名前はついているが実質的には連合会議平和軍の司令官―に就任してから僕は副官として仕えているのだが、それまで知らなかった彼の様々な表情を目にしてきた。


彼は思っていたよりも茶目っ気があり、意外ながら細かいことに拘泥しない大雑把な性格で、驚くべきことに気紛れであった。それは正に僕が知っているベルセリオス兄弟の個性そのもので、遺伝子的つまり先天的に彼らがあの人間性を持っていたのだと思い込んでいた僕のそれまでの考えは大きく裏切られた。


「そういう時、ハロルドなら何と言うかな?」
「あの女ならまずお前をぶちのめすだろうな、だと思います。」
「目に浮かぶね。」


この言い方は以前に経験がある。この人からではなく、この人のこういう所が似てしまった彼の息子から。やはりこの人は彼らの父親だったのだ、と思うとどうしてだかこの人がどうにも憎めない人のように思えてくる。


地上軍時代の彼は、僕にとってやや職業人として完璧過ぎたが故に人間性を感じさせなかったものだが、これは僕だけだったのだろうか。きっとその印象は、僕が彼が愛し、彼を愛した人を知っていたから起きたものだだろう。あの方が愛した人としてイメージされた人間は、僕が地上で出会った「総司令」と随分と違っていたから。


「親子は似るものですね。」
「当然だろう。」
「んー。」
「ん?」
「僕は似ているんですかね。」


彼の瞳が珍しく僕を注視して思案顔になった。彼は親として誰を想起しているのだろう。自らが愛したあの方なのか、それともイクティノス・マイナードなのか。


「今、思ったのはね。」
「はい。」
「君がミクトランに似過ぎていなくて良かったということかな。」
「どうしてですか?」
「ついつい甘えてしまいそうだからね。」


彼の愛情表現は率直だ。


「ただ、君はイクティノスにも似ているから。」
「甘えられませんか?」
「甘えられない代わりに頼りにしているよ。」
「少将が聞いたら喜びそうですね。」


一瞬、彼は嘲るように呆れたように笑った。ハロルド中佐の笑み。そして、カーレル中将のような相手を試す色を帯びた瞳。


「今、私が頼りにしているのは君だよ?」
「はい、覚えておきます。」


僕の返答は誰に仕えようと変わらない。


























「ハロルドから電話があったぞ。」
「何て?」
「お前に『さっさとくたばれ』だそうだ。」
「葬式には一個師団くらい兵隊集めてくれよ。」
「縁起でもないこと言うんじゃない。」
「はいはい。」





















あとがき
アマツカさんが【ピー】歳になったので、誕生祝いと思いまして、ちょっとおめでたい話を書きました。誕生日話でも良かったんですが、結婚式話になりました。前にアトワイトの結婚話をちらっと書いたんで、ちょっとそれを膨らまして今回の作品になりました。








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