長い戦いが終わった。
地上から銃声、爆音が消えて、たった一人の男の声が響いていた。 稀代の名演説といわれた、彼の演説。 天地戦争終戦宣言と、後の世の人は言う。
「最早、人類は一つだ。」
此れを聞いて、歓声を上げる人の何人が自分の気持ちを理解しているだろう。 壇上で民衆に呼びかける彼、メルクリウス=リトラーは思った。 何人が、ミクトランの崇高な志を理解しているだろう。 英雄となったカーレル=ベルセリオスが、どんな思いで死んだか誰が分かるだろう。
「人類は人類同士手を取り合い、この星の復興に努力するべきなである。」
それを、戦わずして出来なかった後悔が、重く肩に圧し掛かる。 その所為で多くの命が、多くの大切なものを亡くしてしまった。
この悲しみを、聴衆の何人が共有できるだろう。 彼らには、長い抑制からの開放と、未来への希望が映っている。 自分は、それを引っ張っていかなければならない。 天上王を、ミクトランを憎む者達と生きていかなければならない。
同じ思いの中、心を通わせて死んだカーレルとミクトラン。 前者は英雄、後者は絶対悪。 しかし、この二人にどんな差があるだろう。
気がつけば、頬が濡れていた。 止め処なく溢れる涙。 それを拭く事も無く、リトラーは演説を終えた。
「愛する者の死を、悼む事すら出来ない立場・・・か。」
裏の廊下に、イクティノスが立っていた。 薄暗い一本道の石壁に、背を預けて遠くを見ている。 リトラーが応えないでいると、眼だけがそちらへ動いた。
「お拭きになってください。」
白いハンカチ。 飽くまでリトラーの顔を直視しない辺りが、彼の優しさだった。 それを黙って受け取り、リトラーは目頭を押さえる。
暫くして、リトラーは大きく溜息をついて顔を上げた。 そして、渡されたシルクのハンカチを畳んで返す。
イクティノスはそれを受け取って、その場で開く。 怪訝な顔で、リトラーはそれを見ていた。 しかし、彼はすぐにそれがどう言う意味なのか分かった。
イクティノスが、ハンカチの角を示す。 赤い・・・いや、赤紫の糸で刺繍してある。
「持ち主に返してきて、頂けませんか?」
初めて、イクティノスの顔がリトラーに向く。 柔らかな笑みと、訴えかけるような眼。
リトラーは、一瞬驚いたような顔をして、その後苦笑した。 普段の優しげな顔に戻って、頭を掻々しつつハンカチを受け取る。 そして、黙って歩き出す。
「悼める者は、悼んでやって下さい。」
その声に、改めて足を止めるリトラー。 再び溜息。 そして、その手に握ったハンカチを折り直す。
折り直して、ポケットにしまう前にもう一度見る。 刻まれている名は・・・ハロルド=ベルセリオス。
「君には敵わんな、少将。」
イクティノスは、微笑んだ。 それに振り返って、ちょっと笑って、寂しそうに笑って、リトラーは去っていく。 暗闇の向こうに消えていくまで、イクティノスはそれを見詰めていた。
「役者ですね。」
背後からの声に、イクティノスは振り向く。 呆れ顔とも、笑顔とも取れる表情で、シャルティエが居た。 片腕を吊っているが、元気そうにリトラーの消えた先を見ている。
「君も共犯だ。」
悪戯っぽく、イクティノスが舌を出す。 そして、シャルティエの手を取り、絆創膏が巻かれた指先を見詰める。 それにシャルティエも苦笑い。
「僕は、慣れない針仕事を頼まれただけです。」 今度はつんと澄まして笑い、イクティノスが苦笑した。 苦笑したまま、彼はポケットに入れていた左手を差し出す。 其処には、シャルティエのよりも多い絆創膏が貼られていた。
クスッとシャルティエが笑った。 釣り込まれて、イクティノスも声を出して笑う。 二人の楽しげな笑い声は、廊下に高く響いた。
平穏の代償の重みを、何処かで噛み締めながら。
「さあ、司令はちゃんと芝居に乗ってくれましたかねぇ。」
・・・・・・・・・・・
「何泣いてんのよ。」
ハロルドは書類を書きつつ、呟くように言った。 机に向かい、客に背中を向けたまま。
その客と顔を合わせる気は無かった。 涙を流す彼を見たら、きっと自分も堪えきれなくなるから。
「ココで泣いたら、不公平になるでしょ?」
涙を零していた客人・・・メルクリウス=リトラーは驚いて目を瞬かせた。 ハロルドは溜息を一つついて、手を止める。 そして、分かってないなと首を振る。
「兄貴の為だけに泣いたら、ミクトランが可哀想じゃない。」
初めて、ハロルドは振り返って笑った。 親を思う、健気な笑顔だった。
また、リトラーの眼から涙が溢れた。 カーレルの死でも、ミクトランの死でもなく、ハロルドの心に打たれた涙だった。
「アタシ、結構妬いてんだから。兄貴、ずっとアンタにお熱だったし。」
いつも通りの人を食った笑み。 リトラーも、眼を潤ませ、頬を濡らしたまま笑った。
ハロルドはゆっくり歩み寄り、肩を叩く。 いつの間にか、手が届くようになったリトラーの肩。
リトラーは眼を閉じて、ハロルドの頭に手を置く。 カーレルと良く似た、温かい手だった。 いや、カーレルの手がリトラーに似たのだろう。
「親孝行してあげるわよ、兄貴の分までね。」
いつも通りの軽い声。 その温かな思いが、リトラーの心に沁みていった。
「リトラーが来るのはまだまだ先かな。」
真っ暗闇。 落ち着いた声が、少し弾んでいる。 親しげに、誰かに話しかけている。
「何です、早く来て欲しいんですか?」
笑いを含んだ、嗜めるような一言。 二人の笑い声が、微かに響いた。
「二十年待ったんだ、あと何十年でも待つさ。」
「ご立派ですね。私なんて、物心付いてすぐからですから・・・。」
「寂しいかい?」
少し冗談めかして言うと、少しの間。 クスッと笑いが起こって、もう片方も釣り込まれる。 笑い出した方が、自分で一つ咳払い。 また、話を始める。
「いえ。今は、私の知らない二十四年を知りたいです。」
「じゃあ、私はその後の二十年間を聞かせてもらおうか。」
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時が変わっても、歴史が流れても、変わらぬ物があるとすれば。
それはきっと、人の思いに他ならない。
きっと彼は、生きる限り思い続けるから。
きっと彼らは、死してなお思い続けるから。
時の狭間に、運命は引き裂かれる。
引き裂かれれば、手は届かない。
引き裂かれようと思いは届く。
思いが届けば、いつか運命は・・・・きっと、再び、交わる。
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