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多分、手っ取り早くは治らない感じのあれ
「あー・・・。」 自分の仕事部屋に戻った第一声がこれ。カーテンの隙間から差し込む、弱い西日が眩しい。時計を見ると16時。夜中に書類仕事してたとこを呼ばれたから、30時間以上の連続稼動で15時間以上の連続オペ。流石に堪えた。 急に山ほど患者が運ばれて来たから、理由をちゃんと聞いてる暇はなかった。どうも旧天上軍の施設で爆発事故があったらしい。ああいう傷、戦争終わってから初めて見たなぁ。 「うー。」 身体を放り出すように椅子に腰掛け、机に突っ伏す。普段、書類仕事をしている時は10秒と座っていたくないのに、今はここが女神の膝の上のように思えた。信仰心の欠片もない自分みたいな人間には女神の膝は貸りられないだろうけど。 もうこのまま寝てしまいたいけれど、残念ながらそうはいかない。俺はこう見えて中佐だし、ここにいる軍医の中では一番階級が高いし、しかも第1師団軍医部長なんて肩書きがついてるし。 一息ついたら師団長に報告に行かなければならない。まぁ。正式な報告書は後日出すとして。でも、報告のためにはメモぐらい作んないと。あー、面倒臭い。眠い。 ドアがノックされた。おいおい、たったの5分も放っておいてもらえないのか。あー、戦争終わった時に軍辞めてサマラの田舎に帰れば良かった。何が嬉しくて大陸の北の端まで来るかなぁ。 「今度は何?今、俺、目霞んでるからオペなら勘で切るよ?」 後半は流石に嘘だったが、前半は本当だった。来室者を確認するために顔を上げたけれど、ちょっと目の焦点が定まらない。色んなものが二重に見える。誰だか良く分からない。 「疲労困憊か?」 聞き慣れた声だった。二度三度と瞬きをする。視界が少しマシになると、長い青い髪が見えた。 「あ、れ…あぁ、ディムロスさん?」 「寝ていたのか?」 「あー、いえ、すみません。」 「私は構わない。」 本当はちゃんと非礼を詫びる必要があるのだが、半分寝ている頭なのでそこまで気が回らなかった。てか、この人の声って安心するなぁ。 ディムロス・ティンバー。天地戦争の英雄で俺の直属上官。船酔い患者の背中をさするのが上手いってこの前分かった。そうだよなぁ、手も安心するんだよなぁ、この人。 「大変だったようだな。久々に野戦病院状態か。」 「いやー、野戦病院だったらああはいきませんよ。」 どうにか目を覚まそうと一度伸びをする。あまり効果はないが、少しはマシになった。 「前線だったら諦めるレベルの重傷者ばかりでしたし。」 「・・・なるほどな。」 「終戦万歳。平和な時代に乾杯。ってやつですか。」 半分は本当で半分は嘘。戦争自体は終わったが、旧天上勢力圏の政情と治安は戦時より悪化している。残党兵やらゲリラやら匪賊やら、得体の知れない連中との戦いは今も続いている。 欠伸が出た。戦友たちが、考えようによっては戦中よりも苦労しているということを思っても、眠いものは眠い。 「報告は後で良い。少し休め。」 「すみません。」 自分としてはそう言ったつもりだったが、実際のところは言えていなかった。欠伸をしながらだと子音にがFが混じる。彼の微笑混じりの溜息が聞こえた。この人、部下に甘いよなぁ。上官からのお許しも出たところで、再度机に突っ伏す。 「デスクで寝るな。」 「えー。」 「疲れが取れないぞ?」 「一歩も動けません。」 身体が椅子と同化している気分。あと、こんな状態でベッドに横になったら12時間くらい寝てしまいそう。 「ほら、立て。」 「お、あっ。」 さっきまで椅子と同化しているかと思っていた身体が急に浮き上がった。彼の手が二の腕を掴んでいる。わー、大の男が腕一本で軽々吊り下がるもんなんだな。やっぱ力あるな、この人。 「起きたか?」 「半分くらいです。」 「立てるか?」 「あ、はい。」 彼がそっと手を放すと、再び自分の体重を自分で支えることになる。二足歩行って大変なんだなとしみじみ思った。ほんの10分前まで15時間も立ちっぱなしだったのに、今はそれが信じられない。 「2時間くらい寝ますんで。」 え、あ・・・。 一歩、二歩と進んだところで膝から力が抜けた。おいおい、この体たらくじゃあ、戦争になったら死にかねないぞ。自分が転びそうになっているのにこんな呑気なことを考えている辺り、疲れは深刻だったらしい。 転ぶかと思ったら倒れた先に壁があって、思ったよりソフトに受け止められた。適度な堅さ。絶妙な温もり。何となく落ち着く匂い。女神の膝枕まではいかないがヘラクレスの胸板ぐらいなら。うん、そんな感じ。 ・・・胸板? 目を開ける。目一杯アップになった地上軍の制服が見えた。今、俺が顔を埋めているのは、ディムロス・ティンバーの胸ということになる。たわわな女性の胸でないのに、妙に居心地が良いのが不思議だった。 「しっかりしろ。」 彼の胸板に顔を埋めている状況が何だかしっくり来てしまいそうになっていたところで、彼から声がかかった。我らがヘラクレスは寝床に侵入した蛇にさえ情けをかけそうな優しい男なので、呆れ半分心配半分という様子だった。 顔を少しだけ上げて様子を窺う。彼は彼でこちらを見ていた。思ったより近い。ついさっきまで、なかなかに居心地が良いここでこのまま寝てしまおうかと思っていたのが吹き飛ぶ。正気に返った。 「え、あ、その。」 何とも失礼なことに、両手で彼の胸を押して、慌てて彼から離れた。危ない。何か妙な感じになるところだった。いや、だって、あの、何ていうか抱擁力?包容力?が。 「起きたか?」 「は、はいっ。」 「大丈夫か?」 「え、いや、その。」 起きたけど大丈夫ではない。寝よう。取り敢えずちゃんとベッドで寝て、勿論一人で寝て、それで頭をきちんと整理しよう。 「失礼します。」 彼の顔を直視出来ないまま、逃げるように部屋を出て、仮眠室に駆け込んで、急いで毛布を被って目を瞑った。そして、愕然とする。さっきまで立って歩いている時も意識を失いそうだったはずなのに、今は全く眠くならなかった。脈拍が速い。静かな仮眠室でうるさい。 ショックだったのは、彼の声やら手やら胸板やらの心地良さを思い出してしまったことじゃなくて。いや、その辺はもう大負けに負けてこの際諦めるから。 「おいおい、勘弁してくれ。」 だから、彼の前で吐いてばっかりいたのを後悔してへこむのだけは、それ、マジっぽいから勘弁してくれ。本当に。 あとがき ディムロスの包容力?抱擁力?負けてしまうアトワイト♂の話。結構イメージ通りに書けました。「船酔いの手っ取り早い治し方」の続きということになってます。アトワイト君はディムロスに世話焼かれてばっかだな。 BACK |