時は、春。 古き友と別れる春。 また、新たな人々が出会う春。
市立フォスバー大学合格発表会場。 アルバー=シュミットは、俯き加減にそこから出てきた。 手には、もう紙切れと同じの受験票。 何処から如何見ても、不合格のそれだった。
「浪人かよ・・・。」
他に大学は受けていない。 実家に金は無かったし、其処以外に目指す場所は無いと決めていたから。 丁度、その時だった。 その時、彼の運命を変える出会いがあった。
「落ちましたか。」
彼の方を横目で見て、呟く者がいた。 漆黒の髪と眼が、印象的な冷たい感じの男。 口元には、優しげな微かな微笑がある。
自分が落ちたのを知って笑っている。 シュミットは、ちょっと自暴自棄の頭でそう判断した。 当然、食って掛かる。
「何ですか。関係ないでしょう。」
男は、黙ってシュミットに歩み寄り肩を叩く。 そして、二の腕と腹筋を触ってから数回頷いた。 突然のことで呆気に取られ、シュミットは何も出来なかった。
「な・・なっ・・・?」
狼狽するのも、一向に構わず聞かぬ顔。 今度は男はシュミットの脚を見ている。 あまり長い方ではないが、金槌で叩いても折れなそうな風をしていた。 そして、最後にシュミットの手を取り勝手に握手する。
「ちょっと、いい加減に・・・。」
「長距離と・・・バレーのアタッカーかな?」
男の発言に、シュミットは黙った。 彼のやっていた運動競技を、男は見事に言い当てたのだ。 ますます、シュミットは困惑する。
しかし、困惑顔の彼をそのままに再び男は思案に入る。 切れ長の眼が、ニコニコ笑っている。 そう悪い人には見えないが、気味が悪かった。
「食事でも如何です?奢りますよ。」
今度もまた、唐突な一言だった。 思わず、シュミットは驚きを顔に出す。 怪しくて気味が悪いのは確かだが、彼にはこの男が気になった。 とは言っても、自暴自棄が半分だったのは勿論だが。
シュミットの腹が鳴った。 合格発表が心配で、朝から何も食べていなかった。 ちょっと気恥ずかしそうに、シュミットは照れ笑い。 しかし、その腹の虫を返事と取ったらしい。 男は意外な力で彼の手を取って、何処かへ引っ張っていってしまった。
何故此処にいるんだ俺は。
どう言う話の流れか、俺は今まで無縁だった所にいる。 今まで十八年間平和に暮らしていて、考えもしなかった場所。 そこは、鉄と火薬の匂いのする場所だった。
整列した似たような年回りの若者が、横に並んでいる。 その周りを、厳しい制服に身を包んだ男達が囲んでいる。 ここは・・・・軍隊。
そして目の前には、先程俺にマーボーカレーを奢ってくれた人がいる。 大盛りの旨いマーボーカレーだった。 しかし、あの人の話術の方がもっと巧かった。
「衣食住が保障されます。」とか。 「死傷率は兵士も市民も大差ありません。」とか。 「ご家族への保障も万全です。」だとか。
巧みな話術で誘われて、ついに俺は付いていってしまった。 昔から、知らない人には付いていかない、と教えられていたのに。
「シュミット二等兵、アルバー=シュミット二等兵。」
俺を誘った例の男。 その傍らの色黒の人が、部屋中に響くような大声で俺を呼んだ。 そう、俺はいつの間にか軍人に仕立て上げられていたのだ。 十九年間平穏無事に過ごしてきたこの俺が、いつの間にか軍人に。
「はっ・・・はい。」
僅かに言い淀んだだけで、厳しい視線が注がれる。 最初の最初から辛い。 やがて、色黒の人は俺に近づいてきて懐からメモを取り出した。
「家族など、入隊に際し連絡すべき人は?」
分かったことが二つある。 まず、本当に俺は軍人になったらしいって事。 そして、連絡すら自分で出来ないようなところに送られるって事。
諦めがつかないまま、俺は家族の住所と連絡先を伝えた。 一通りメモを終えた男は、力強く頷いてノートを閉じる。 そして、俺にこう言った。
「君を預かる立場として、ご家族には私、バース少尉が責任を持って伝える。」
分かったことが、もう二つ。 この人は、バースって言う少尉で俺の上官。 でもって、この人がうちへ来て息子が帰らないことを伝えると。
一通り新人への連絡調査が行なわれた後、再びバースとか言う人は前へ立った。 寂の利いた声で低く「気をつけ」を命じる。 周囲の軍人達は、キッチリ揃えて一斉に軍靴の踵を合わせた。 気圧されるように、俺達も足を揃える。
「
中隊副長ノリス大尉に敬礼。解散。」
ノリス大尉。 俺を勧誘した、あの黒髪の人はそう呼ばれていた。 再び見上げたその人の顔は、人の良さそうな笑顔ではない。 意地悪くほくそ笑む、策士っぽいそれだった。
号令にあわせて再び一斉に敬礼を見せたかと思うと、軍人達は踵を返す。 引き摺られるように、他の新人達も後を追って駆けて行く。 その後姿を見詰めつつ、俺は溜息をついた。
娑婆に後ろ髪を引かれる思いだ。 どうにか、誤魔化して逃げ出したい。 できれば・・・穏便に。
「どうしたのかね?」
後ろから、声をかけられた。 優しそうな声に振り向くと、青い長髪の青年が立っている。
口元には温和そうな笑み。 髪と同じく青い眼が、キラキラ光っている。 今度こそ、本当に良い人だと信じたい。
「あの・・・。」
「シュミット、お前・・・無理だろ。」
寮で同室のフラーレンが苦笑しながら言った。 さっき聞いた事には、同じ大学で落ちたらしい。 しかし、対照的にこいつは乗り気だ。
どうやら釣りの餌が良かったらしい。 俺はマーボーカレーで釣られたが、こいつはレンズ製品だった。 どっちにしても、俺は逃げたくなってると思うんだけど・・・。
「俺は逃げる。家に連絡入っても絶対逃げる。」
そう、俺は逃げるべく一計を講じた。 さっきの優しそうな人に、頼み込んだのだ。 もちろん、逃げたいなんて言わない。 それはそれなりの方便を・・・。
「ラーメンが食べたい、は無理があるよ。」
確かに、多少は無理があるかもしれない。 いやでも、万に一つと言うこともある。 どうしても食べたいって、必死の演技をしたんだ。
必死の抵抗をする俺に、奴はさらに追い討ちをかけた。 大学落ちたなんて、信じられないくらいの明晰さで。
「インスタントで終わりじゃない?」
そうだ、それを忘れていた。 あ〜、おでんと言っていれば良かった。 そうだよ、ラーメンは贅沢言わなきゃお手軽なんだよ。
完璧にミスったと思って、頭を抱える。 同室の数名の新人が、声を挙げて笑った。 そうしているうちに、部屋のドアが開いた。
確か・・・バースとか言う人が怖い顔して立っている。 彼は俺達の上官な訳で、慌てて俺達は整列してぎこちない敬礼をした。
「シュミット二等兵、外出が特例で許可された。」
俺の表情には、明らかに歓喜が映っていただろう。 嘘をつくのは、昔からあまり得意ではなかった。 しかし、さっきの人の良さそうな人は騙されてくれたらしい。
そして、俺は連れられるままに部屋から出た。 廊下を歩く足取りも軽い。 しばらく歩くうち、大きな表札の下がった部屋の前に来た。 文字を読む間もなく、中へ放り込まれる。
「シュミット二等兵だな。」
先程の微笑の人がいた。 やはり、彼が便宜を図ってくれるのだろう。 俺は慌てて敬礼した。
「さっきも聞いたが、ラーメンが食べたい・・・らしいな。」
俺は頷いた。 もう少しで自由に戻れる。 そう思ったら、必死だった。
「分かった。外出時間は一時間で良いな。」
言いながら、彼はペンを出して書類を書いている。 流れるような筆遣いで、俺に自由をくれる書類は出来上がった。<
その紙を、彼は俺に差し出した。 思わず握り締めて、じっと見る。 そうしているうちに、彼に肩を叩かれた。
「旨いラーメン屋を知っている。」
顔を上げると、出かけるべくコートを掴んだ彼の姿。 青髪の青年は、変わらぬ人の良い笑顔で微笑んでいた。
「あの・・・。」
俺は、颯爽と前を歩く彼に声をかけた。 そうすると、彼は振り向いて微笑む。
「あ、名前を・・・。」
そう、俺はまだ名前も聞いていなかった。 俺の脱出計画を打ち破った彼の名を。
そうだった、そんな感じの表情を彼はした。 割と気持ちが表情に出る人らしい。 俺は少し可笑しくなって笑った。 半分開き直りながら。
「情報部イージス白兵中隊ディムロス=ティンバー少佐。」
響きの良い声テノールで、彼は名乗った。 その声に聞き惚れるより、俺には驚きの方が大きかった。 この人は、俺の上官の上官の上官に当たる人な訳だ。
結局、俺は運がなかったらしい。 いや、足にはちょっと自信がある。 いっそ走って逃げて・・・。
「ディムロスは短距離速いぞ。」
見透かされたらしい。 後ろから付いてきている俺を誘ったノリスとか言う人が言う。 どうやら、本格的に諦めなきゃいけないらしい。 しかたない、せめて最後のラーメンでも楽しむか、そう思った。
「ラーメン止して、散歩にするか?」
ディムロス少佐が訊いた。 俺は思わず、聞き返した。 彼は、ラーメンを食べさせる気で出てきたんじゃないのか。
「どうせ、嘘だろ?毎年いるんだ。」
二、三枚、彼らが上手だったらしい。 俺は流石に諦めた。 任期二年か・・・。
恐らくこれから暫くは見ないであろう娑婆の景色を、俺は眺めた。 もしかしたら二年のうちに死ぬかもしれない。 もしかしたら、生きて出られるかもしれない。 それは、運次第じゃないだろうか。
「吸うか?」
差し出された煙草を受け取って、大きく蒸かす。 これとも暫くお別れだろう。 未練がましく、俺は唇が熱くなるまで煙草を銜えていた。
「そんな顔するな。」
ノリス大尉が笑った。 やっぱり顔に出る性質らしい。 二年間は嘘なく過ごすしかないだろうな。
俺は、火傷寸前になってやっと煙草を吐き出した。 道の脇に詰まれた雪に当たって、火は音を立てて消えた。 吐き出す息が、そのままでも白い。
「お前は、良い兵隊になれるよ。」
大きな手で、ディムロス少佐が肩を叩く。 そして、ノリス大尉が誘った者は皆上手く行ってると教えてくれた。 バース少尉も、その一人だとも。 彼は、逃げるべくノリス大尉に戦いを挑んだという。
「勿論半殺しだ。」
意地悪そうにノリス大尉は笑った。 その笑い方ももう慣れて、別に嫌じゃない。 思ったより悪い人だったが、意外と悪いばかりでも無いらしい。
その半殺しにされた人が、今はしれっと少尉をやってる。 そう思うと、大学行けなくてイラついてた自分が馬鹿馬鹿しくなった。 生きてさえいれば、案外如何にかなるものらしい。
「安心しろ、命まで取りやしない。」
笑顔のディムロス少佐のその一言。 その一言が、不思議と怖い脅しに感じなかったのは、俺の心情の変化か。 或いは、また彼らの巧みな話術に騙された所為か。
俺は、前者を信じて二年間過ごすことにした。
あとがき 当たり障りの無いのを一本。 実は元ネタありですが、分かる人いますか? 今回のテーマは、ちょっと良い上司二人組。 のつもりなのですがねぇ。 |