君と一緒に、あの線の向こうへ

涼しげな切れ長の目とその奥の漆黒の瞳。
瞳と同じ色の髪と色素の薄い唇。


こんなに間近に見るのは初めてかも知れない。
肉親のいない私が唯一、家族と呼べる人。


一杯に余裕を湛えた、ギラギラした笑み。
何にも興味が無さそうな、冷淡な表情。
呆れたような、でも親しみを込めた苦笑
時折見せる、頬を微かに朱に染めた照れた顔。


その、どの顔とも違う表情。
切なげに眉を寄せ、真剣な眼差しで私を見詰める。
今まで知らなかった一面が、私を堪らなく追い詰める。



「ディムロス。」



名前を呼ばれて体がゾクゾクと震えた。
しなやかで、でも逞しい腕が私を抱き締める。
温かいを通り越して、彼の胸は熱い。


彼の抱擁に必死に応えて、彼の首に腕を回す。
彼と鼻が触れ合うぐらいの距離で、目が合った。
一瞬、時間が止まったかのように見詰め合いがある。



「・・・ノリス。」



最後まで言えないうちに、唇が重なった。
目を瞑るべきなのかな、と思ったのにじっと見詰められて逸らせない。
漆黒の大きな瞳に吸い込まれていく。


唾液が頬を零れていく。
それにも構わず、舌を絡め続ける。
息が苦しいのか、快感でなのか、分からないくらいクラクラする。
温かさと心地良さの中で、段々と意識が遠のいていく。
このまま、融けてしまっても構わないと思った。



















がばっ、と私は跳ね起きた。
窓からは弱い光の朝日が注ぎ、廊下に人気は全く無い。
壁掛けの時計を見上げると、まだ朝の4時半を少し過ぎた頃だった。


私は、辺りを見回した。
白い壁の狭い病室にベッドが一つ。
ノリスが眠っているそのベッドの枕元に、私は座ったまま眠っていた。


服はちゃんと整っていて、ベッドも変わった様子がない。
もしかしたら、昨日の事は全て夢だったのではないかと思ってしまうほど。
だが、立ち上がろうとしたその瞬間の鈍い痛みが、昨晩を真実だと教えてくれた。



「ふぅ。」



溜息を吐いた。
何に対してだか分からないままに。
事実を受け止めたら溜息が出た。


私は、


唯一無二の親友と体を重ねたんだ。


不思議なことに、嫌悪感とか後悔とか、そう言うものは感じない。
どうしてだか自然と受け入れられていた。
私の性格の所為かもしれないし、相手が彼だったからかもしれない。


そっと、彼の寝顔を覗き見る。
眠っている時は、起きている時と大違いで酷く清らかな感じの顔に見える。
長い睫が呼吸に合わせて揺れた。
薄い唇が微かに開いて、その様子が妙に色っぽく映る。
昨日まではそう思わなかった、彼の寝顔。



「はぁ。」



溜息を溢すと、彼が微かに寝返りを打つ。
傷に響いたのだろうか、安らかだった彼の顔が苦痛に歪んだ。
起きてる時は、痛い顔一つしなかったのが思い出される。


昔から、彼は痛いとか苦しいとかを見せない。
初めて会った時だって、高校時代も、士官学校でも、軍に入っても。



「お前はいつもそうだ。」



独り言を溢して、私はノリスの頬を突く。
心配させまいとして、いつも心配させる。
時々、彼の勇敢さが自己軽視にも見えて、危なっかしくなる。


昨日もそうだ。
先頭に立って斬り込んで、敵の銃火にこのか細い体を晒した。
出血で白くなっていく彼の肌を見て、私がどんなに心配したか。



「あったかい。」



彼の手を強く握り締めた。
あの時、冷たくなっていった手は、力強く脈を打って温かい。
その熱が、昨日の夜を思い出させた。


黙って抱き締められた時、何かが一杯に満たされた。
心の奥まで温かくなって、安らぐのを感じた。
でも、安らいだのは一瞬で、すぐ早鐘を打つように胸が高鳴った。


お互い、包帯の巻かれた素肌で触れ合った。
融けて交じり合うほどの熱を、分かち合った夜。
噎せ返るような血の匂いに包まれて、私達は体を重ねた。


回想して、温かさが蘇ってくる。
しかも妙に締め付けられるような、胸の苦しさを伴って。



「高校生かよ。」



二十過ぎてこんな体験をするとは思わなかった。
と言うか、二十を過ぎた今になって初めての経験だ。
遅れてきた思春期に、戸惑いを隠せない。


たった一度きり、しかも昨晩の事が、頭の中で膨張していく。
目の前のこのベッドの上での、思いも寄らなかった事。
それから今まで、こんな事ばかりが頭を巡っている。



「馬鹿みたいだ。」



抱き締められた彼の腕の感触が忘れられない。
触れ合った彼の唇の柔らかさが忘れられない。
彼の真剣な眼差しが忘れられない。


まずいな。
本当にまずい。
幾ら私でも、ここまで来れば分かる。
明らかだ。



「お前の所為だぞ。」



彼の頬を軽く引っ張って、小さく呟く。
あの時、彼がああして飛び出していなければ、こうはならなかったのに。
なんて、どうにもならない責任転嫁をする。


でも、冷静に考えると責任なんて何処にもない。
別に私は、昨日の夜の事を微塵も後悔していないみたいだから。
だったら、多分これで良かったんだ。
このまま、何事も無かったかのように元に戻れば。



「それで良いんだよな。」



抓っていた彼の頬を手放す。
弾力のある彼の肌は、勢い良く元に戻って微かに赤く染まった。
それが、私が触れた証のようで嬉しくなった。


私と彼とは、 唯一の家族で親友で大切な仲間。
それが一番彼と近い関係なのだと、私は信じていた。
でも、その先を知ってしまったんだ。



「困ったな。」



多分、普通はその線を超えるなんて考えもしないんだろう。
昨日までの私のように。
でも、もう知ってしまったし、もう体験してしまった。
後戻りは、どうも出来そうにない。


もっと、彼に近づきたい。
彼を私だけに独占したい。
誰にも渡したくない。


気が付かなかった。
私は案外独占欲が強い性質らしい。




「困ったな。」



また呟いて、彼の顔を覗き込む。
あの荒々しさも、敵陣に切り込む勇猛さも、欠片も感じられない寝顔。
薄い唇が、誘うように微かに潤んでいる。


その唇を奪いたい衝動に駆られて、身を乗り出した。
彼の枕元に手を突いて、またじっと見詰める。
ゆっくりと顔を近づけていく。
だんだん彼の顔が視界を占めていく。
あと、少し・・・。



「まだいたのか?」



突然、彼が目を開けた。
漆黒の瞳に、きっと真っ赤になっているだろう私の顔が映る。
びっくりして、声も出なかった。


凍りつく私を気にせずに、彼は仰向けに寝たまま、私を抱き締めた。
一気に血が頭に上って、カッと熱くなる。
破裂せよとばかりに、心臓の鼓動がどんどん高まる。



「ノリス・・・おっ、起きて・・・た?」



やっと言葉を搾り出す。
その問に、彼はイエスともノーとも取れる笑みで返した。
その笑顔に、心がざわめく。



「本当に馬鹿だな、お前。」



ノリスが獲物を見る猛禽のように私を見詰める。
射抜くような視線に、私は目が放せなかった。
黙ったまま、じっと彼の目を見ていた。


このまま、彼の餌食にされてしまうのではないか。
そんな馬鹿みたいな思いが、一瞬頭を過ぎった。
同時に、どうなったら良いなと期待している自分が居る。



「ほら逃げないと、後悔するぞ。」



耳元で低く囁かれて、体中が痺れていく。
まるで彼の毒が体に回ったかのように。



「今なら逃がしてやる。」



逃げる、何から?


彼が、私を抱く手を離した。
そして、肩を押しながら自分も起き上がる。
私は、分からないまま椅子に戻された。
熱が醒めずに、私はぼんやりしている。



「お前、自分が危ない状況だって分かってるか?」



危ない、何で?
彼の言葉が理解できずに、私はまだぼんやりしている。
そうしたら、彼が呆れた様子で口を開いた。



「分からない?」



「分からない。」



鸚鵡返しにして、ちょこんと椅子に座っていると彼が溜息を吐く。
私はそんなに呆れられるような事を言ったのだろうか?


不意に抱き締めたり、逃げろと言ったり。
ノリスの方がよっぽど可笑しいと私は思う。
でも、それを口に出すのも何となく憚られる。



「分かりやすく説明するとな。」


不意にノリスが私の肩を掴んで強く引き寄せた。
前のめりになって、彼の方へ倒れこんでしまう。
それをしっかりと抱きとめられ、顔を上げさせられる。


目の前に彼の顔。
夢で見たのと同じ、真剣な眼差し。
彼の顔が近づいてくる。
優しく、でもしっかりと唇を重ねられる。


私は、思わず固く目を瞑ってしまった。
唇が離れて、恐る恐る目を開けると彼が私を見詰めていた。



「俺は、お前とこういうことしたいわけ。分かるか?」



抱き締められ、低い声で囁かれて、私は反射的に頷いた。
唇から体中に痺れが伝染して、このまま倒れてしまいそうだ。



「好きだ。」



単刀直入な一言に絶句する。
体中が緊張して、石のように固まってしまった。


つまり、それは・・・どういう・・・。
彼の今までの行動と言動を鑑みて、頭の中に予感が過ぎる。
彼が私を抱く腕に力を込めた。



「お前を誰にも渡したくない。お前を誰にも触れさせたくない。」



似た物同士だ、とふと思った。
私がさっきから思っていたことと、彼の言葉は丸っきり同じ。
それが何だか嬉しかった。


彼が私から手を離す。
先ほどと同じように、椅子に座り直させる。



「分かったら、さっさと逃げろ。昨日みたいなことになるぞ。」



つくづく、こいつは分かってないな、と思った。
もう五年も一緒にいるのに、全然私の事を分かっていない。
彼なりに考えたんだろうけど、全然的外れ。



「だから、さっさと・・・。」



「嫌だ。」



「はぁ?」



彼が珍しく驚いた顔をする。
混乱している彼を、私は押し倒した。
彼が寝ていた時にしようとしていたように、私は彼にキスをする。


顔を離して、再び彼を見詰めた。
いや、睨みつけたと言った方が正しいかもしれない。



「責任は取ってもらうぞ。」



彼は漆黒の瞳で、私を見上げている。
その真剣な視線に否が応でも、気持ちが昂る。



「私は、男に抱かれて喜ぶような趣味は無かったんだからな。」



顔がひどく熱い。
きっと真っ赤になっているに違いない。
それを見ている彼の表情が、笑みに変わった。



「分かったよ。」



彼が起き上がり、私の目の前に立つ。
困惑している私を、彼が壁に押し付けた。
凄く強い力をかけているのに、彼の顔は余裕そのもの。



「責任は取ってやる。」



耳元で囁かれ、背筋がゾクゾクした。
彼の一言一句で、私はこんなにも乱される。
もう、とっくに後戻りできないところまで来ている。



「俺はお前のもの、お前は俺のものだ。」



私の首輪と彼の首輪。
それが一本の鎖で繋がっているような、そんな気がした。
もう離れられない、その感覚に酔う。



「私を捨てたら殺してやる。」



「そっちこそ、泣き言なんて言わせねぇからな。」



私達は一線を超えてしまった。
もう、ただの仲間にも親友にも決して戻れない。


一線の向こうに何があるのか。
不思議と、恐怖も何も感じない。
ただ、満たされる感覚に酔うばかり。


大丈夫。
彼が一緒にいてくれるから。


何も恐れるものはない。















ふと、窓の外を見た。
弱い日光が、雪原に朝日を落としていた。
もし地上を日光が照らしていたとしたら、今は春。
五年前、彼と私が出会った頃と同じ季節。


空から牡丹雪が落ちていく。
それも、あの時と同じ。


違うのは・・・・。




静かな病室に

しんしんと降り積もる牡丹雪の音だけが

ずっとずっと、響き続けていた。















あとがき

ぐえーっ。
スランプ?スランプなのか?
気分転換にイクシャルでも書こう。
イクシャルはすぐ書ける法則。
あー、何で上手く行かないのかな?
あっ、「好き」って言わせたからだ。
ストレートな言葉は使えない法則。






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