「もう勝手にして下さい。」
扉一枚向こうから、聞き慣れた声。 しかもそれは、多分に怒りを含んでいて嫌な予感が脳裏を過ぎる。
とりあえず、既に掴んでいたドアノブから手を離す。 加えてドアから一歩後退、丁度今通りかかった風を装う。 余計なとばっちりは避けなければならない。
「失礼しますっ。」
勢い良くドアが開き、少将が飛び出してきた。 怒りを押し殺した様子で口元を真一文字に結び、足早に去っていく。 きっと、僕などは視界の端にも入っていまい。
それはそれで好都合。 怒りの巻き添えを喰わずに済む。 少将とこの部屋の主との喧嘩なんて日常茶飯事。 それこそ、犬も喰わない。
「さて。」
辺りに静けさが戻った頃に、再度ドアノブに手を掛ける。 自然さを心がけて、ノックを二回。 返事は無いが、ゆっくりとドアを開けた。
「シャルティエです、この前のレポー・・・。」
失策った。 明日改めて出しに来れば良かった。 ドアを開けてから、僕は後悔した。
思った以上に事態は深刻らしい。 いつも笑顔のこの部屋の主は、無表情でデスクに頬杖を突いていた。
「あっ、あのー、カーレル中将?」
沈黙に耐え切れず漏らした言葉。 部屋の隅辺りを凝視していた視線が、それに反応してこちらを向く。 背筋が凍るかと思うほどの視線に見事射抜かれた僕は、慌てて逃げ出した。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「で、どうしてここに来る?」
五分前にここに来てから、機関銃の如く喋り続けたこの男。 話が一段落した模様なので、手軽な所から指摘してみた。
私とて、彼の相手をしているほど暇ではないのだ。 ノリスが先日負傷して入院し、仕事の負担は二倍増。 それこそ、猫の手も借りたいのだ。
「だって今、情報部と参謀部、無人ですよ。二人が怖くて。」
無人とは大袈裟な、と思いつつ苦笑する。 情報部と参謀部の将校はオフィス勤務は合わせて100近い。 そんな大所帯が何処に逃げると言うのだ。
「じゃあ、彼らは今何処に?」
と、尋ねかけた所、オフィスの中で見慣れぬ顔が目に付いた。 妙だな、と思って人数を数えるといつもより随分多い。 そこら中に第一師団の所属で無いものがいるのだ。
「・・・難民?」
「ええ、工兵部も医務部もこんな感じです。」
全く、と思いつつも反面仕方ないなと言う気もする。 どうやら、サボっている訳でも無さそうだし黙認してやっても良いかなと、仕事に戻る。 しかし・・・。
「あのー、ディムロス中将。」
聞き慣れない呼び声に顔を上げる。 見慣れない将校が、見慣れない書類を持って立っている。 嫌な予感が頭を過ぎって、微かに頭痛がした気がした。
「今日期限の書類なんですが、代わりに検印お願いできませんか?」
・・・・・やっぱりだ。 私の返事も待たず逃げ出してしまいたいほどの書類の山が築かれていく。 参謀部の議事録、情報部の哨戒報告、第一師団の演習計画etc・・・。
「・・・・。」
声も出ない。 かなりの貧乏くじを引いたようだ。
暫定的に地上軍第一師団長 兼 参謀本部次官 兼 情報部長代理らしい。
「あははっ、じゃあ、僕はこれで・・・。」
「待て。」
そっと逃げ出そうとしたシャルティエを捕まえて、隣に座らせる。 そして、目の前の山の半分を分けて彼の前へ。
「難民にも義務がある。」
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「さっきより増えてるぞ。」
気付いた時には、第一師団のオフィスは一杯になっていた。 そして、検印を求める長蛇の列と諸々の書類の山。 ディムロス中将の機嫌は、確実に悪化していた。
「ハロルド中佐が逃げたそうです。」
諦めが混じりに報告する。 どうか、とばっちりが来ませんように。
ディムロス中将は真面目だ。 その真面目な性格が災いして、仕事の手は抜けない。 しかし、能率には限界があるから書類は溜まっていくばかり。 仕事が滞れば滞るほど、不快感も増してくる。 精神状態の悪化は更なる作業能率の低下を招く。
「シャルティエっ。」
そして、悪くなった機嫌の皺寄せは僕に来る。 最若年中間管理職の辛さだ。
「はっ、はいぃっ。」
弾かれたように立ち上がる。 直立不動、気を付けの姿勢。 恐る恐るディムロス中将からの命令を待つ。
「イクティノス少将とカーレル中将の関係改善を命じる。」
酷い、無理だって分かっている癖にそんな命令。 しかし、泣き言を口にしようものなら状況はさらに悪化しそうだ。 だから、僕は目一杯表情で泣き言を伝えた。
「返事は?」
ダメだ、是が非でもやらせるつもりだこの人。 こういう時に普段は止めてくれる人がいるのに、今日は誰も彼を止められない。
「・・・はい。」
もう生きて帰れないかもしれない。 何て大袈裟かもしれないけれど、カーレル中将はそれくらい怖い目をしていた。
僕は、後ろ髪が抜けるくらい引かれる思いの中歩き出した。 出来るだけゆっくりと、歩幅を小さくしながら。 でも結局、僕は第一師団のオフィスを後にした。
「はぁ。」
気が重い。 お互い大人だから、そうそう本気で諍いは起こさない。 それだけに、今回みたいになると面倒なのだ。
衝突の原因は、仕事上のトラブルだったらしい。 少将とカーレル中将の作戦方針が合わなかったとか何とか。 二人とも仕事にかけては真剣だから、簡単には引かないだろう。
「プライベートのトラブルならなぁ。」
仕事はきっちりこなす人だから、公私混同はしない。 だから、二人に私的な諍いがあっても然程問答はない。 しかし、参謀総長と情報部長の仲違いとなると話は違う。 地上軍全体の問題と言っても過言ではない。
とぼとぼと歩きつつ、愚痴を溢す。 情報部のオフィスに程近い廊下は、ほぼ無人。 呟きを聞く人は誰もいない。
やがて、目的地に着いてしまった。 情報部と表札のかかったオフィスの前。 中からは人の気配がしない。
「ん?」
不思議に思って覗き込むと、誰もいない。 予想外の展開、確認の為に少将の私室も覗いたが誰もいない。 さて、どうしたものだろう。
「仕方ない、カーレル中将の方も見に行くかな・・・。」
背筋に寒気が走った。 出来れば、さっきより機嫌が上向いていて欲しい。
僕は、一層重い足取りで参謀本部へ向かった。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「・・・賑やかだ。」
先ほどまで苛々していたのだが、段々慣れてきた。 厳戒態勢下のような雰囲気と、この賑やかさ。 ダラダラとした普段の事務作業とは違って思ったより悪くない。
「中将、お願いします。」
「よしっ。」
「中将、こちらも。」
「ご苦労。」
皆も慣れてきたのか、作業のテンポも上がってきた。 このまま行けば、思ったより早く済むかもしれない。
これが終わったら、皆の慰労の為に飲みに行こう。 この三桁余りの人数で、バーを借り切るのだ。 今日、このままの勢いでたっぷり働いて明日非番にするのも悪くない。
「中将、リトラー司令をお連れしました。」
担がれるようにして、司令がオフィスに入ってきて上座に据えられる。 戸惑っている内に、目の前には書類の山。
「これは・・・?」
「司令、こちらもお願いします。」
「こちらもお願いします。」
「えっ、ああ。」
状況も説明されないまま、勢いに乗せられて作業を始めてしまった。 元々司令は、戦才より内務の方を期待されて入隊した人だ。 だから、この程度の事はお手の物である。
「で、これは一体?」
物凄いスピードで手を動かしつつ、司令は私に尋ねる。 その余裕さに驚いて、私は反応が遅れてしまった。
「あっ、ええ、少将とカーレル中将が・・・。」
言いかけた瞬間、勢い良くドアが開く。 転がり込むように、入ってきたのはシャルティエだった。
「大変です。」
今日の平和な昼下がりが破られた瞬間に似た光景。 しかし、状況はその時よりも悪いような嫌な予感がした。
「少将が参謀本部へ向かっていますっ。」
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「さて、事態は一刻を争う訳だが。」
苦笑を浮かべつつ司令が話を切り出す。 第一師団のオフィスの片隅に机が並べられ、幹部がそれを囲んでいる。
クレメンテ老、ハロルド、ノリス、アトワイト、シャルティエ。 いつもの作戦会議と同じくメンバーが揃った。 今回の当事者である、イクティノス少将とカーレル中将とを除いて。
「とりあえず、現状は?」
アトワイトが尋ねて、会議が始まる。 いつもは今日欠席の二名が軸で進むのだが、今回はそうはいかない。 と言う訳で、話の仕切りが得意なアトワイトから話が始まった。
「えーっ、イクティノス少将が、その。」
しどろもどろになりつつ、シャルティエが話し始める。 まだ混乱が続いているようである。 とりあえず、彼の発言の概要を纏めると以下のようになった。
作戦方針で両者が対立。 その後、それぞれ部署に戻る。 二人の雰囲気から逃げる部員が続出し、両者の部署は無人に。 関係改善の為、シャルティエ派遣。 カーレル中将の部屋に向かうイクティノス少将を発見。 現在に至る。
「イクティノスが兄貴の方に向かって何分?」
「んー、三十分と言う所じゃな。」
ハロルドの問に、クレメンテ老が時計を見る。 三十分、一刻を争う事態にしては遅い会議だ。 これが敵軍の侵攻だったらとっくに負けている。
まさかとは思うが、流血沙汰にはなっていないだろうか。 いつも温和なだけに、こういう時に何を起こすか予想がつかない。
「まっ、殺し合いになってたらどっちか死んでる時間だよねー。」
「こらこら、縁起でもないことを。」
不謹慎な発言をするハロルドを、司令が嗜める。 しかし、ハロルドの言い分も尤もだ。 もしもの事があるには十分な時間が経過してしまっている。
「とりあえず、様子見に行ったらどうだ?」
折れている脚を撫でながら、ノリスが言う。 何故か皆の視線は私に向かう。
「えっ?私ですか?」
もしも何か起こっていても仲裁できる自信は無い。 それに、いや、確かに体は丈夫だけれど・・・。
「ディムロス中将による前線視察を提案しまーす。」
頬杖を突きつつ、ハロルドが提案する。 他人事だと思って、こいつは絶対にやる気が無い。 しかし、ここぞとばかりに周りも賛成の挙手をする。
「異議はありませんね。じゃあ・・・。」
司令が異議の無いのを確認し、こちらを見る。 優しい笑みを浮かべつつも、有無を言わさぬ雰囲気。 私は頷くしかなかった。
「了解しました。」
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「うー。」
もしも殺し合いになっていたらどうしよう。 とぼとぼと歩きながら、悪い予感ばかりが浮かんで消える。
実際に見ておらず、ただ話だけを聞いているだけに怖い。 情報部員も参謀部員も、あんなに怖いのは初めてだと言っていた。 こういう時だけ、私は妙に想像力が豊かになってしまう。
「参謀本部・・・・。」
今は表札までが怖い。 兎に角、勇気を持ってドアを開けなければならない。 一応、そっとドアをノックした。
「・・・・・ディムロスです。」
ノックをした途端、部屋の中からドタドタと物音がした。 もしや、大変な事態なのかもしれない。 咄嗟に思って、私は返事も待たずにドアを開けた。
そこで目にしたものとは・・・・・
「・・・・・・・。」
私は声が出なかった。 漂う沈黙の中、カーレル中将と目が合う。 そして、次にイクティノス少将と。
「あの、何をしてらしたんですか?」
カーレル中将とイクティノス少将が顔を見合わせる。 そして、ばつが悪そうな苦笑い。
目の前の空間は、いつもと変わらぬ参謀本部のオフィス。 ただ、いつもより少し気温が高く、湿気が強いかもしれない。 そして、目の前の二人。
何故か、椅子に座っておらず。 何故か、服の釦が全部締まっておらず。 何故か、二人が密着して床に這いつくばっていた。
またも流れる沈黙。 どこか少将の顔が上気しているように私には見えた。
「作戦方針でトラブルがあり、お二人が諍いを起こされたと聞きました。」
もはや、何の感情もなく私は尋ねた。 妙に疲れてきた。 もう、早く帰って眠りたい。
やがて、カーレル中将はニッコリ笑った。 彼の肌艶が妙に生き生きとしていたのが、鮮烈に記憶に残っている。
そして、この台詞。
「公私混同はしない主義でね。」
<了>
あとがき
最後の台詞の為の小説でした。(笑) そうです、公私混同しないんです。 でも、私的な付き合いで仕事も済んでしまうんです、彼らは。 もう、このための前振りに3日もかかってしまった。 馬鹿としか言いようがない。 しかも、作ったシーンは半分没だし。 ハロルド&リトラーとアトワイト&ノリスがあったのに。
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