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有能な将校
前衛として警戒に当たっていた増強中隊が敵部隊と遭遇戦になり、かなりの被害を出したとの報告が入ったのは今朝のことだった。中隊長は戦死し、中隊付けの中尉が指揮を執っているらしい。 地上軍がその前身である連邦政府陸軍と呼ばれていた頃から、将校には「率先垂範」が求められてきた。常に陣頭指揮を執って兵の模範となって戦い、時には傷つき、場合によっては死ぬ。それが将校の第一の責務であるとするのが地上軍の伝統だった。 お蔭で下級将校の死傷率は大変に高い。最前線で兵や下士官に混ざって戦う上に、彼らと比べて敵からも狙われやすく、戦闘の経験―それは生き残る為の技術を培ってくれる―が豊富とは言えないことが多いからだ。彼らの死は部隊の機能不全を招き、結果として被害を増大させる。かと言って臆病な将校に兵は付いて来ない。何とも悩ましい。 それならば下士官からの叩き上げを将校にして下級指揮官を担わせれば良い、と考える者もいる。だが私はそれには賛成できない。将校と下士官とでは戦いに対する考え方や見方が異なってくる。それが修正されなければ命令系統はきっと混乱するだろうし、修正しようとすると従来の制度の方が手間が少ないように思えるほど面倒な手続きが生じてしまう。加えて言うならば、上級将校が現場を知らないというのも問題を増やしそうだ。 「ウォーラさんは作戦部の次長だったけれど。」 何かの拍子にこの話をした時、リトラー司令はそう冗談を言って笑っていた。ディムロス中将の父親に当たるトマス・ウォーラ氏は15歳の二等兵から叩き上げて26歳の時には大佐になっていた。それも参謀本部の作戦部次長。参謀畑の要と言って良い。 「彼は例外ですよ。」 「私もそう思う。ただ、参謀総長にまでなるとは思わなかった。」 「職場が違いますけれどね。」 冗談としても趣味が悪過ぎる、と思って私は厳しい視線を彼に送った。例のウォーラ大佐は現在、天上軍の参謀総長として天上全軍を管理する立場にあるのだが、下級将校の生存率を高める小部隊の運営システム構築に大変熱心に取り組んでいることは有名である。小隊長に死なれて経験した苦労から、と言えば納得出来なくもないが下級士官の屍を乗り越えた先で大佐参謀の椅子を得た彼の経歴からすると皮肉以外の何物でもない。 「まぁ、彼は将校としては致命的な欠陥もあったがね。」 「欠陥?」 「彼は少し情が深すぎるところがあった。」 「世話になった上官のクーデタに手を貸すぐらい?」 「冗談が過ぎるかな?」 「もう、好きになさって下さい。」 下らないことを思い出したら話が大きく逸れてしまった。今大事なのは目の前の戦況だ。 敵は案外強力らしい。恐らく威力偵察の大隊級部隊だと思われる。きっと向こうは防御の隙を探していて深入りしてしまったのだろう。増強中隊を吹き飛ばせないレベルの部隊がこちらの勢力圏をうろうろしていると言うのは常識的に考えておかしな話だ。 まぁ、心配は要るまい。火力を大幅に強化した増強中隊なら大隊相手でもどうにかなってしまう。ここで下手に増援を出して相手が撤退を諦め、逆襲に出たりすると却って損害が大きくなってしまう。現在決して余裕がある訳ではない戦力の中、小さな損害を恐れて大きな損害を招いては大事に障る。これが下士官上がりの多くには難しい戦略的思考と言うものだ。 「心配になりませんか?」 先程起きてきた若い大佐参謀―情報部との打ち合わせの為に総司令部から来ていた―が状況を聞いたらしく、地図を眺めながら私に尋ねた。彼は私の部下ではないとは言っても一応組織の中での上下はあるのだが、丁寧な言葉遣いの割にあまり敬意が込められているようには感じられない。どこか面白がっているようにすら聞こえた。 「何がですが?」 「中隊付の中尉に関してです。」 「意外に俗なことを聞くのですね。」 「申し訳ありません。」 「咎めたつもりはありませんよ。気遣い感謝します。」 「いえ。」 「しかし、私は個人を案じる習慣を持っていないので。」 「そうですね、常に冷静でいらっしゃると思います。」 「仕事中はね。」 彼がシャルティエの存在を、そしてシャルティエに対して私が目を掛けることを良く思っていないのは分かっている。その行為がリトラー司令への忠誠心と両立しないものだと解釈する彼の気持ちは分からないでもないし、彼が自分自身を私の目付け役だと位置付けるのも合理的だと言える。 「それに、彼は極めて有能な野戦指揮官ですよ。」 「その点は承知しています。」 さらりと彼が言った。彼、カーレル・ベルセリオス大佐は恐らく、この戦争が我々の勝利に終わろうと敗北に終わろうと歴史に名前を残すことになってしまう人だろうと私は思う。奇しくも前出のトマス・ウォーラ氏がこの戦争の直前に務めていたのと同じ職を預かる彼は、その類稀な能力と養父メルクリウス・リトラーという強力な後ろ盾で以て地上軍の最高意思決定機関である参謀本部の実務を取り仕切り、実質的に地上軍を動かしている。その、彼の類稀なる能力の一つが自分とリトラー司令に有用か否かを見極める人物鑑定眼だ。 「確かに有能ですよ、シャルティエ中尉は。」 「お褒めに預かり光栄ですね。」 「有能な部下を持つ貴方を羨ましく思います。」 「それはどうも。」 私は彼の合理的思考力が羨ましくなった。元天上少年兵という危険の可能性を把握し、また人間性を嫌いながらも軍人としての有益性を最大限に評価している。私には人物の情の部分と能力の部分を足し引きして評価したりは出来ないし、そんな人間にはなりたくないとも思う。 有能な部下を持つ事を素直に有益と考えることも私には出来ない。私はシャルティエが持っている野戦指揮官としての才能に時として嫉妬さえ抱く。部下を妬んだり、上司を羨んだり、かといってそうなりたくないとも思ったり、自分の人間としての矮小さには呆れるばかりだ。 「まぁ、私はソクラテス扱いされることを選べませんけどね。」 「事実なので気になりませんよ。」 「汝の精神をこそ愛する、ですか?」 彼は少し間を置いてから呟くように言い、皮肉っぽく笑った。哲学者ソクラテスは少年愛者として有名で、私の陰口を言うのにこの人物の名前が用いられるという話は耳に入っていた。元天上少年兵を重用して個人的にも深い仲であることを非難されているという訳だ。 同時に彼は、暗に、と言うかかなり直接的に私の恋人の性格の歪みをも当てこすっている。職能をどんなに評価はしていても嫌いなものは嫌いということなのだろう。 「アルキビアデスも良い評判は聞きませんよ。」 「なるほど。今、その名前が思い出せなかったところです。」 はっきりしない記憶だが「汝の精神をこそ愛する」と言うのがソクラテスの口説き文句だったと何かで読んだことがあったが、その相手のアルキビアデスが清廉潔白で善良な人だったという話は聞いたことがない。精神をこそ愛する、などと言ってもそんなものなのだ。 「気は紛れました。どうも。」 「とんでもありません。では、また後で。」 彼は愛想の良い笑顔を残して司令部テントを出て行った。 その背中を見ながら、ソクラテスの名言に「妬みは魂の腐敗である」とあったなと思いだして苦笑してしまった。馬鹿馬鹿しい。 従兵に頼んで紅茶を一杯貰った。どうせ私に出来ることはこうして待つだけなのだ。多少の攻撃に対して慌てて増援を出せば敵が喜ぶだけだし、仮に増強中隊が退いてきたら第二列に位置する第一大隊が判断して対処するだろうし、つまり私が判断すべきことは全くないということになる。現場の判断と結果とを待ち、何か動きがあれば報告を受ける。ただそれだけ。 勿論、それはなかなか我慢と度胸のいる行為だ。待っているよりは何かしている方が落ち着くのが人間というものだし、個人的に安否が気になる人間がいるというのも私の人間的部分の真実ではある。ただ、私は下手に色々と弄り回して現場を混乱させる悪い指揮官になるのだけは御免だった。私が現場にいた頃に最も迷惑な指揮官が正にそれだったからだ。 「ん?」 外でざわめきがあったような気がした。その要因は幾つか考えられるが一番可能性が高いのは、恐らく私が一番好ましいと思われる事柄だろう。瞬時にそう思えたという事実は、私のシャルティエに対する評価がどれ程高いかを如実に物語っていた。 「第11哨戒ポイントより臨時報告!」 私の部下の中では珍しく、彼と親しくしている若い通信手がやや弾んだ声を上げた。周囲に気づかれないようにしつつも、その内容に内心胸を撫で下ろした自分を発見した私は、自らを戒めるように高らかに咳払いをした。 彼我の損害は3:1。遭遇戦に陥った敵が無茶な攻撃を仕掛けたせいで中隊長と主要な下士官の何人かを失ったものの、中隊は本来そのように働くことを期待されている能力を十分に発揮し、軽装備の敵大隊を敗走させたようだ。成功と言って良い。 司令部に戻った彼は形式通りの報告と中隊の主要な構成員を失ったことについての反省の弁を述べ、見事な敬礼をして見せた。血と煤と泥に汚れた顔に目だけを鋭く光らせる彼を、脇に控えていた中隊の先任軍曹は畏怖以外の何物でもない眼差しで見つめていた。この軍曹が昨日まで彼を「あの売女」と呼んでいたのを私は知っていたから、先に下がらせてやることにした。 「軍曹の表情を見れば大体分かります。」 逃げるように出て行った軍曹を横目で追っていた彼に、私は初めて個人的な言葉をかけた。彼は曖昧な笑顔を見せ、頬の汚れを手の甲で拭った。汚れが落ちた隙間から彼の白い肌が覗いた。 「必死だったもので。」 彼が応える声は驚くほど落ち着いていて、とても軍歴15年を数える古参の軍曹を畏怖させしめる指揮官のそれとは思えなかった。遭遇戦の代理指揮で散々に敵を打ち破りながら「必死だった」の一言というのもある面では彼らしい。 案の定、私は嫉妬していた。自分が尉官として前線にいた時、彼のように圧倒的な指揮官だっただろうか、などと問うまでもない。彼が無事に戻ったことに安心を覚えた途端にこれだ。 「良くやってくれました。ありがとう。」 「いえ、そういう役目ですから。」 私が気持ちと裏腹な称賛の言葉を口にすると、彼は控えめにしかし嬉しそうに応えた。彼は自分が私の嫉妬の対象になっているなどとは夢にも思わないだろう。 「少しだけ、心配しました。」 「・・・すみません。」 束の間、職務を脇に置いて言葉をかける。申し訳なさそうに俯いた彼が喜びを表に出さないようにしていたのが良く分かった。彼は、私が彼に寄せる軍人としての信頼と個人としての心配に満足を覚えたのだろう。きっとそうに違いない。 同時に私は、こんな自分の言葉が彼に喜びを与えられることに喜びを覚えていた。自分の言葉の価値を他人の反応にしか置けない自分自身に呆れを感じてもいたが、今はそんなことはどうでも良かった。 彼は強い猜疑心と卑屈さで固めた自尊心とで出来たような、私と比べても遜色ないほどの哀れな小人物だが、私から評価されること、必要とされることに対してだけは喜びを表す。勿論それは、極めて控えめに抑えられた表現に留まるのだが私にはそれでも充分伝わっていた。 その一点を以て、どのように歪んだ人間性を持っていたとしても間違いなく、私は彼が愛おしいのだ。彼は、彼を求める私を求めている。それも哀れな程に渇望している。それに応えたいと感じる気持ちが愛でなくてなんだろう。 何だ、言われた通りじゃないか。 私は彼の精神をこそ愛している。 あとがき 久々にイクシャル。シャルティエの人格を排除してイクティノスの一方からの視点にしたら多少書き易くなりました。んー、まだまだこの二人に関しては思案が要りますね。 今回の件についてシャルティエは「災難だった」ぐらいの感覚だと思います。ハロルドとシャルティエの話で良く出るように、彼自身は出来ることなら危ない目に合わずにいたいと思ってる節がありますので。危険を恐れることが戦場での臆病とイコールにならないのは、彼にとって戦場で戦うよりも居場所を失うことの方がより恐ろしいからです。 しかし、まぁ、不幸にもシャルティエはイクティノスの嫉妬と心配が要因で結局ハロルドの工兵連隊の副官として転属することになる訳なんですが・・・。 BACK |