Apocalypse996 目次 四/連邦暦996年11月30日午前8時 クルガン州中央部ブドレフスカ川西岸より3キロ地点 「アムロ、アムロ。こちらビアンカ。定時連絡。」 「こちらアムロ。御苦労。」 「現在ビアンカは地点二〇四に進出。」 「予定時刻に変更なし。続行せよ。」 「了解。連絡終わり。」 中隊本部との連絡を終えたリトラーは通信兵に無線機―当時のものはレンズ式でも兵士が背中に担ぐ必要があるほど大きかった―を返し、部下で最も年嵩の軍曹を呼んだ。彼を見ると、いつもリトラーは高校時代に随分と世話になった生物教師を思い出す。 「軍曹、兵の様子はどうだ?」 「多少緊張しとります。」 「久々に攻撃だからな。」 「ええ。」 攻守が逆転した西部戦線の連邦陸軍は専ら陣地に籠もっての防御とゲリラ的な攻撃で増援が来着するまでの時間を稼いでいる。攻める側のラシーヤ軍とて分厚い攻撃が出来ている訳ではないため、迂回してしまえばすぐに敵陣の側面には迫れてしまう。今回も直線距離は3キロだが、大きくブドレフスカ川の上流まで迂回しての移動だったため実際には3倍以上の距離を経て現在地に至っている。 「俺も緊張しているよ。」 リトラーは持ち前の明るさで笑顔を見せたが、軍曹は生物教師と同様にやや困惑の色がある苦笑を浮かべただけだった。 ここまでは歩兵輸送車―ありがたみのある名前こそあるものの実質的には薄く鉄板が貼られただけのトラック―に揺られているだけで良かったが、ここからは歩いて接近しなくてはならない。歩哨がいれば排除せねばならないし、予想外の規模の敵がいれば見つかる前に逃げねばならない。その判断を求められる小隊長の気苦労は大きい。 「兵車の隠蔽、完了しました。」 「御苦労。」 まだ少年の色が残る声で報告する兵士はまだ10代だった。リトラーの分隊にいた者でただ一人、第2小隊に配属されている。分隊長としての勇敢と慈愛を様々な場面で見てきた彼は、他の兵達とは異なり尊敬と畏怖の眼差しをリトラーに向けてくる。 しかし、正直なところリトラーとしてはそれが重荷でもあった。無能な素人ではなく、優秀で勇敢な小隊長であることを求められるからだ。駆け足で持ち場へ戻る兵士の後ろ姿を見ながらリトラーは思った。 「そろそろ行こう。」 「はっ。」 溜息を一つ、誰にも気付かれないように吐いたリトラーは傍らの軍曹に命じた。頷いた軍曹は周囲を警戒すべく隊列の先頭まで駆けて行く。 彼ら―第305教育大隊第3中隊第2小隊―がこなすべきことは、ひっそりと接近し、警備についている部隊を奇襲し、敵が混乱しているうちに撤退する。要は嫌がらせにすぎない。側面から少しずつ攻撃を受ければ敵は防御を増強し、結果的にこちら側の本隊への圧力は低下する。 しかし、とリトラーは思う。段々と増強される敵の防御がこちらの迂回部隊を打ち砕いてしまった場合はどうするのだろう。一個小隊たりとも無駄に出来ない現状で、リスクのある攻撃を行うことには疑問があった。もっとも、彼にとって一番気になる点は、このように現場の裁量が大きな場面に自分のような半素人将校が指揮する部隊が投入されている点だった。 いつものように軍曹に尋ねてみようかとも思ったが、何となく彼は思いとどまった。あまり良い答えが貰えないような気がしたからだ。ミクトランならどう考えるだろうか、といつものように良い意味で対照的な思考法を持つ友人をヒントにしようとした。 彼は案外大胆な男だ。きっと平然と攻撃し、平然と撤退するに違いない。内心に逡巡はあったとしても、そちらに気を回すことがこの場にとって良いと思わなければさっさと思考から追い出してしまうことだろう。その巧みな自己制御はリトラーに真似出来ない芸当だった。 「まぁ、俺は俺でやるしかないな。」 持ち前の明るさで気持ちを切り替えたリトラーは整然と進む周囲の兵士達を追い越し、先頭を進む軍曹の脇まで駆けて行った。茂みを抜けた所で腹這いになった軍曹は岩陰から頭だけを出して敵の陣地を観察していた。 「どうだ?」 声を顰めて尋ねるリトラーに軍曹は頷いて、後方の兵士達へ手招きした。腰を屈めて駆けてきた兵士達はそれぞれ遮蔽物を見つけて身を隠し、それぞれ銃の準備を始めた。勿論リトラーもすっかり身体の一部になった79式歩兵銃に弾を込めた。古参兵にも負けない速さで装填を済ませた小隊長を見て、軍曹の内心には若干の驚きが芽生えたが気を取られている暇はなかった。 陣地の機銃が2、軍用トラックの荷台に設置された機銃が1、トラックの傍らで指示を出しているのは指揮官らしい。交替して間もないのか兵士達はまだ密集していた。手で素早く合図を出したリトラーは自分とそれほど歳が変わらないように見える指揮官の胸に狙いを付けた。瞬きを忘れ、短く息を吸い込んでから止めると丁寧に引き金を引いた。 静謐な朝の空気を切り裂くような低音が響き、殆ど同時に指揮官の胸から血が噴き出た。それに呼応するように兵達も次々と発砲し、指揮官を失ったラシーヤ兵を混乱に陥れる。機銃座に付いていた兵士は真っ先に倒された。どこから撃たれているのか分からないため遮蔽物に隠れることも反撃することも出来ないまま敵部隊は兵の半数以上を失っていた。 「着剣、突撃準備!!!」 普段の柔和な彼からは想像もつかないような鋭い声が殆ど乱射になっている銃声の中でも兵達の耳に届いた。兵達は装弾よりも素早くストロー状の銃剣を各々の銃に取り付けた。白兵戦に重点を置く連邦陸軍にとって着剣の速さは何より尊ばれる。 「突撃ぃぃぃぃっ!!!」 叫ぶのが先だったか、飛び出すのが先だったか、リトラーは将校の証である腰の剣を抜きながら猛然と突進した。あの学生が軍服を着たような青年と目の前を駆けて行く小隊長とを意識の中で一致させられないまま、兵士達は引き摺られるように突撃を開始した。 彼らは今、歴戦の勇将に率いられているかのような錯覚の中にいた。 戦闘の仕上げと殺戮には10分もかからなかった。指揮官を失っていた兵士達は隊伍を為さずに逃げて行く者が殆どで、敵が自分達の半数以下もいないような小部隊だとも認識出来ていなかっただろう。踏み止まった敵兵士は僅かに2名のみ。 彼らを葬った刃の主は5人だったが勿論そのうちの一人はリトラーだった。 「伍長、兵を二名連れて周囲を警戒しろ。」 「はっ。」 剣の血を拭いつつ小隊の最先任下士官に命じた。10分前とは最先任が変わっていたが、それはつまり欠員が出たために繰り上がりが生じたのだ。 蜘蛛の子を散らすように逃げ去る敵部隊の中で、たった2人だけが示した勇敢さの結果だった。小隊長以下5名の刃が彼らを捉えるまでに放たれた銃弾は4発だったが、そのうち軍事的成果を挙げたのはたった一発だった。 兵士達は陣地に置かれた機銃や弾薬、敵兵が置き去りにした装備品を同じく敵が置き捨てたトラックの荷台に放り込むと、最後に軍曹の亡骸をこれ以上ない程の丁寧さで積み込んだ。 部下を失うという悲しさは勿論あったが、ふてぶてしく逞しい「歴戦の下士官」という人種がこうもあっさりと死んでしまう不思議さが先に立った。 「小隊長殿、敵部隊は完全に撤退いたしました。」 駆け足で戻った伍長以下3名は彼らが示せる最大限の敬意を込めて指揮官に敬礼し、手短に報告した。目には純粋な尊敬の色が見える。「また面倒が増える」と後ろ向きに考える習慣をリトラーは持っていなかったが、どうやら随分早い卒業を迎えてしまったことは自覚していた。不承不承ながら質問に答えてくれる生物教師はもういない。 「ご苦労だった。引き上げよう。」 目に再び優しさを宿して、リトラーは部下達に命じた。 あとがき ミクトラン出すタイミングを逸してしまった。苦笑 BACK |