Apocalypse996 目次 五/小休止連邦暦1006年=地上暦6年 ヴェルムランド州カールスタード市「地上軍」士官学校 教官は読み上げていた小冊子を閉じ、生徒達をぐるりと見回した。右目は黒いアイパッチで覆われていたため大きく首を動かす独特の動きだったが、自分達の教官が右目を失った理由について知らぬ者はいなかったため緊張と畏怖とでその様子を見つめていた。 リヒャルト・ウォルツ大佐。天地開戦劈頭における連邦軍(=現在の地上軍)の絶望的な防御及び撤退戦を前線で指揮した、と現代戦史の教科書には書かれていた。芝居がかった言い方をするのなら救国の英雄であった。勿論、本人はそんな上等な身分ではないと否定するだろうが。 「第二次北部内乱は多くの記録が残っている。」 右足を引きずるようにして、彼は窓に近い教壇の端まで歩いて行った。一瞬弱い陽光に目を細め、それから再び生徒達を見詰める。 「ゲーティア生徒。」 「はい。」 「その理由を簡潔に述べよ。」 「多くの士官学生、予備士官ら一般市民に近い人々が従軍した為です。」 呼ばれると同時に、何者かに天井から引っ張られたのではないかと思うほど機敏に起立した生徒は、教官の鋭い眼光も気にならないかのような態度でやや尊大に答えた。教官は着席しても良い、というようなジェスチャーをしただけで正しいとも誤りだとも言わなかった。再び手にした小冊子に目をやる。 「先程の手記も士官学生のものだ。彼らは前線で学び、それを書き残した。お蔭で我々は膨大な量の研究資料と小部隊戦術についての豊富な戦訓を得る事が出来る。」 もう一度冊子を開く前に、教官は一瞬だけノートの表紙に目をやった。擦れてはいたが良く見ると文字が書いてあるのが分かる。MTLと読める三文字。 まさか自分のノートが敵側の士官学校教材になっているとは彼も思わないだろう。リヒャルト・ウォルツは自分の右目と大切な人が失われた理由を作った人物のことを、決して憎しみからでなく思い出した。やはり、記憶の中のその人には親しみと尊敬が先に立つ。何とも皮肉なものを感じ、生徒から見えないように微かに笑みを零した。 「では、先程の一節、305教育大隊の作戦だが、何か意見のある者。」 すぐに頭を切り替えて問いかける。一瞬の間があってから、白く細い手がスッと上がった。ウォルツにはそれが誰のものなのかがすぐに分かった。彼が良く知る者と手の先まで良く似ていたからだ。一度見落としたふりをして視線を外し、それからやっとその手の主を見た。 「マイナード生徒。」 「はい。」 滑らかで高貴さを感じさせる立ち振る舞いで起立したその生徒は、無意識のうちに周囲が自分に注目するまでの一瞬の間を取った。全く貴族的と言って所作だった。尤も、マイナード家は海軍系の名家ではあっても本当の貴族ではなかったが。 「戦力減少の危険性を徒に増大させる失策であると考えます。」 「では正解は何だと言うのかね?」 「敵の攻勢の薄さを突いた縦深陣地戦術です。」 「理由は?」 「助攻である西部戦線は飽くまで戦力吸引を目的とする為です。」 教室の生徒達は言葉を失って恐ろしい同期がいたことに驚いていた。教官も自らが講義で述べるべきことを全て話してしまった学生に恐怖した。イクティノス・マイナードはイリア・マイナードを越える天才だということを確信した彼は、ある種の感動を覚え、不敬にも着席の許可がないまま席に着いたイクティノスを咎める事すら忘れた。 或いは、兄譲りの洗練された不敬に却って好意を持ってしまったからかもしれないが、恐らく彼自身はそれを否定するだろう。自身の個人的な好意と人への扱いを結びつけるのはリヒャルト・ウォルツの主義ではなかったからだ。 「全くその通りだ。」 呆然の状態から回復し、隣近所と口々に私語を始めた生徒達を黙らせる為に教官は分かり切ったことを口にした。イクティノスの言葉が全くの正解だったことは誰しもが分かっている。ただ、教官である彼は口を開かねばならなかった。 「では、何故そのような愚策が採られたのか。」 生徒達がそれぞれ思案顔になった。全く思い浮かばない者は教官と目を合わすまいとし、何がしかの意見を持っている者は素早く挙手をしてイクティノスが浴びた栄誉の何割かを続いて得んとした。しかし、ウォルツは生徒を指名することなく自らで話を続けた。 「大隊長が無能だった、との意見は賛成できない。」 挙手していた生徒達の半数以上が顔色を変えた。分かり切っていそうなことを聞かれて得意顔で挙手をする、こういう生徒がそのまま将校になれば部下は不幸だろう。ウォルツはそう思った。分かりやすい隙にこそ罠がある、などと言うことは戦争のみならず生きていく上で必須の定石と言って良い。ただ、自分がそれが分かるまでには随分かかったな とも彼は内心で自嘲した。 「兵士の半分は新兵、小隊長は諸君と同じ士官学生だ。そう言われれば少しは理解が進むのではないかと思う。」 新兵がどの程度のものなのか、恐らく生徒達には正確な理解が出来なかったことだろう。しかし後者、小隊長が士官学生だったという事実を思い出した生徒達は凍り付き、そんな大隊を率いた大隊長に正常な判断をしろと要求することの無意味を悟った。 現在の判断と当時の判断を同等には扱えない。現に305大隊は多大な被害を出しながら増援が来着するまで川を守っているのだから、大隊長は完璧でこそなかったが評価の対象であることは違いない。残念ながら、大隊司令部に砲弾の直撃を受けて戦死した為、彼が生きているうちに評価を受けることはなかったが。 授業の終了を告げる鐘が鳴った。本来ならば教官が講義を終える前から生徒達は休憩時間顔を始めるものなのだが、今日は扱った内容が内容だけに皆が固唾を飲んで教官に注視していた。 「授業を終わる。」 手短に言うと、生徒達は漸く解放された様子で続々と席を立った。ウォルツは誰にも気付かれぬよう左目を生徒達一人一人に向けた。彼らが動員された時、誰が生き残り誰が死ぬのだろうと思うと心に虚しいものが生じた。 イクティノスに視線が向かった時、何かを察した彼と目が合った。微かに笑みを見せたイクティノスは目だけで軽く礼をし、サッと視線を外した。 もし、今、再び士官学生が動員されたとしたら、きっと彼が第二のメルクリウス・リトラーになり、ミクトラン・T・リーになるのだろう。ウォルツの立場としては勿論、リトラーの道を歩んで欲しいと願った。 10年前の新兵がリヒャルト・ウォルツでありイリア・マイナードであった。10年前の士官学生がメルクリウス・リトラーでありミクトラン・T・リーだった。10年で何と世界は変わってしまったことか。まるで天地が引っ繰り返ったかのように、とまで考えて教室を出掛かったウォルツは一度足を止めた。 天地は引っ繰り返ってなどいない。真っ二つに割れてしまっただけだということに気が付いたのだった。 あとがき ゲーティア生徒は皆さんご存知のバルちゃんです。イクティノスとは士官学校同期と言う設定にしています。バルバトスは尊大でイクティノスは不遜と微妙に違うのがお分かり頂ければ良いなと思っております。 BACK |