Apocalypse996 目次 七/連邦暦996年12月24日 クルガン州中央部ブドレフスカ川東岸 「リトラーさん、起きて下さーい。リトラーさーん。」 生まれて初めての飲酒に続いてやって来たのは生まれて初めての二日酔いだった。声が頭に響く。高校を出たばかりで酒にも慣れない若者にウィスキーを飲ます中隊長というのはどうなのだろう あぁ、考えてみればうちの中隊長もまともに部隊指揮など執ったことがないはずだからその点は・・・。 「リトラーさん、そろそろ起きましょうねー。」 「・・・起きた。起きたよ、イリア。」 弾薬箱よりも重い気がする瞼を無理にこじ開けると、多分世界で一番偉そうに見える一等兵がこちらを見下ろしていた。なんとも口では言い表せない雰囲気だが、同い年とは思えない。 「昨晩はお楽しみでしたね。」 「お陰で頭が痛いよ。」 「腰の方は?」 「腰?いや別に。」 冗談が通じないどころか、冗談にも気付かない。うちの小隊長は頭の固い人間ではないのだが、どうも度を越えて初心なところがある。リトラーが目をこすりながら起き上がると、イリアはつまらなそうに溜息を一つ吐いた。 「ミクトランは?」 「既に出られましたよ。俺に目覚ましを言い付けて。」 ミクトランに「あなたが起こした方が喜ぶんじゃないですか?」と冗談を言って嫌な顔をされたのは黙っておく。恐らく何故嫌な顔をしたのかリトラーには分からないだろうとイリアは諦めていた。 「水をもらえるか?」 「はいはい。」 「飲み慣れないものを飲むのは良くないな。」 イリアは水筒を渡しながら、部屋の片隅に転がるウィスキーのビンに目を留めた。この優しい顔立ちの少尉と40度のアルコールというのは何ともミスマッチだと感じるが、それを言ってしまえば彼と彼の周囲の全てがミスマッチという現実に気付かされてしまう。その複雑な気持ちをジョークに込める。 「目下慣れないことばかりではないですか?」 「冗談として今一つだが、現状認識としては全く正しいよ。」 今一つと言いつつもリトラーは楽しそうに笑った。控えめに言ってもかなりひどい状況ではあるが、楽しめる面は楽しむべきだとリトラーは思う。昔から彼は辛い体験の中に面白みを見つけるのが上手い人間だった。 「どんな上官であれ、褒められて悪い気はしませんね。」 「その一言がなければお前は出世するよ。」 「どんな上官であれ、忠告はためになりますね。」 リトラーは「その一言がなければ」が望むべくもないものであることに気がついた。イリア・マイナードとはそういう人物なのだ。別にリトラーが学生上がりの経験が浅い小隊長だから皮肉っている訳ではない。誰に対してもこんな態度を取らずにはいられない人間なのだ。 イリア・マイナーの出身はスヴェリエの大部分が王制だった頃から海軍将校を輩出している旧家で、貴族ではなかったが古く権威のある家だった。イリアはその長男で、要は封建的な父親に反発して家出した放蕩息子と言ったところだ。良くある話ではあるが、その放蕩息子の行き着く先が陸軍の一等兵であったのは特異であると言って良い。 「ま、出世も何も今日を生き延びてからの話だ。」 「全面的に同意します。」 「海軍ならこんな目には遭わなかっただろうとは思わないか?」 「その後悔には飽きましたよ。二、三ヶ月前に。」 一度、どうしてイリアが陸軍に入ったのかをリトラーは聞いたことがあったがその時は「別に理由なんてありませんよ」と笑って返されただけだった。自分の血への反抗であると共に、軍人としての血を認めている部分もあるのだろうとリトラーは思っていたが、今もって本当の理由は良く分からない。 「ま、陸軍には陸軍の良さがありますよ。さ、行きましょう。」 「そう思いたいものだな。」 長い髪を撫でつけ、制服を整えるとリトラーは今までよりも少し力を込めた声でそう応えた。外は相変わらずの雪景色、相変わらずの寒さ、相変わらずの戦場だった。目下慣れないことばかりではあったが、この環境には徐々に慣れつつある。 「あ、一つ思いついたよ。陸軍の良いところ。」 「聞かせて貰えますか?」 「実に『地に足の着いた』仕事じゃないか?」 「現状認識としては皮肉でしかありませんねぇ」 「全く。」 地に足が着いているお陰で思うように逃げることも出来ないじゃないか、と思いつつも冗談としてはなかなか出来の良いそれに二人は笑みを浮かべた。 双眼鏡の向こうには暗い川、鈍色の空、白い雪。朝日が昇り切っても川のこちら側と向こう側には何の変化もない。ただ、リトラーにとっては変わりがないのが一番ありがたいことに思えた。攻撃があるかもしれないなどと予告をされている身にしてみれば当然の話だ。 「メルさん、飯食いました?」 声の方を向く。戦場以外で出会っていたら関わり合いになろうとしなかったであろうタイプの顔がそこにあった。負傷者続出のお陰で分隊長を務めているリヒャルト・ウォルツ一等兵は高校を卒業した今年の春から陸軍に入隊した若い兵士で、軍服を着ていなければ不良か水商売の人間にしか見えないような風体をしている。 「いや、何だか食欲が出なくてな。」 「食えるうちに食っといた方が良いと思いますよ。」 リヒャルトは右手に持っていた紙袋から缶詰を取り出した。今日の朝食はいつもの固焼きビスケットと豆煮込みらしい。食欲が出ない理由の何パーセントかは十分な補給がないせいで食事がひどくマズイからだったが贅沢は言っていられない。 「まずいと分かってて勧めんのもあれですけどね。」 「いや、ありがとう。」 リトラーは差し出しされた紙袋を受け取り、礼を述べた。彼と知り合って二ヶ月も経っていなかったがリトラーの中での第一印象は既に修正されていた。目付きが悪く攻撃的な見た目と裏腹に彼は大変に世話焼きで気が回る人間だった。 木切れかと思うくらいに固く焼かれたビスケットを齧りつつリトラーは思う。彼とリヒャルトを分けているものは春に士官学校に入ったかどうかというだけのことで、歳も同じだし何ら歴然たるものがある訳ではない。それで良く自分は指揮官として扱ってもらえるものだとリトラーは思っていた。 「司令部は整髪料なんか届けてくれないですよねー。」 銀と言うより灰色に近い髪を相手に試行錯誤するリヒャルト。少し伸びてしまっていたが、本来はもっと短く、刺さるくらいに立てるのが彼の流儀らしい。 「何かで代用したらどうだ?」 「例えば?」 水筒の水−幸いにしてそれ以外の物資とは違って水にだけは困っていなかった−でビスケットを流し込む。それからポケットを探り、リトラーは小さなアルミ製の容器を取り出した。 「松やに。」 「・・・・んー。」 「あ、タールもあるぞ。あれは固まるな。」 「あんたに聞いたのが間違いでしたよ。」 勿論冗談だったが、優等生はファッションの何たるかが分かっていない、とリヒャルトは肩をすくめる。ヘルメットを被れば頭は殆ど隠れるのだから同じことだろうとリトラーは思った、しかしすぐにファッションと言うのは半ば本人の気持ちの問題なのだから見えない部分だからこそ大事なのかもしれないと思い直した。 「ま、着の身着のままだからな。」 「そうそう、ささやかなお洒落がしたいんですよ。」 「なるほどねぇ。」 「さて、じゃあ持ち場戻ります。」 よっこいしょ、と大袈裟な様子で立ち上がって、リヒャルトは尻の土を払い、ヘルメットを目深に被る。19歳、兵士になって8ヶ月。その割にはなかなか板に付いてるじゃないか、と見上げながらリトラーは思う。勿論それが良いか悪いかは良く分からないけれど。 ささやか。。。 「リヒャルト・ウォルツ一等兵。」 「はい?」 「君の希望を叶えるべく、近々星を増やしてやろう。」 珍しく上官くさい物言いをしてリトラーが得意顔をする。リヒャルトは急のことで少し驚いて、それからすぐに自分の肩を見た。細いラインの上に星が二つ。一等兵の階級章がややくすんで光っているのを目にして苦笑する。 「ちょっとしたお洒落、ですか?」 「目立たないくらいが良いのだろう?」 「ええ、仰る通りです。」 リトラーも立ち上がろうとすると、リヒャルトは手を差し出した。上官と部下の礼としてこれが適切かは二人とも知らなかったが、これが敬意の表れであることについてはお互いに誤解はない。 「ありがとう。」 「お安い御用です。」 リヒャルトは比較対象を多くは持たなかったが、この同い年の上官を好ましく思っていた。意図的か自然にか人あしらいが上手く、知らないうちに指示に従わせている。同じ指揮でも要は受け取らせ方の違うと言うことだろうなとリヒャルトは思っていた。小学校の時、学級委員が特に口うるさくするでもなくクラスをまとめていたのを思い出す。もっとも、その子は可愛らしい女の子だった訳だが。 「給料も上がるぞ。」 「どれくらい?」 「勿論、ささやかに。」 リトラーは悪戯っぽく笑った。上官は可愛い女の子ではなかったし、リヒャルトは同性を恋愛対象にする趣味を持っていなかったが、その分を代替するだけの愛嬌−部下に骨を折ってやろうと思わせるような人徳と言っても良い−を持っているなとリヒャルトは思った。 不思議なことに二人は、今日死ぬかもしれないということを完璧に忘れていた。そんな不思議な陽性の雰囲気がメルクリウス・リトラーの部隊には満ちていたという他ない。 リトラーは小隊の陣地の奥、少し高くなっている部分にいた。ここからは小隊の様子が全て見渡せる。兵達は連戦の疲れにも負けず精力的に動いているように見えたが、陣容はいかにも貧弱だった。一個小隊が守るにはスペースが広すぎて疎らな配置になっているからだろう。 「こう見ると寂しいですね。」 リトラーは振り向く。新品らしくぴかぴか、とはいかないが頑強さを感じさせる鈍い輝きを放つ砲が一門。その傍らに砲と比べると頼りない印象の男が一人。リトラーの小隊の貴重な火力である対戦車47ミリ砲とそれを指揮するブルーノ・オドネル伍長だった。 「贅沢は言えない。向こうも似たようなものだ。」 「だとしたら、相手も気の毒な状況ですね。」 23歳のブルーノは、10代の若者達に比べると少し落ち着いた雰囲気を感じさせる笑みを浮かべた。彼は大学卒業を控えた1月に徴兵されたため小隊の中では年齢も上で軍歴も長い方に属していた。勿論、小隊内の兵士がほぼ軍歴一年以下というのは軍隊として異常という段階を通り越している。近代的な軍隊ではないと言って良い。 「出番があるかもしれないぞ。」 「一応、その為の対戦車分隊ですからね。」 この内乱で初めて本格的に実戦投入されたと言って良い戦車については、まだ全くの手探り状態と言って良かった。主攻である南北戦線では連邦軍でもラシーヤ軍でも戦車が重要な戦力となっていると聞くが、二線級部隊が集まる東西戦線では殆んど姿を見せていなかった。 旧式の野砲を平射・直接照準仕様に改修した対戦車47ミリ砲は念のための保険として東西戦線の各部隊に配備され、戦車ではなく歩兵や陣地を攻撃するために使われ一定の戦果を挙げていた。対戦車分隊と銘打たれた部隊を指揮するブルーノも、そのような戦いしか経験していない。 ただ、リトラーはあまり心配をしていなかった。ブルーノ・オドネルは高等教育を受けた者らしく、論理的かつ実際的に物事を考えることの出来る人間だったから、どんな状況でも手持ちの装備で出来る限りのことはやってくれる筈だと確信していた。勿論、出来る限りのことをやった結果勝利するとは限らないが。 「なぁ。」 「はい?」 そして、リトラーはこの優秀な下士官と出会って以来疑問に思っていたことを口にする。決戦(と言うほどの戦略的価値はないが)前に色々とすっきりさせておきたい気分だったのだ。リトラー自身は陽性の人間であったから、何となく縁起が悪い行動であると感じるようなことはなかった。勿論、相手まで同じような性質の持ち主とは限らないのだが。 「お前、何で軍にいるんだ?」 一人っ子で大卒であるブルーノは本来徴兵される対象ではない。何かの弾みで軍に身を置くことになっても前線に出ることなどあり得ない。連邦政府が樹立され貴族制が消滅したとは言っても家格の高低を問わず跡取り息子を重視する傾向は変わらなかったし、高等教育を受けた人材を兵士として乱費することは許されないはずだった。 「爺さんが移民なんで。」 ブルーノは短くそう答えた。慢性的に食料が不足するラシーヤでは昔から多くの人々が農業地であるリエトヴァへの移住を望み、合法不法を問わず移民が絶えなかった。結果リエトヴァの社会階層の最下位に貧しいラシーヤ系移民が 位置付けられることとなり、差別と迫害に晒されてきた歴史がある。ブルーノの一族はその貧困層から中産階級に這い上がった一握りだ。 「後方に敵国人を置きたくなかったんでしょうね。」 ブルーノが家族の故郷と感じるラシーヤと現在の独立戦線が支配するラシーヤとは随分開きがあったが、連邦政府にとっては全く同じだった。ブルーノは怒りを覚えたものの、同時に高等教育を受けた者らしい冷静な分析で政府の人種へのヒステリーを理解した。 「良く連邦側で戦ってられるな。」 「俺、連邦市民ですから。」 「そのクールなアイデンティティは凄いな。」 リトラーは特にアイデンティティを意識しない。意識しないのはそういう抑圧を受けていないからで、自分が少なくとも個人的には幸運だったからだと理解している。わざわざラシーヤ系移民を迫害して気分を紛らわすほど生活に困ってはいないリエトヴァ人にありがちなタイプと言える。 「学生上がり風情が言うのもあれだが、連邦将校として申し訳なく思うよ。」 「いや、小隊長。」 「なんだ?」 「俺に言わせりゃ、小隊長も大した職業意識ですよ。」 半年学校に通っただけで将校なんかをやらせる政府に代わって謝罪するなんて、とてもやっていられない。自分が誰かに謝って欲しい気持ちが先に出るからだ。ブルーノはそう思うのだが、リトラーはもう少し真面目だった。 「好きで入った学校だからな。」 「なら、うちも好きでやってきた移民ですから。」 ブルーノは嬉しそうに皮肉の意味のない笑顔で言った。リトラーは愛国心というものの奥深さを感じて返す言葉がなかった。 猛烈な砲撃が始まったのは、日が高くなり朝ほどの寒さではないなと感じられるようになった頃だった。空が黒くなるほどの量の砲弾が降り注ぐ中、兵士達が生き延びる術は塹壕の中で小さくなっていることだけだった。 「早く終わってくれ!」 傍らの兵士がそう叫んでいたようにリトラーには思われた。音自体は聞こえない。彼の口がそう動いたように見えたのだ。確かに、叫んでもいないと気がおかしくなりそうな程の砲撃だった。 リトラー自身、平静を保とうと必死だった。轟音と振動と死の恐怖が精神を蝕もうとするのに抵抗する。このまま頭がおかしくなってしまえば様々な物から解放されるのに、と思いかけて押し留まった。 これと同じことが川沿いの各部隊で起きている。数万の兵士が土壁に張り付きながら全く動けない。そして誰もが、この砲撃が止んだらもっとひどいことが起きると言うことを知っていた。 あまりの騒音に時間の感覚が麻痺して、結局何分間の砲撃だったのか誰にも分からなかった。リトラー自身は、そんな筈がないことを知りながらも一時間以上も騒音が続いたように感じられた。 「各分隊、被害を報告しろ。」 耳鳴りを無視して叫ぶ。思い切り張り上げたにも関わらず、自分の声が随分遠く聞こえた。視線は対岸、まさに川を渡ろうとしている敵部隊の姿へ向けられていた。通信兵から野戦電話を受け取り、努めて落ち着いた声で告げた。 「こちらアムロ。クマ、火制区域に入りつつあり。」 「こちらビアンカ。了解した。」 遥か彼方から巨人の手拍子のような音が連続して響いた。後方に陣取る砲兵隊が予め付けておいた照準で砲撃を行っているのだ。次々と撃ち出される砲弾はリトラー達の頭を超え、川の中頃まで来ていた敵部隊を爆風と砂煙と水飛沫で包み込んだ。 先程まで一方的に撃たれていたのをやり返すかのような激しい砲撃は、これを潜り抜けて攻撃を続けることなど誰にも出来はしないのではないか、とさえ思わせた。しかし、それはあまりに都合が良い考えだったとリトラーと部下達はすぐに気付くことになる。 「こちらアムロ。クマ、なおも優勢なる戦力を維持し、攻撃を継続中。」 「こちらビアンカ。砲撃を中止する。健闘を。」 「・・・アムロ、了解。」 通信兵に電話を返し、自分の銃を確認しながら敵へ目をやる。一度にこんなにも多くの敵を見たのは初めてだな。状況に合わない妙に平静な気持ちでリトラーは思った。敵の多さが即ち自分の死の危険の大きさに結びつくという考えに至らなかったのは、やはり逼迫した状況で正しく頭が働かなかったからだろう。 ただ、戦場で正常な思考を維持することが幸せとは限らない。 兵士を陣地の中に射竦める制圧射撃、工兵による地雷の除去、少数ながら歩兵を支援する戦車の姿も見える。ラシーヤ側の攻撃はこれまでになくスムーズで準備の入念さと指揮官の腕の良さを感じさせた。 「歩兵が来るぞ!」 しかし、陣地を占領するために必要なのは戦車でもなければ砲撃でもない。他ならぬ、生身の人間なのだ。必然的に原始的な格闘戦になる。リトラーは自分達の戦力からして、そこに期待するしかないと最初から思っていた。後退することを少しも考えなかったのは不思議としか言いようがない。 陣地に身を隠す連邦兵からの射撃を掻い潜ってきた一人のラシーヤ兵をリトラーは一突きで仕留めた。達成感と吐き気が同時に湧き上がり、その両方を打ち消す。周りの兵士に目配せをするとすぐに駆け出した。 人は相手との距離が2、3メートルを下回ると銃の正しい使い方―引き金を引いて弾丸を撃ち出すこと―を忘れるらしい。塹壕の中では銃剣を槍としてのみ用いる原始的な方法で戦いが行われた。リトラーにとって幸せだったのは部下達がいずれも、槍で武装した古代の軽装歩兵としてならば大変優秀だったと言うことだろう。 若さに任せた体力があり、プロの軍人達ならば当然知っているようなことを知らない反面で実戦経験だけは濃密に積んでいる兵士達は目の前の敵を殺戮することだけに集中して陣地内を走り回った。勿論指揮官たるリトラーとて例外ではない。 乱戦の中で、火炎瓶や手榴弾を機関部に投げ込まれたことで撃破される戦車も出ていた。リトラーは自分達に砲塔を向けていた戦車が次の瞬間には爆発炎上する様を、偶然視界に捉えた。戦車を撃破した将兵の中にミクトランが含まれていたことにも気付き、感情のどこかの部分を働かせようとしたものの、彼には人間らしい反応を取る暇はなかった。 銃剣は既に折れてしまったため、抜群の耐久性で知られた連邦軍79年式歩兵銃は重くて長い棍棒に成り下がり、丈夫なテルシェイ産オークの銃身は血を吸って赤く染まりつつあった。リトラーの周囲の兵士もそう変わりはなかった。敵の武器を奪って使っているものもいれば、陣地構築用のスコップや私物のナイフで格闘している者もいた。皮肉にもその姿は内乱初期のラシーヤ人武装デモ隊と良く似ていた。 ただ、リトラーやミクトランの部下達はそれを肯定しないだろう。古代の市民軍と同様の方法で戦う兵士達は、その先頭に立つ若い少尉達に対し、カルタゴのハンニバル或いはローマの大スキピオに向けるような敬意を抱いていたのだから。 ラシーヤ軍はこの地区を担当するのが独立した大隊であることに加えて人員の錬度、装備の充実の両面で脆弱であることも把握していたが、常識が通じない部隊であるとまでは思わなかった。 連邦軍の歩兵達は全くの劣勢かつ適切な統制を欠いた状態でも全く後退しようとせず、多くの犠牲を払いながらも、攻撃をかけたラシーヤ部隊の悉くを殺戮した。 第305教育大隊に所属する数少ない正規の将校達は自分達の部隊が後退しつつ戦うことが出来るとは思わなかった。結果、その場に留まり戦い続けることを選び、結果として全ての陣地、全ての将兵がラシーヤ軍の攻撃部隊と混交する乱戦になった。 お互いにとって不幸な誤解が生じた結果と言える。 「リトラー!」 リトラーが今日何人目の殺人かを既に忘れてしまった頃、聞き慣れた声が彼を我に返らせた。足元には、彼が打ち倒したと思しき敵兵士が頭から血を流している。小銃の台尻には血糊がべったりとついていた。 「リトラー、聞こえるか?」 「あ・・・あぁ。」 返事をした瞬間、声の主の表情が少しだけ緩んだことには誰も気付かなかった。ミクトランは内心を周囲に悟らせない術に関しては余程の腕前になっている。リトラーは少し気持ちを落ち着かせて周囲を見回した。 「奴らは引き揚げた。」 「どうにか・・・守れた?」 「考え方に寄ると思う。」 ミクトランは川の方ではなく、彼らの後方を指差した。殆ど白い部分が見当たらない雪景色から、二人が守っていた第一線を突破した部隊と血みどろの戦いを繰り広げたのが良く分かる。 「かなりの被害が出た。」 「・・・そうだろうな。」 「混戦だったから詳細はまだ分からないが・・・。」 ミクトランは何枚かの走り書きが挟まれたクリップボードをめくりながら感情を殺した口調で言った。これが言いにくいことを言う時の態度だとリトラーは知っている。同時に、これが極端な冷淡な態度に映って周囲から誤解を生みがちなことも経験から知っている。 「取り敢えず、中隊長に報告しなきゃな。」 「中隊長は戦死した。」 「じゃあ、大隊長か。」 「大隊長も。」 「じゃあ誰でも良いから上官に。」 「私とお前しか残っていない。」 ミクトランの声は淡々としてはいたが、硬い物が感じられた。事態の重さを噛み締めるような声だった。 「参ったな。」 「ああ、どうも大変なことになった。」 二人とも自分の発言に絶望してしまわないように言葉を選んで今の心情を正直に吐露した。 ただ、二人とも、何となくこうなるような気はしていたのだ。まだ若いとは言ってもプロの軍人だった大隊長や中隊長は、士官学生の小隊長と高校生に毛が生えた程度の下士官に無理な戦いを強いている状態に耐えられなかったのではないか。若過ぎる部下達の死ぬ姿を見るよりは、自分達が代わりに死のうと思ってしまったのではないか。 リトラーはだいぶ汚れていた手を制服の裾で拭いてから頭を掻いた。散らばっていた兵士達も集まってきていた。皆10代の後半か20代の前半。リトラーやミクトランと殆ど歳の変わらない連中と言って良い。経験のない若者だからこそ異常な状況を受け入れ生き延びている。 第305教育大隊は未だ約500人の兵力を維持している。物資の補給は十分とは言えないものの大きな問題はない。火砲も旧式ながら数は揃っている。問題は、将兵が共に若すぎるというその一点だけであった。 「取り敢えず、生き延びたことと守り切ったことを喜ぶことにしよう。」 「常軌を逸している気はするが良い考えかもしれないな。」 リトラーは開き直って笑顔を作り、リトラーは微苦笑を浮かべた。死んだ人間よりも生き延びた人間の方が幸運に決まっているのだから、第305教育大隊に所属していた将校と士官候補生の中で、リトラーとミクトランは最も幸運な二人ということになる。その現実を素直に喜ぶことで、どうにか現状に耐えようとしていた。それは大隊の兵士達も同様だった。 あとがき イリア、リヒャルト、ブルーノにそれぞれ短編付けたらサイズが膨らみました。苦笑 イリア、リヒャルト、ブルーノはそれぞれリトラーへの接し方が違うわけですが、リトラーを敬愛しているところは共通しています。イリアはイクティノスの兄貴なんですが、結構性格ひん曲がった奴にしたいんですよね。「お楽しみでしたね」は言わせたかっただけww BACK |