Apocalypse996 目次
八/
連邦暦996年12月29日
クルガン州中央部ブドレフスカ川西岸

ミクトランは自分の視界が軍用トラックで埋め尽くされる様を、彼にしては珍しくぼんやりと見つめていた。もっとも表情は、複雑な感情を抱えた時に出る彼特有の冷淡なもので、ぼんやりとは程遠い。

25日の攻撃が、渡河進出するという意味では失敗に終わったことでラシーヤ側は大きな後退を行ったようで、余力がある部隊がその追撃に急いでいるのだった。

自分達の後ろからこれだけの部隊が出てこられるなら、どうしてもっと早く来てくれなかったのか、という思いは当然のようにミクトランの内心にあったが、良く考えてみれば増援が来ることを察知したからこそ、ラシーヤ側は先手を打ったのだ。

ミクトランは無知な一年兵のような考えを一瞬でも持ったことを恥じた。経験が浅いという一言では片付けられないレベルとは言っても、自分はこの部隊に残った数少ない将校なのだ。

「ミクトラン・T・リー少尉でいらっしゃいますか?」

少尉という肩書きは恐ろしい。が、しかし少尉でありながら大隊を支えなければならない立場というのが更に恐ろしかった。そんな思いを抱きつつも、相変わらずの冷淡な表情でミクトランは見慣れない兵士の呼びかけに応えた。

「ああ。」
「自分は第33師団司令部所属ジェロム・マラー上等兵であります。」

きちんと経験を積んだ兵士の名乗り。訓練もままならない学生に銃を持たせただけのような部隊を指揮していたミクトランにとっては久々に聞く言葉だった。殆んど馴染みがなかったはずなのに、今となっては何故か懐かしくさえある。

「第33師団長セルゲイ・ルキヤーノフ准将閣下がリー少尉、リトラー少尉の御両名をお呼びであります。」

次にミクトランが思ったのは、第33師団が何の用かということだった。彼らの305大隊は21師団に所属しており、別の師団長が直接大隊に用があるということはないはずだった。














「急に呼び出してすまんな。」

セルゲイ・ルキヤーノフは30代半ばから後半と思しき、父性的な顔立ちの大柄な男性だった。30代で師団長なのだからエリートと言って差し支えないはずだが、どちらかというと叩き上げの雰囲気を漂わせる将校だった。

「ルキヤーノフだ。あぁ、お前達の名乗りは良い。」

本来ならば下位者から名乗るべきところ、ルキヤーノフはさっさと自分の名前だけ言って省略してしまった。

格式張るのが嫌いな性質である上、高校生と変わらないような若者を前線に放り込み、少尉の階級章を付けさせ、ロクに教わってもいない軍隊式の挨拶をさせることを彼は恥じたのだ。同時に、これから伝えるべきことについても、苦虫を噛み潰すような思いでいる。

「あの猛攻をどうにか防ぎ切ったようだな。ご苦労だった。」

ルキヤーノフはリトラー達に喋らせようとはしなかった。慣れない軍隊言葉を口にさせるのも気分が悪いし、形通りでいけば彼らは大隊の指揮官として多くの被害を受けたことについての謝罪をしなければならなくなる。そんなもの、彼は一言も聞きたくなかったのだ。

「貴様らの上、えーっと21師だったか?そうだな。」

ルキヤーノフは疑問形で喋ったものの二人に口を開かせることはなかった。彼は話しているうちに腹が立ってきていた。そもそも、これは自分ではなく21師の誰かがこいつらに伝えることじゃないのか。

「第21師団はマシな状態の部隊を連れて、既に追撃を始めている。305はうちで引き取ることになった。」

リトラーとミクトランは驚いてこそいたが、怒っている様子はなかった。それが怒るべきことだと知らないのだ。その様子を哀れに思いながら、ルキヤーノフは乱暴にさえ思える様子で二人分の階級章を机の上に放り出した。尉官を表すラインに三つの星。大尉の階級章だった。

「お前達は今日からこれを付けろ。」

リトラーとミクトランは初対面の師団長がどうして苛立っているのか分からなかったが、それが自分達に向けられているのではないことだけは感じ取っていた。

「メルクリウス・リトラー大尉、第305教育大隊長に任ずる。ミクトラン・T・リー大尉、同隊主席参謀に任ずる。」

ルキヤーノフは初めて形式に則って、それこそ将軍らしく物を言った。年端も行かない生き残りの少尉二人に大隊を任せるという重い内容を、自分の言葉で告げることが彼には出来なかったのだ。

「了解しました。」
「了解しました。」

リトラーとミクトランは初めて言葉を口にした。ミクトランは既に、彼らの新しい上官が意図的に自分達を喋らせずにいたことに気付いていた。

「実戦経験がある将校は貴重だ。学校を出ていなかろうが、歳が19だろうが関係ない。お前達にはまだ戦ってもらう。」

もし彼らが無能ならすぐにでも後方に送り返してやれただろうに、とルキヤーノフは思ってすぐに取り消した。無能ならばここまで生き延びてはいまい。厳しい環境では有能で運がある者だけが生き残る。そして、その能力と運とを持った者が次の不運へ立ち向かわされるのだ。

「うちの部隊は弱い。将校、兵の大半は予備役で、装備も古い。」

それでもお前達の部隊に比べたらマシなはずなんだが、と言いそうになってルキヤーノフは一度口を閉じた。これでは自分の愚痴になってしまう。違う。自分が言いたいのはそういうことじゃない。

「俺だって半年前まで連隊長の中佐だった。師団の司令部が爆弾テロで吹っ飛んだんで師団長なんてもんになっちまった。」

これから自分がひどく偽善的な物言いをしようとしていることを知りつつも、ルキヤーノフは止められなかった。リトラーは一瞬、彼が苦しそうに表情を歪めたのを見逃さなかった。

「だが、正規の将校でないお前達に責任を押し付ける以上、出来る限りのことはする。何でも言え。以上、戻って良い。」










「大尉だってさ。」
「そうだな。」
「俺が隊長になっちゃったけど、良かったのかな。」
「お前の方が向いているよ。」
「お前が良いなら良いけど。」
「不安はないか?」
「思ったほどは。」
「前向きだな。」
「だろ?」

リトラーは「後ろ向きになっても撃たれる位置が変わるだけだ」というジョークを思いついたが口には出さなかった。時と場合を考えることは重要だからだ。

「どうにか部隊再編しなきゃな。」
「オドネルは使えそうか。あとは?」
「モーリスは?」

リトラーはミクトランの小隊に残っていた数少ないベテラン下士官の名前を出した。特にモーリスは随分ミクトランと打ち解けていたからリトラーの記憶に残っていた。

「モーリスは死んだだろ。」
「じゃあ、ジェンキンズ。」
「命はどうにか。さっき後送された。」
「ビアズリーもハリソンもだろ?」

元々数が少ないある程度の経験がある下士官兵は殆ど部隊に残っていなかった。大量の死はまず凄惨な光景として、続いて戦力の低減として二人の目の前の現れた。

「あ・・・。」
「ん?・・・あぁ。」

二人が不意に黙る。衛生兵が列を作って、幾つもの大きな袋を運んでいた。彼らが急に言葉を失ったのは、それが今回の戦争から導入された戦死者用の遺体袋だということを知っていたからだ。

衛生兵達はてきぱきと袋を運んでいったが、その仕事ぶりは大変丁寧で袋の中身が一人一人生きた人間だったことを感じさせた。

「どうも麻痺しているな。」
「かもしれない。」

こんな状況でも妙に前向きなのも、仲間がこんなに死んでいても案外平気なのも、麻痺しているからなのだろう。 それが恐ろしくもあったが、今は麻痺しているくらいが丁度良いのかも知れないとも思った。

二人は同時に溜息をついた。息が、白い。










「おー、大隊長殿のお帰りですか。」

イリア・マイナードは今日から大隊司令部になった小屋の中で、椅子を三つ使って寝転びながら本を読んでいた。肩には軍曹を示す二つ星の階級章が光っている。

「それぐらい敬意のない扱いだと気楽で良いな。」
「貴方を神様みたいに言う者もいますからね。」

リトラーは苦笑した。つい先程、部下の二等兵から「大隊長殿、昇進おめでとうございます」と直立不動の姿勢で言われたばかりだったからだ。ちなみに、その兵士はひどいテルシェイ訛りで耳に入ってきた音としては「でーてーちょー」に近かった。

「全知全能には程遠いのだけれど。」
「ま、鰯の頭も信心から、と言うじゃないですか。」
「その、常に俺を馬鹿にしてかかる態度が今はありがたいよ。」

こうして馬鹿にされている限りは自分が19歳の学生であることを忘れなくて済む。尤も、イリアは別にこういう態度をリトラーだけ取っている訳ではないのだが。

「そういえば、何を読んでるんだ?」

リトラーがイリアの隣―横になっている彼の頭の側―に腰掛けて本を覗き込んだ。どこかで見た覚えのある文章に、いつも見慣れている字で書き込みがされていた。

「ミクトランの字?」
「そちらが先ですか。」
「あ!お前、これ。」
「そう。大事なのはそっちですからね。」

イリアが読んでいるのは士官学校で使っているテキストだった。恐らく、彼のような態度で勉強をしていたら教官からきついお叱りを貰うことになるのだろうけれど。

「主席参謀に借りたんです。」
「勉強熱心だな。」
「どうせそのうち小隊長をやれと言われますから。」
「だろうなぁ。」

彼の察しの良さは才能の域に達しているな、とリトラーは思った。同時に、そういえば自分は士官学校に入ってからミクトランに教科書を借りたことがないな、とも思った。高校まではテスト前にはいつもミクトランの書き込みが入った教科書で勉強していたのに。

「そういうモヤモヤした嫉妬の混じった目で見ないでくださいよ。」
「何だそれ?」

イリアは答えずに教科書に視線を戻した。顔を隠しながら、その下で薄く笑っている。なるほど、この人は自覚が全くないらしい。

「リトラーさんは山の神ですよ。」
「何だそれ?」
「全知全能よりそっちの方が向いてます。」
「ん?」

イリア・マイナードは相手に全く通じないジョークを言って、何とも楽しげに笑った。
























あとがき
ルキヤーノフおじさん初登場。次辺りでウォーラおじさんも出したい。あと、諸君、山の神って何か分かるよね?
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