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A Bloody Bloody Little War
血まみれの 残虐な 忌々しい 或いは、くそったれの ひどく小さな戦争 四. 「姓名はフレデリック・ウィルモット。階級は少佐。天上勢力圏でのレジスタンス支援を担当。レジスタンス支援と言うと聞こえは良いが、要はテロリストや犯罪者への援助。物は言いようですね。」 イクティノスが読み上げているのは、死体で発見された情報部員のデータだった。 「所属部署に問い合わせましたが、我々が支援している組織のリストを持ち出したようです。」 「公にされると大変に具合が悪いですね。」 情報部の活動の半分以上は条約や法で規制されている非合法な活動に当たる。その証拠が天上側に渡れば戦争の大義が相手に渡ってしまう危険があり、地上側の対抗勢力に渡れば、情報部は現在の地位を失ってしまう。下手をすれば、情報部を基盤の一つとしているリトラー総司令自身の立場も危うい。 「部内では陽気な話好きとして知られる。五〇〇万ガルドの借金あり。」 「それは半年前のデータです。先ほど調べたところによると、借金は今日現在で半減しているようです。ここ数ヶ月、急に返済のペースが上がったとかで。」 シャルティエが訂正を入れると、イクティノスは大きく息をついた。五〇〇万ガルドは決して端金ではないが、彼が売り渡したであろうものの価値と比べると余りに安い。人は追い詰められると正常な判断を失うものだ。 「そこまで聞くと、なんとも、分かりやすすぎるくらいですね。」 「防諜班は事前に察知出来なかったことに関して反省しきりだそうです。」 「情報部全員の銀行口座を監視する、という訳にもいきません。君達が私の預金の管理までしてくれるというなら歓迎するが。」 イクティノスの軽いジョークに対して、シャルティエは無反応だった。怪しい男を取り逃がした件が引っかかっているらしく、やや沈み気味だ。 「ウィルモットが情報屋をやって金を得ていたことは明白です。殺されたのは何かのトラブルか、或いは口封じか。」 「そうだろうね。」 完全にジョークを流されてしまったことについて、イクティノスは微かに不満の色を見せつつも先へ進む。 「至近距離から顔を四発撃たれています。銃声を聞いた人間はいませんでした。」 プロフィールを読み終わり次のページをめくると、凄惨な現場の写真が四枚並んでいた。イクティノスは右の目元を僅かに動かしただけで、それ以上の感情は見せなかった。 「銃の型は?」 「恐らく、ラムゼイヤー社の四五口径。ロングセラーですから星の数ほど出回っています。」 「ウィルモットの当日の足取りは?」 「朝アパートを出てから先は不明です。昨日から休暇を取っていたようです。」 「手掛かりなし、ですか。困りましたね。」 言葉とは裏腹に楽しそうなイクティノスの声。部下には「楽しそうな顔をするな」と言っておきながら、とシャルティエは思う。彼の上官は深刻な仕事中毒なのだ。しかも仕事が仕事だけに性質が悪い。 「次に、事件後の現場の様子について何点か。」 続くページはシャルティエ自身の文章だった。警察との遣り取りや野次馬の様子などが書かれていたが、最も多く紙面が割かれていたのは、彼が追跡した怪しい人物についてだった。 「取り敢えず、重要参考人とでも言っておけば良いかな?君が仕留め切れなかったのだから、かなりの腕だったようだが。」 「面目ありません。」 「いえいえ、無事で何よりでした。市街地で銃撃戦というのも困りますから。」 怪しい人物の足取りも不明だった。平均程度の身長で服装の特徴もなく、声も一言しか発していない。情報は皆無と言っても良かった。目深に被った帽子で全く顔が分からない似顔絵だけが手掛かりということになる。鮮やかな紫の髪だけが印象的だった。 似顔絵とシャルティエの顔を眺めながらイクティノスは思う。一発も撃たずにシャルティエから逃げ切るほどの相手。彼は天上側なのか、地上側なのか。天上側なら恐ろしいが、地上側ならば惜しい。身内と遣り合っている場合ではないだろうに。 一方で、違和感も覚える。頭に四発も撃ち込むような凄惨な殺し方をする人間が、証拠を残さず逃げるためとは言っても一発も発砲せずに逃げることなどありうるだろうか。危険を承知で逃げたということは関わりがあると見て良いだろうが、その人物が犯人とは思えなかった。 「敵でなければ良いのですが。」 シャルティエがポツリと言った。実際に戦った彼自身も、その人物を敵と断ずることに抵抗を感じていた。シャルティエの考え方は戦場経験が長い人間らしく、或いは歳相応の浅さから、シンプルなものだった。目の前にいる敵か、隣や後ろにいる味方か。分かりやすい二項対立。 「敵、ですか。」 イクティノスはそこまで世の中を単純には見られない。敵とは一体なんなのだろう。必要があれば天上の人間とも手を組み、時には地上の人間を始末することもある。何事もはっきりしない世界で生きている彼にとって、敵味方というのは相対的に決まるものでしかない。 ともあれ、先に進まなければならない。犯人を見つけ出し、重要な情報の流出を防がなければならない。 「事件当日の大きな移動は目立ちますから、犯人はまだ近くで潜伏しているはずです。」 「はい。」 「こうなると、虱潰しですね。出来る限り人手を集めてください。ディムロス大隊にも連絡を。」 「了解しました。」 五. 「畜生。」 ハロルドは追っ手を撒いたことを確かめてから、やっと悪態をつく自由を手にした。手強い相手だった。無事で済んだことに驚く。 「どういうことだ、畜生。」 ちょっとお遣いのはずが相手は死んでいて、自分は追い回されて危うく捕まりかけた。加えて、自分が戦った相手が同じ地上軍というのも気に喰わなかった。地上側の人間に銃を向けたのは初めてだった。思い出すと手が震える。 彼は情報部に良い感情を持っていない。だから対抗関係にある保安局に籍を置いている。とは言っても、情報部の人間と刃物や飛び道具を持ち出して遣り合いたいとは思わない。情報部の人間も、保安局の人間も、広い意味では、彼が世界でたった二人尊敬する人物のもう片方、養父メルクリウス・リトラーの部下であることに変わりはないからだ。 情報部に対する悪感情も、総司令派の中でイクティノス・マイナードと情報部に権力が集中しすぎることへの危惧から来るものに過ぎない。 加えて、ハロルド自身としては個人的にイクティノスが好きになれない、というのもあった。直接会ったのは子供の頃に何度かという程度だが、本音と建前が完全に分離している様子に苛立った記憶がある。 「ハロルドはイクティノスのことになると良く喋るのだね。」 イクティノスがいかに嫌いかについて熱弁を奮ったことをリトラーに笑われたこともある。ハロルドは基本的に物事に興味があるなしの二通りだったから、珍しい反応にリトラーは驚いた。 ただ、彼は戦中に育った若者らしく合理主義者だったから、好き嫌いが世の中の全てではないことも理解していたし、イクティノスが有能で、彼の父にとって重要な人物であることも理解していた。ハロルドのイクティノス嫌い、情報部嫌いというのは、要するにその程度のものだった。 現状への苛立ちは尽きないが、まずは逃げなければならない。この騒動のせいで容疑者扱いされているのは間違いない。上着と帽子を捨てて身形を変えた。 外での仕事の後、直接保安局へは戻らない。近くの活動拠点を経由して、尾行されても本拠地を知られないようにしている。活動拠点も一ヶ月程度で次々と場所を移すという念の入りようだった。 一〇分ほど歩くと、四階建てのうち一階と四階だけにテナントが入った小さなビルに着いた。今日はここを利用するように言われている。 一階には金で雇われた用心棒がたむろしていた。こんな所の警備を正規兵にはやらせられないのだろう。分かってはいるが何となく気分が悪く、無視をして階段を上がる。 ビルの四階には保安局が作ったダミー会社が入っていた。フロアには事務机とロッカーがいくつか置いてあるだけで、人が普段からここを使っている様子は全くしない。ソファーにブレーマーが座っていた。 「ハロルド、災難だったようだな。」 「ええ、まぁ。」 生返事をしながらロッカーを開けて着替える。拠点に辿り着いて安心したこともあり、ハロルドの中では苛立ちが増していた。災難で済むものか。身内と殺し合いになるところだったんだ。 「情報提供者は死んでましたよ。」 「ああ、報告はもう受けている。」 「俺が追い掛け回された件も?」 「それも、つい先ほど。助けてやれなくて申し訳なかった。表立って遣り合う訳にもいかないからな。」 ハロルドにとって驚きだったのは、死者が出る騒ぎになっているのに、彼の上官が相変わらず、人の良い市役所職員の雰囲気を纏ったままだったことだ。部下が情報部の人間と危うく殺し合いになる所だったというのに、それも気にならないらしい。 内心で反発を覚えながらも、それを表には出さない。ハロルドは自分の中にある疑問の中で一番無難なものを選んだ。 「奴をやったのは誰なんです?」 「確証は掴めていない。情報部から粛清されたか、或いは他の機関とも繋がりがあったようだから、そちらと揉めたのかもしれない。」 「例えば?」 「天上の諜報機関がいくらかと、ハンゼ商工会の組織。あとはカウナス政府にも情報を売っていたようだ。金が欲しかったんだろう。」 「天上も、か。」 天上軍と繋がりを持っている地上軍将校を告発しないままにしておく感覚がハロルドには理解しがたかった。確かにそういう人間は処分するよりも利用した方が有益なのかもしれない。それでも、最前線の感覚では許容しがたかった。 ハロルドは犯人がどこの人間なのか全く検討がつかなかったが、犯人がどんな人間なのかは分かっていた。とは言っても、顔も名前も分からなかったが。 「それと室長。」 「ん?」 「あ、やっぱ良いです。」 犯人らしき人間と接触したことを言おうかとも思ったが、思い止まった。確証がない。ブレーマーは不思議そうにしていたが、すぐに話を切り替えた。 「まぁ、話は以上だ。今回の件のお蔭で暫くは静かにしていなくてはならなくなったから、当分はデスクワークになるが辛抱してくれ。」 ブレーマーは席を立つと、ハロルドの肩を軽く叩き、そのまま部屋を出ていく。擦れ違った時、微かに柑橘系の香りがした。香水だろうか。 「あの。」 「どうした?二度目の『やっぱ良いです』は勘弁してくれよ。」 振り返ったとき、やはり匂いがした。香水だ。諜報員は原則的に、嗅覚で印象に残ってしまわないよう香水は使わない。ただし、原則には例外もある。 それは、消したい臭いがある場合。何故か、最初から排除してしまっていた可能性にハロルドは辿り着いた。心拍数が高まるのを感じる。 何も言い出さないハロルドを見て、ブレーマーは再び不思議そうな顔をしていたが、やがて見たこともないような冷たい表情になって、口を開いた。 「あぁ、気付いたのか。」 六. うん、ああ。私だ。今忙しかったかな?なるほど、まずい時にかけてしまったか。申し訳ない。うん、だがしかし、どうにか二、三分だけ時間をもらえないかな?いや、君が忙しいのはいつものことだから、気を遣ってもキリがない。 私の息子の話は聞いているだろうか?いや、そっちじゃない。そちらなら、君も良く知っているだろう。あぁ、なるほど。いや、あの子にも悪気はないんだ。迷惑をかけているね。まぁ、それは良いとして。あぁ、勿論、君にとっては良くないかもしれないが。ん?はいはい、すまないね。 話というのは、弟の方で、そう、あぁ、名前も覚えていてくれたか。彼は今、こちらにいるんだ。暴れすぎてしまって三ヶ月ほど冷や飯を食っている。噂ぐらいは聞いているだろう?そう、そう。あぁ、戦車は旧式のものだったそうだよ。このまえ食事をした時に聞いて・・・あぁ、すまない。今日は謝ってばかりだな。 とにかく、それで今こちらにいるから、折角だから君に会って欲しくてね。そう言わないでくれ。兄の方より素直な子なんだ。確かに態度には問題があるが。いずれ一緒に仕事をすることもあるかもしれない。それに、あの子は昔から君がお気に入りなんだ。私が君の話をする度に、随分と腹を立てて君を散々に罵ってね。いやいや、子供の嫌いなどというのは当てにならないものだろう。君だって私のことが嫌いだったじゃないか。え、今も?それは参るな。 あぁ、用件はそれだけだ。近いうちにまた連絡するから考えておいて欲しい。君のところのシャルティエを呼んでも良い。ん?分かった。分かった。カーレルには私から良く言っておくよ。あの性格に関しては、育て方の問題があるから。 あぁ、引き止めてしまってすまないね。おぉ、君は相変わらず時間に正確だ。丁度三分。あぁ、では、また。 七. 「あぁ、気付いたのか。」 耳から凍るような声だった。ハロルド・ベルセリオスは初めて、自分の上官の諜報員らしさに触れた。それも最悪の形で。 「何を、ですか?」 「取り繕うのは上手くないのだろう。だから、街中で小競り合いをする羽目になった。」 「・・・。」 「君は鼻が利くのだね。諜報員として素晴らしい資質と言って良い。少し君を舐めていたかもしれない。お詫びしよう。」 ブレーマーはソファーに戻り、身を投げ出すように腰を下ろした。ハロルドは出来るだけ隙を見せないように身体の向きを変えただけだった。 「情報提供者を殺したんですか?」 「ああ。」 「なぜ?」 「大仕事だったから、と最初の約束と違う金額を要求されてね。そろそろ手切れの時期だと考えていたから消えてもらった。」 「俺を現場へやった理由は?」 「君があの場で目立てば、そちらに注意が向くだろう?まぁ、何でも良かったんだが転んでもらった。足払いは昔から得意なんだ。」 ぶつかっただけで転ぶはずはないと思っていたが、そういうことだったか、とハロルドは気付く。あの場でそれをかわせていたら面倒も減ったものを。 「無関係の君が捕まり、取り調べの末に釈放されれば保安局に疑いの目は向かない。そう思ったんだが、君は思った以上に優秀だった。あのシャルティエから逃げ切るとはね。」 囮扱いされたことは、思ったほど気にならなかった。ハロルドはもっと他のことに苛立っていた。怒りを殺して質問を続ける。 「何を手に入れたんですか?」 「情報部が非合法に支援する組織のリスト。」 「それをどうするつもりですか?」 「具体的にはこれから考えるんだが、要はこれを使って情報部を追い落とそうというわけだ。」 「で、代わりに保安局が軍の中心ですか。」 「それは総司令がお考えになるべきことだな。」 ハロルドは天上軍と戦うために軍に入ったのだ。最前線で戦う多くの将兵達も同じ気持ちだろう。今、自分がいる場所は何と最前線から遠いのだろう。馬鹿馬鹿しい。大きく息を吐く。 ポケットからリボルバーを取り出し、銃口をブレーマーへ向けた。不思議なもので、シャルティエに向けた時に比べたら、全く緊張を感じなかった。 「上官に反抗するか?」 「身内を殺したあんたに従う筋合いはない。」 「君は諜報員には向かないな。」 ブレーマーは薄く笑う。ハロルドが指を少し動かすだけで広い額に穴が開くだろう状況でも、全く態度を変えなかった。 「私を殺すのか?」 「自首しろ。」 「それは出来ないな。」 その時、ドアが勢い良く開いた。用心棒の一人が息を切らして転がるように入ってきた。何事か言おうとして、思い止まる。部屋の中の殺気だった様子に、どうして良いか分からないでいるようだった。 「構わん。話せ。」 「え、ああ。ここがバレた。囲まれてる。」 ブレーマーはソファーに掛けたまま、窓のブラインドの隙間から外を見た。情報部の戦闘部隊がビルを包囲しているようだった。やはり、まともにやって勝てる相手ではない。しかし、それにも勝る情報を手にしている。逃げ切れれば、勝つのは自分だ。 「情報部の連中は流石に手が早い。さて、ハロルド、どちらと戦うつもりだ?私か、情報部か。それとも両方と戦うか?それも良いだろう。」 階下で銃声が聞こえた。突入が始まったらしい。情報部の突入部隊は、ハロルドを敵として認識しているはずだった。このままでは本当に情報部と遣り合うことになってしまう。どうする。一瞬の迷い。その隙をブレーマーが突いた。 殺気を感じたハロルドは咄嗟に身を伏せたが、間に合わない。右肩に熱さを感じた。鋭利な刃物で切られたらしい。自分が先程まで立っていた場所の後ろの壁にナイフが刺さっていた。投げナイフだ。 「避けたか。やはり君は優秀な兵士だな。」 倒れた衝撃で銃を手放してしまっていた。ブレーマーがゆっくりと近付き、それを拾う。重く冷たい感触が頭に押し付けられた。 「君がここで死ねば、追い詰められて自害したと思うかもしれないな。私は、今回の件を君の独断専行だと報告しよう。暫く閑職に飛ばされるかもしれないが、それは仕方がない。」 そこまで言ってから、微かに声を出してブレーマーが笑った。乾いた笑いだった。 「保安局調査室長。これ以上の閑職もないか。」 next BACK |